韓日サロン・・・リビングルームの画面にセットアップしょうと写真を撮っていた。今年も去年に続いて新年号特集記事に追われていく。その間に忘年会が入る。体調は疲労になっていく。そして寒さで風邪を引いた。
そのうえ便秘になりこれまた大変なことになって体調不良がピークになった。
そんなことで休養しながら仕事をこなした。
自分のブログの正月のことまで頭に入ってこない。
やっと27日、病院に投薬のために外出して時間にゆとりができた。
買い物をしている間に正月用の小物を見つけた。
今度は100円均一のもので済ませた。
家の掃除は片付いたのでやっと自分のことにとりかかった。
100円均一で買った物を並べてみるがどうも私は納得がしない。
結局、家にあるものを工夫して100円均一で買った物を入れて正月用の写真ができた。
これだけでも45分ほどかかった。
ああしんど。
今日は、朝に新聞を読んで午後からテレビ番組で都はるみショウを見ることにした。またこの放映が長い。1時25分から4時半まで。長いが見てみることにしよう。
都はるみもお父さんが在日韓国人、お母さんが日本人、おそらく子どもの頃は混血、しかも朝鮮半島の混血で悩んだだろう。
けれど都はるみの偉いところは自分の出自を隠さなかった。
それは民団京都上京支部の職員たちの語り草になっている。
一時、出自を明らかにしたときにマスコミが実家のある西陣の町、上京区に取材によくこられていた。お父さんが偉かったのだろう。西陣に取材にこられると民団上京支部に取材に行くように言われたのだろう。
その取材に対して都はるみ本人が民団上京支部に電話をして「私のことで取材にマスコミが行きますがよろしくお願いします」ときちんと挨拶の電話があったという。
この電話に当時の職員は「都はるみ本人から電話があった」と言って喜び出自を隠さない京都出身、地元出身の歌手に拍手で応援をしていた。
1度は普通の人に戻りたいと言って歌手を引退することがあった。
引退公演の1つに韓国系信用組合、京都商銀南支店で公演をした。
そのとき司会者は父親を覗いて家族を紹介した。
しかし都はるみは父親のことを忘れていなかった。
私の父親、金○○と言って目の前に座っている父親をちゃんと紹介した。
これも民団京都の地元では語り草になっている。
宴会で見ていたのか。それとも民族学校で体験したことがあるのか。
都はるみのリズムの取り方が肩で取っている。
韓国の人は踊りを踊るときに肩を動かしてリズムを取って踊っている。
私はこうしたことを在日韓国人の新聞記者になるまで気がつかなかったが1世たちはそのリズムの取り方を見ていた。
夫の母親は都はるみの歌う姿に「あれは韓国式でリズムを取っている。肩をみたら分かる」と教えてくれた。
それがその肩のリズムに私はまだ気がつかなかった。
在日韓国人の新聞社で記者をするようになって本場、韓国伝統舞踊を何度も見る機会があってから都はるみの肩で取るリズムがやっと分かった。
デビュー当時、五木ひろしと仲がよかったがいつのまにか破局した。
プロダクションが離したのか、周りの身内が離したのか真相は分からない。
しかし五木ひろしと都はるみは京都という共通点があった。
五木ひろしは自分の過去はクラブで歌手をしていたことになっている。中学を卒業して歌手になりたい願望をかなえるために歌の勉強していた。そしてアルバイトもしていた。アルバイトは京都の在日韓国人のあるパチンコ経営者のところでしていたと京都の民団の人から聞いている。
そして五木ひろしを世に送り出すのに金がいる。
歌手になるために五木ひろしの身内が滋賀県の在日韓国人、財のある人の女性になった。この話も京都の民団関係者に聞いて驚いた。
またお父さんは亡くなったことになっているがお父さんは亡くなっていない。
お父さんはデビュー曲の「よこはまたそがれ」のレコードを肩に背負って京都や福井など行商して売り歩いたということもまた五木ひろしのお父さんをよく知っている人から聞いたときも驚いた。
芸能人の大方が在日コリアンである。
声量が違うのか。歌の上手い人が多い。
あげればキリがない。和田アキ子、都はるみももちろん五木ひろし、年を重ねてくるとだんだん在日コリアンの顔になっている。
「世界で1つの花」を歌うグループの中にもいる。湘南ボーイの人気者の歌手もそうです。紅白歌合戦の出演者は半分以上が在日コリアンです。
名前を挙げるとたくさんいるがここに挙げることはできない。
都はるみの歌手生活と私が過ごした青春時代は同じ、歌とともに時代が蘇ってくる。今日はちょっとテレビを見てみようかと思う。チャンネルはBS11チャンネルです。
明日は31日、紅白歌合戦が7時半から開かれる。
歌手を見ているとこの人は在日コリアンと思いながら見ているが画面から消えると忘れている。
出自を明らかにできない日本の芸能界もおかしい。また出自をあきらかにしない本人の意識もおかしい。出自を明らかにすると芸能活動ができないというがそこは1度、戦う気持ちで出自を明らかにしてもらいたい。
椎名吉平はその点1度はプロダクションと喧嘩している。
本名は李○○というらしい。本名で芸能活動をしょうと思ってプロダクションとトラブルになったらしい。しばらく画面から消えたが今度は椎名吉平で出てきた。結婚した奥さんの家系も同じと聞いているが-----。
椎名吉平の母親は私の実家の近所で生まれて育っている。
163号線の大通、私の実家は北の道に入っていくが椎名吉平の母親は163号線の大通りにある祇園神社の角、南に入っていくとすぐに母親の実家がある。
私の実家は祇園神社の大通りの前の道、北に入っていくとある。
1世たちがまだ元気なころはあるところに集まっていた。椎名吉平の母方の祖母もよく来ていた。1世たちの間でも話題になっていたという。
つい私の知っていることを書いてしまった。
今日は30日、今年も今日入れて後2日になった。
大晦日から元旦にかけて天気は寒波になると天気予報は言っている。
2011年の世相の予告だろうか。
とにかくいい年になってもらいたい。
そのうえ便秘になりこれまた大変なことになって体調不良がピークになった。
そんなことで休養しながら仕事をこなした。
自分のブログの正月のことまで頭に入ってこない。
やっと27日、病院に投薬のために外出して時間にゆとりができた。
買い物をしている間に正月用の小物を見つけた。
今度は100円均一のもので済ませた。
家の掃除は片付いたのでやっと自分のことにとりかかった。
100円均一で買った物を並べてみるがどうも私は納得がしない。
結局、家にあるものを工夫して100円均一で買った物を入れて正月用の写真ができた。
これだけでも45分ほどかかった。
ああしんど。
今日は、朝に新聞を読んで午後からテレビ番組で都はるみショウを見ることにした。またこの放映が長い。1時25分から4時半まで。長いが見てみることにしよう。
都はるみもお父さんが在日韓国人、お母さんが日本人、おそらく子どもの頃は混血、しかも朝鮮半島の混血で悩んだだろう。
けれど都はるみの偉いところは自分の出自を隠さなかった。
それは民団京都上京支部の職員たちの語り草になっている。
一時、出自を明らかにしたときにマスコミが実家のある西陣の町、上京区に取材によくこられていた。お父さんが偉かったのだろう。西陣に取材にこられると民団上京支部に取材に行くように言われたのだろう。
その取材に対して都はるみ本人が民団上京支部に電話をして「私のことで取材にマスコミが行きますがよろしくお願いします」ときちんと挨拶の電話があったという。
この電話に当時の職員は「都はるみ本人から電話があった」と言って喜び出自を隠さない京都出身、地元出身の歌手に拍手で応援をしていた。
1度は普通の人に戻りたいと言って歌手を引退することがあった。
引退公演の1つに韓国系信用組合、京都商銀南支店で公演をした。
そのとき司会者は父親を覗いて家族を紹介した。
しかし都はるみは父親のことを忘れていなかった。
私の父親、金○○と言って目の前に座っている父親をちゃんと紹介した。
これも民団京都の地元では語り草になっている。
宴会で見ていたのか。それとも民族学校で体験したことがあるのか。
都はるみのリズムの取り方が肩で取っている。
韓国の人は踊りを踊るときに肩を動かしてリズムを取って踊っている。
私はこうしたことを在日韓国人の新聞記者になるまで気がつかなかったが1世たちはそのリズムの取り方を見ていた。
夫の母親は都はるみの歌う姿に「あれは韓国式でリズムを取っている。肩をみたら分かる」と教えてくれた。
それがその肩のリズムに私はまだ気がつかなかった。
在日韓国人の新聞社で記者をするようになって本場、韓国伝統舞踊を何度も見る機会があってから都はるみの肩で取るリズムがやっと分かった。
デビュー当時、五木ひろしと仲がよかったがいつのまにか破局した。
プロダクションが離したのか、周りの身内が離したのか真相は分からない。
しかし五木ひろしと都はるみは京都という共通点があった。
五木ひろしは自分の過去はクラブで歌手をしていたことになっている。中学を卒業して歌手になりたい願望をかなえるために歌の勉強していた。そしてアルバイトもしていた。アルバイトは京都の在日韓国人のあるパチンコ経営者のところでしていたと京都の民団の人から聞いている。
そして五木ひろしを世に送り出すのに金がいる。
歌手になるために五木ひろしの身内が滋賀県の在日韓国人、財のある人の女性になった。この話も京都の民団関係者に聞いて驚いた。
またお父さんは亡くなったことになっているがお父さんは亡くなっていない。
お父さんはデビュー曲の「よこはまたそがれ」のレコードを肩に背負って京都や福井など行商して売り歩いたということもまた五木ひろしのお父さんをよく知っている人から聞いたときも驚いた。
芸能人の大方が在日コリアンである。
声量が違うのか。歌の上手い人が多い。
あげればキリがない。和田アキ子、都はるみももちろん五木ひろし、年を重ねてくるとだんだん在日コリアンの顔になっている。
「世界で1つの花」を歌うグループの中にもいる。湘南ボーイの人気者の歌手もそうです。紅白歌合戦の出演者は半分以上が在日コリアンです。
名前を挙げるとたくさんいるがここに挙げることはできない。
都はるみの歌手生活と私が過ごした青春時代は同じ、歌とともに時代が蘇ってくる。今日はちょっとテレビを見てみようかと思う。チャンネルはBS11チャンネルです。
明日は31日、紅白歌合戦が7時半から開かれる。
歌手を見ているとこの人は在日コリアンと思いながら見ているが画面から消えると忘れている。
出自を明らかにできない日本の芸能界もおかしい。また出自をあきらかにしない本人の意識もおかしい。出自を明らかにすると芸能活動ができないというがそこは1度、戦う気持ちで出自を明らかにしてもらいたい。
椎名吉平はその点1度はプロダクションと喧嘩している。
本名は李○○というらしい。本名で芸能活動をしょうと思ってプロダクションとトラブルになったらしい。しばらく画面から消えたが今度は椎名吉平で出てきた。結婚した奥さんの家系も同じと聞いているが-----。
椎名吉平の母親は私の実家の近所で生まれて育っている。
163号線の大通、私の実家は北の道に入っていくが椎名吉平の母親は163号線の大通りにある祇園神社の角、南に入っていくとすぐに母親の実家がある。
私の実家は祇園神社の大通りの前の道、北に入っていくとある。
1世たちがまだ元気なころはあるところに集まっていた。椎名吉平の母方の祖母もよく来ていた。1世たちの間でも話題になっていたという。
つい私の知っていることを書いてしまった。
今日は30日、今年も今日入れて後2日になった。
大晦日から元旦にかけて天気は寒波になると天気予報は言っている。
2011年の世相の予告だろうか。
とにかくいい年になってもらいたい。
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