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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

昨日は早く寝たのに今日は眠い。

2009-02-03 10:08:26 | 直言!
それが気になるところがある。
昨日配達してもらったフトンが物置にしている部屋にドンと置いてあるので部屋が使い勝手がしにくい。ここは私のクローゼットも兼ねているので洋服ハンガーがかかっている。仕事に行く時の服で着替えがしにくいのでまた考えた。
やはり押入れにいれようと押入れをまた整理した。
掃除は気がついたときには掃除機をかけているので埃よりも中のものが気になってもう1度開けて見た。私が専業主婦をしていたときに近所で洋裁を習っていたときの残り布と型紙が出てきた。
型紙はもう思い切って捨てることにした。
もう今は型紙を取ってキリビつけをして見返しをつけてなどなどそんな面倒なことができなくなってきた。第一もう針に糸を通すのも老眼で大変である。
そう思って捨てた。袋の底から型紙を書いたノートが出てきた。
これは私の30代の記念として残しておくことにしたので本箱に入れた。
電気毛布もまだ捨てていないと思っていたら捨てていて1つだけ残っていた。それはまだ使える敷きの電気毛布で置いていたのでまた保管した。
電気コタツの敷物も残っている。
リビングはホットカーペットを敷いている。このマンションに引っ越してきてからは椅子のテーブルに電気コタツ、狭く感じるので使わなくなったので押入れに閉まってある。
ザブトンもめったに使わないがこれは親から嫁入り道具でしてもらったもので捨てることができない。
あとモロモロ何かとあったが捨てられないので押入れのものを全部出して掃除機をかけてまた整理した。
ダブルの敷布団を押入れに入れようとしたが大きすぎて入らない。
しょうがない。
箪笥の上に置いた。ビニールの袋に入っているので汚れないのでこれはいいのでそのまま箪笥の上にのせた。
まくらやシーツは大きい箱に入れて蓋をして物置きに使っている部屋で保管。電気毛布もここに保管した。掛フトンだけは押入れに入れると物置に使っている部屋がなんとか使えるようになった。
物置きに使っている部屋の本棚1つは長いこと整理していない。
前に700冊ほど捨てる本の整理をしたときはここまで手がまわらなくてここはそのままにしておいた。
もう1つの押入れにはまだ使える電気釜などの電化製品が保管してある。
これも捨ててればいいのにまだ使えると思うとなかなか捨てられない。
なんやかんやと結婚式でもらって引き出物などもこの押入れに入れたままである。
温かくなったら思い切ってこの押入れも整理して捨てるようにしょう。そしたら物置きにしている部屋のものがここに入れることができるだろう。
朝からこんなことをしてついでに部屋を掃除して掃除機をかけた。
押入れは埃がそんなにないものの掃除すると気になって風呂に湯を入れて掃除が終った後、風呂に入った。
これで体もすっきりした。9時過ぎにパソコンの前に座っている。
これから撮影した写真をまた時間を見つけてバックアップに保存する作業をしないといけない。
している途中でそのままにしてあったのでまたしていかないといけない。1つの項目を整理してみた。入っている。上書き保存になった。これも調べて次ぎは保存作業をしよう。

写真で思い出した。
和歌山に赴任しておられた韓国政府派遣教師がこの2月の初めに帰国される。釜山の近くに帰られる。最後と思って写真を撮影して釜山に送ることを約束した。
派遣教師の院長は女性教師である。美人教師だが子どももいれば夫もおられる。
夫は妻の派遣に伴なって会社を退職して日本に一緒に家族で来られて奥さんを影で一生懸命に支えられた。これは義理でしているのでなくて家族愛でしておられるのが私は見ていてもわかった。
院長という仕事は男性でも大変な仕事である。
民団関係との付き合いに日本人や在日コリアンに韓国語を教えて文化や歴史を教えていく。そして日本の学校などにも出張して韓国と日本の文化交流の仕事もこなしていかなければならない。
女性の院長では大変だと思って赴任されたとき大阪でお会いしたときに「男性でも大変ですよ。とにかくがんばって下さい」と話したことがあった。
しかし女性教師は努力を惜しまず家族に支えられて海外勤務を無事に全うして韓国に帰国されることになった。
私は女性教師に「本当によくがんばられてよかったです」と声をかけると彼女はやはり人間ができているのだろう。
「和歌山の皆さんに支えられて仕事ができました。なんといっても民団和歌山本部の婦人会の人たちにたくさんお世話になりました。婦人会の人にたいへんよくしていただきました」と話していた。美人教師、なぜかカルタ大会で会った時は素顔だった。いつも綺麗にお化粧しておられるのに素顔だった。
たぶん夜遅くまで帰国するための荷造りをしておられたのだろう。
和歌山から大阪までは遠い。
早い出発に急いで出てこられたのだろう。素顔も美人なので綺麗。
まだ50歳前後の若さである。韓国に帰国されても努力家の彼女はさらに努力をして管理職になっていかれる人物と見ている。
日本での仕事にお疲れ様と声をもっとかけてあげたい。
韓国政府派遣教師の仕事を見てきたので派遣教師の仕事は韓国にいるよりもっと仕事がきつい。海外赴任手当てがあるかもしれなかいがそれ以上の仕事をしておられる。日本語も覚えて日本の生活文化を覚えていくころに帰国になっていく。
こうした教師たちが日本で日韓交流の架け橋をしていかれている。そして在日コリアンの現実、韓国にいるときは知らなかった事情が分かり帰国してから在日コリアンに何ができるのか。それからまた勉強していかれる教師も中にはおられる。そして現況を伝える役目もしておられる。
影で見えない人たちの努力の下地がある。
民団と常に協力しながら仕事に邁進して帰国される。
韓流はいままで長い積み重ねの歴史があったことを日本人も在日コリアンも理解してもらいたい。
話は余談になるかもしれない。
神戸の日本公立中学校で在日韓国人教員の管理職に問題が浮上している。
問題をとりあげて神戸市教育委員会まで提議しされた。
そのあと韓国に訪問して記者会見がお行われた。
これも元神戸韓国綜合教育院の院長が日本人教師と在日コリアンの教師などと連携して文化・歴史講座を何年も継続して開かれ交流をしてこられた。
院長が帰国されてもさらに交流が深まっておられたのだろう。
韓国での記者会見での仕方等などにも寄与されていることだと私は思っている。
元院長はソウル市教育庁を定年退職されて今は田舎に住居を移して悠々自適の生活をしておられると聞いている。
日本との共生に韓国政府派遣教師と民団そして領事館の連携でできたことを日本人や在日コリアンは知ってもらいたい。
私は在日韓国人の新聞記者になって23年、5年間は日本の雑誌記者だったが23年の間に出会った韓国政府派遣教師、多く人を目の当たりに見てきて韓国政府派遣教師と領事そして民団の連携の積み重ねの歴史が在日コリアンの財産になったことを今また改めて認識をしている。

私は和歌山県の取材、もう長い間行かなくなった。遠いこともあるのでここ数年は行かなくなった。若い記者が入っている。車で行くので電車より楽とみているがでも大阪からでも遠いなと思う。

もうこのへんで休憩をしよう。
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