奈良市の国民年金課で送ってきた夫婦別々に持って歩ける保険証のカード、薄いので紛失しそうになる。それで私と夫はすぐに持っている診察券入れのところにとりあえず保管した。そして1昨日、プラスチックのカード入れを買ってきた。
そしたら今朝の地方紙に新聞社に抗議が殺到したという。そんな薄い宅急便にカードと知らないで捨ててしまった人や薄くて紛失した人など。私はかかりつけの病院に1ヶ月に1度通院しているので「保険証お持ちですか」と毎度聞かれるので大事なものと思ってすぐ保管した。
病院にそんなに行っていない人は薄いカードの入った郵便物にそのまま捨ててしまったかもしれない。
だいたい行政からくるものは税金の徴収ばかりでうんざりしてしまうので見るのもいやになるがそうも行かなくてとりあえず開封してみると保険のカードだったのでさっそく保管をした。
予算節約もあるだろうがちょっと薄いなと思ったがコンピユターで入力して作るとなるとこの方法が早くて経費節減になったのだろう。
それはさておき昨日の新聞のニユースでは75歳以上の高齢者は「長寿医療制度」という言葉が疲れるという。
私はこの6文字を見て日本もいよいよ高齢者に対する謙虚な気持はなくなって収入のない高齢者から保険金の徴収になったのか。
「長寿医療制度」の文字が私は「姥捨て山医療制度」に重なって見えた。
昔、年寄りが若い者に負担をかけないために山に入って死んでいく映画、楢山節の映画が重なってきた。
高齢者の医療は高額かもしれないが他から税収を徴収するところがあるはずと考えている。
先日、あるところから仕事のために日本に来ている韓国からのビジネスマン、日本に住んで10年になるという。しかし日本の政治などよく知っていた。
彼は言う。「日本は収入の25%もの一般人から税金を取っている。これは無茶なことだと分かっていても誰も抗議もしないしデモもしない。みんな静かにしている。この日本人の気持が僕には理解できません。皆抗議してあたりまえでしょう」と。なるほど。タクシーの運転手も頷いていた。
そして私は自分の親と夫の親のことを思った。
もう他界してこの世にいない。もし生きていれば私たちがそうしたことに対応できるのかとも考えた。若者たちを配慮してのことだろうがもっと他の形で長寿医療制度の改革があると考えている。素人の浅はかな考えだろうか。
それにしても私のところは夫婦2人毎月、国民保険に対して2万2千円を払っている。これも高額でしんどい。そして固定資産税に地方税とある。税金のために働いているようなものだ。
お金の余裕のある人はいい。
私の女友達は年間まとめて国民保険も固定資産税も払っているという。
退職金も何千万そして毎月の収入、年金以外に女友達が親から譲り受けた土地を駐車場にして毎月30万円近くの収入のある人は一括払いも可能だろう。
零細企業に勤めていた在日韓国人の私の夫の退職金は女友達から比べるとうんでんの差である。
日本政府は高収入者を対象にして保険金の高額に税金と追い討ちをかけている。
帰化したある人在日韓国人の男性が言っていた。しかも親が一代で築いた資産のある子息が言った。
「鄭さん。在日韓国人のお金持ちはほんのわずかでほとんどの在日韓国人は皆生活が大変で一生働いていかないとあかんのやで」という言葉に私も心の中で頷いていた。
1世たちの高齢者の国民年金も排除されて経過措置もとられることなく今もまた゜排除されたままである。地方自治体から頂く金額は1万円から2万円、月額これでは生活ができない。そのうえここから介護保険が引かれている。
1世は渡日してずっと排他的の日本という社会を心に刻んだまま日本でなくなっている。こうしたことが3・4世は御伽話にしか聞こえないだろう。しかし在日コリアンの現実である。
しかし日本社会で働くとことでなんとか食べていける。
昨日、脱北者も編集委員になって日本人ジャーナリストが書籍を作成して発行されるということで記者会見が行われた。北朝鮮の人々の生きている実態が明らかにされた。話しを聞いていて胸がつぶれそうだったがコリアンはたくましい。みんな必死になって生きている。統一されたときにこの本は貴重な資料になることを確信した。統一はまだ遠いように思う。しかし近いように思う。
北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、日本の景色、菜の花の田園、桜並木を思い出しているだろう。そして心の中で「花より団子」を願っているだろう。
またここで父親が死ぬ間際に私に話した言葉を思い出す。
「社会主義では飯は食えない」と言っていた言葉を思い出す。
日本の植民地で一族はばらばらになってそして解放されたと思ったら分断国家になった。無念の思いを晴らすところもなくただ家族を養うために働いた父親の言葉がやっと胸に染みるようになった。反面大嫌いな父親像も心の中にあるが----。
在日韓国人が政府に要請運動をして高齢者給付金も出るようになった。
ずっとこうして要請活動をしていかなければならない現実に若者たちが日本国籍にしていく。形では日本国籍になっただろうが体内にある血はけっして替えられない血には文化がある。その人の成りを形成している。その国の仕草もある。絶対に隠し通せるものではない。そしたら初めから自分の出自を明らかに生きていくほう樂である。自分を隠すことがもっとしんどいはずである。明かすことで心の中に空気を入れるようなもの。呼吸が楽になって生きやすくなってくる。このほうが楽だったと必ず気がつくはずである。
帰化してもルーツを隠し通せない。これは親のことを忘れてはいけない戒めだと私は思っている。親とは先人の歴史を忘れてはならないことである。隠し通している人、こんなことに早く気がついてほしい。そして日本社会がさらに心の壁を取り除く方法、日本政府が考えなければならない。
そしたら今朝の地方紙に新聞社に抗議が殺到したという。そんな薄い宅急便にカードと知らないで捨ててしまった人や薄くて紛失した人など。私はかかりつけの病院に1ヶ月に1度通院しているので「保険証お持ちですか」と毎度聞かれるので大事なものと思ってすぐ保管した。
病院にそんなに行っていない人は薄いカードの入った郵便物にそのまま捨ててしまったかもしれない。
だいたい行政からくるものは税金の徴収ばかりでうんざりしてしまうので見るのもいやになるがそうも行かなくてとりあえず開封してみると保険のカードだったのでさっそく保管をした。
予算節約もあるだろうがちょっと薄いなと思ったがコンピユターで入力して作るとなるとこの方法が早くて経費節減になったのだろう。
それはさておき昨日の新聞のニユースでは75歳以上の高齢者は「長寿医療制度」という言葉が疲れるという。
私はこの6文字を見て日本もいよいよ高齢者に対する謙虚な気持はなくなって収入のない高齢者から保険金の徴収になったのか。
「長寿医療制度」の文字が私は「姥捨て山医療制度」に重なって見えた。
昔、年寄りが若い者に負担をかけないために山に入って死んでいく映画、楢山節の映画が重なってきた。
高齢者の医療は高額かもしれないが他から税収を徴収するところがあるはずと考えている。
先日、あるところから仕事のために日本に来ている韓国からのビジネスマン、日本に住んで10年になるという。しかし日本の政治などよく知っていた。
彼は言う。「日本は収入の25%もの一般人から税金を取っている。これは無茶なことだと分かっていても誰も抗議もしないしデモもしない。みんな静かにしている。この日本人の気持が僕には理解できません。皆抗議してあたりまえでしょう」と。なるほど。タクシーの運転手も頷いていた。
そして私は自分の親と夫の親のことを思った。
もう他界してこの世にいない。もし生きていれば私たちがそうしたことに対応できるのかとも考えた。若者たちを配慮してのことだろうがもっと他の形で長寿医療制度の改革があると考えている。素人の浅はかな考えだろうか。
それにしても私のところは夫婦2人毎月、国民保険に対して2万2千円を払っている。これも高額でしんどい。そして固定資産税に地方税とある。税金のために働いているようなものだ。
お金の余裕のある人はいい。
私の女友達は年間まとめて国民保険も固定資産税も払っているという。
退職金も何千万そして毎月の収入、年金以外に女友達が親から譲り受けた土地を駐車場にして毎月30万円近くの収入のある人は一括払いも可能だろう。
零細企業に勤めていた在日韓国人の私の夫の退職金は女友達から比べるとうんでんの差である。
日本政府は高収入者を対象にして保険金の高額に税金と追い討ちをかけている。
帰化したある人在日韓国人の男性が言っていた。しかも親が一代で築いた資産のある子息が言った。
「鄭さん。在日韓国人のお金持ちはほんのわずかでほとんどの在日韓国人は皆生活が大変で一生働いていかないとあかんのやで」という言葉に私も心の中で頷いていた。
1世たちの高齢者の国民年金も排除されて経過措置もとられることなく今もまた゜排除されたままである。地方自治体から頂く金額は1万円から2万円、月額これでは生活ができない。そのうえここから介護保険が引かれている。
1世は渡日してずっと排他的の日本という社会を心に刻んだまま日本でなくなっている。こうしたことが3・4世は御伽話にしか聞こえないだろう。しかし在日コリアンの現実である。
しかし日本社会で働くとことでなんとか食べていける。
昨日、脱北者も編集委員になって日本人ジャーナリストが書籍を作成して発行されるということで記者会見が行われた。北朝鮮の人々の生きている実態が明らかにされた。話しを聞いていて胸がつぶれそうだったがコリアンはたくましい。みんな必死になって生きている。統一されたときにこの本は貴重な資料になることを確信した。統一はまだ遠いように思う。しかし近いように思う。
北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、日本の景色、菜の花の田園、桜並木を思い出しているだろう。そして心の中で「花より団子」を願っているだろう。
またここで父親が死ぬ間際に私に話した言葉を思い出す。
「社会主義では飯は食えない」と言っていた言葉を思い出す。
日本の植民地で一族はばらばらになってそして解放されたと思ったら分断国家になった。無念の思いを晴らすところもなくただ家族を養うために働いた父親の言葉がやっと胸に染みるようになった。反面大嫌いな父親像も心の中にあるが----。
在日韓国人が政府に要請運動をして高齢者給付金も出るようになった。
ずっとこうして要請活動をしていかなければならない現実に若者たちが日本国籍にしていく。形では日本国籍になっただろうが体内にある血はけっして替えられない血には文化がある。その人の成りを形成している。その国の仕草もある。絶対に隠し通せるものではない。そしたら初めから自分の出自を明らかに生きていくほう樂である。自分を隠すことがもっとしんどいはずである。明かすことで心の中に空気を入れるようなもの。呼吸が楽になって生きやすくなってくる。このほうが楽だったと必ず気がつくはずである。
帰化してもルーツを隠し通せない。これは親のことを忘れてはいけない戒めだと私は思っている。親とは先人の歴史を忘れてはならないことである。隠し通している人、こんなことに早く気がついてほしい。そして日本社会がさらに心の壁を取り除く方法、日本政府が考えなければならない。
昨日も会ってきたんだけど、2回もヌいてもらって¥6ΟΟΟΟくれたよ(*^ー゜)b
もうやめれん。。w
http://span.yycola.net/yutto/zL958ENl.html