進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

第二回 五つの目的 19日目

2016年03月05日 | 第二回 5つの目的 熟考
202頁 共同体は集まりたい時に集まることの上に集まるのではなく、霊的な健康のためにどうしても集まることが必要であるという確信のもとに建て上げられて行くものです。初代クリスチャンは毎日集まっていました。
交わりを持つためには、時間を投資しなければならないのです。


これに集約される。これが交わりの全てだ。交わりの質を上げるものやはり時間をともに過ごすことなのだ。
収容会も控えている。霊的家族の愛の成長と確認のために是非参加されたし!罪友のみんなは私のいのち。

また、謙遜が必要ということがかかれてありアーメン。
昨日の説教「ウンチの祈り」そのまま。
臭い祈り、臭い態度、、、謙遜は人を和ます。


五つの目的18日目 人生に3は他の人が必要

2016年03月05日 | 第二回 5つの目的 熟考
人生はともに分かち合うべきものとして計画されている。

教会でなされている茶話会つまり交わりと呼ばれているものは教会員同士であれば一週間の健闘を讃えあい傷ついていれば慰め合うものだけれども、それだけでは本当の交わりではない。

というのは、神様が望んでおられる交わりとはウイークデーつまり日常から教会員と会う、電話で話し合ったり祈りあったりできる間柄ということ。
人生に関わり合う。
人生を共有する仲間、霊的家族。
全ての教会員とはできるはずもなく、わずかな人でもいい。そのような友情がたくさんあれば大きく広く機能していく。
腹を割りはなせ、守秘義務が守れ、祈れる無二の同性の親友を教会員同士で作って欲しいと祈り願う。

牧師てある私もそんな仲間はまず妻がいる。また教会にもいるし、地方にも、師匠もいる。多くはないが非常に心強い神からの協力者である。

もしかすると、そのような仲間から裏切られたりするかもしれないがそれを赦すことの中に信仰の成長がある。師匠にも親友にもつまづくようなことは実は何度かあった。しかし、感謝なことに目を向け、自分の足りなさに目を向けて赦しを決断するとどうだろう?今まで以上の関係に成長してきた。

ゆえに赦しのない交わりには成長がない。赦しのない教会にも成長はない。だから人は一人で居るのは良くないのだ。

注意をする時も愛をもって伝えて
サンドイッチ方で褒めて注意して褒める。
聞く方も愛をもって聴くこと。
それでも拒絶され、非難され悪者になるケースもある。だからこそ本当の交わりが必要なのだ。