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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

「かわやん」のブログを読んで男は辛いと思った。

2007-04-29 10:39:40 | 直言!
ストライキも起こしてきた。
「かわやん」だけではない。当時、書くことで才能のあった記者たちが地方紙の玄関前で座り込みをして賃上げ闘争を当時の社長にしていた。
当時の光景が浮かぶ。1982年ごろの話である。
私は専業主婦から記者になりたての編者者兼雑誌記者だった。
そして社長は会社の生き残りをかけて社員に自社株をもたせた。
ここで意見が分かれた。
反発する者は部署が窓際の配置転換になった。それでもどんな所でも働いてその困難から抜け出すことをめざしてあたえられた部署で働いていた。
そんな光景が浮かぶ。
私が雑誌記者になってしばらくすると「かわやん」は地方紙を退職していった。
営業部所の配置転換が不服で退職したと思っていたが私の知らない理由がもっとあるのだろうと思っていた。

雑誌記者時代、編集局長は私に営業をさせなかったが営業ができる記事を要求された。そして人脈づくりだった。さらに企画のアイデアマンになることだった。私が出した企画はその場で却下されたことは何度もあったがしばらくすると他の人がその企画を使って営業していた人もいた。
まだ世間知らずの私はその人を何度も心の中で恨んでいたが年月を重ねてみると男の辛さを身に染みるほどわかった。
もう今はその人にはなんとも思っていない。
雑誌記者時代は編集局長の配慮で温室の中で雑誌記者をすることができた。記事書きの修業と人つなぎの場だった。今は編集局長に感謝をしている。

そして在日韓国人の新聞社に転職してから発行部数は日本の新聞と違って少ないのに営業する上司たちは必死だった。
私にも何度も営業活動を促されたが出来なかった。
雑誌記者時代の編集局長がいつもいっていた。
「記者は営業するといい記事がかけなくなってしまう」と私に言っていた。
今考えると少しでもいい記事をかける記者に育てようとしてくれていたのだろう。
在日韓国人の新聞記者になって営業をするとそのノルマの入ることもわかっていた。しかし私はお金にのみこまれてはいけない。
1人でも多く在日韓国人の活動をすくいあげて多くの読者に感銘の与えるものにしなければならない。これが私に与えられた仕事だと私なりのけじめをつけていっさい営業をしないできた。
いろいろあった。営業すれば私はもっと報酬があったかもしれないがそれでなくても人間関係で摩擦の多いところだった。
ただ単に記事を書くだけでもトラブルがたえなかった。
現場によって営業がからめば管轄区域外でもあっても私を取材に入らせなかった。このトラブルは始終あった。
「記者はいい記事を書くのに営業をしてはいけない」という雑誌記者時代の編集局長の言葉を思い出す。
しかしこれも生活を支えていた夫がいたから私はできた。休日もない。夜も遅い仕事に夫は何度も何度も仕事をやめるように言っていた。
しかし雑誌記者の体験は無駄にしたくなかった。いつかはどこかで在日同胞の中で何かを書くことになればいい。それだけを思って記事書きに専念してきた。そして少しでもいい。私が働いた報酬があればそれでいいと思った。
夫が私に仕事をさせてくれた少しでもの証である。
幸いに現在の仕事場では多くの先輩たちに支えられて在日同胞や日本社会の中だ記事を追いかけている。少しでも紙面が充実すればと願っている。そして1人でも多くの同胞が喜んでもらえる読者がいればと願っている。
記事は諸先輩からみるとまだまだである。
忙しく現場を動き回るとどこかで記事の取材の取りこぼしもある。この取りこぼしがないようにしなければならない。まだまだ未熟だと痛切する。

こうした中で現実を見ると男性たちはどの部署の人も必死で仕事をしている。
電話の向こうからか激しい咳が聞こえる。それも夜遅い時間である。
男性たちは「しなければならない」という責任感で体にムチ打っているのが電話の向こうから見えてくる。
男は辛い。と心底そう思う。
そんな私は夫の生活の支えがあるからなんとか記者の生活だけで与えられた場所でコツコツと積み上げてくることができた。夫も私を育ててくれた1人である。
若いとき、雑誌記者のときも何度も仕事をやめるようにいわれたが書くことが好きで夫に悪たれつかれても踏ん張ってきた。
続けてきたことで今日までなんとか生き残ることができた。
もし私が営業活動をしていれば今日まで記者を続けられただろうか。
在日韓国人の新聞社もバブルがはじけて新聞社もいくつかなくなっていった。
大方、記者をしながら営業をしていた。営業活動ができなくなると人件費も払えなくなってくる現実をまのあたりにしてきた。
こんなとき私は営業をしなくてよかったと思うがいつも男性たちは生活を前にして新聞作りをしているのをみると男は大変で辛いとまた身にしみて分かる。
若い記者も営業活動もしているときいているが、若いのによくやっている。そのたくましさに私はついていけないだろう。が、在日韓国人の女性記者の中でも若い記者はそんなこともできる人材もいるのである。彼女は男性と同じ辛い経験もあるだろうがひたむきにがんばっている。

「かわやん」のブログをよんで記者は書くことにこだわりながら前には生活がある。このなかをどうして切り抜けていくのか。やはり男は辛い。まして記者は企業の中では「金くい虫」といわれるほど取材活動経費を使う。
これだけ使ったものに対して営業活動をしなければならない。
それができないなら広告業務につながる記事をかかなければならない。
いつも切磋琢磨をしいられるのが記者である。
あらゆる情報がほしい。ほしいから動く。そして経費がいる。
これでも紙面が充実できれば自己満足というものができるが企業などでは自己満足ではなりたたない。どんなところでも採算がとれるものをみきわめなければならない。
こんなこと考えて仕事をしている男性たちはやはりすごいとおもって私は黙ってみている。男は辛いなあと思いながら-------。


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