鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今、3時です。

2011-11-12 16:00:33 | 直言!
2時20分に昼寝から起きて電気毛布を取り入れた。
今日は編集局からたぶんメールが来ないと思ったがパソコンを開いた。
明日、民団新聞編集局のスタッフも他の職員も全員出勤です。
韓国の在外国民国政選挙投票の登録申請の受付から始まる。
明日から日本全国の駐在する総領事館などで受付が始まることから日本の報道関係者らも取材に訪れる。
様々な対応で全員出勤、それと18日は民団創団65周年を迎えるので職員たちはその準備でまた忙しい。
日本植民地支配から解放されてやっと言葉や民族や文化を取り戻すことができた。当分の間も、日本で暮らしていずれ韓国に帰ると思っていた。
それで民団は「居留」とついていたが3世が若者になっていく段階で4世の在留資格問題が出た。協定永住に法的に支障がでてきた。
そして2世たちから後は韓国に帰らないで日本で定住することがほぼ間違いがなかった。そして韓国と日本の国家かんの折衝で特別永住者になって民団も「居留」の文字をはずした。国家間の折衝はもちろん民団が韓国政府に働きかけてできたものである。
民団は何もないところから在日韓国人の心のよりどころの場所を作りそして日本政府に対して権益擁護、法的地位向上、人権問題など多種にわたる事柄に要望し運動し改善を求めてきた。
指紋押捺拒否運動も青年たちから発信した。
大阪にその第1号の息子さんと結婚した日本人女性と大阪歴史博物館の喫茶店であった。四天王寺ワッソ本祭が雨になってアカデミー発表会が大阪歴史博物館講堂で開かれた。9校の学校と1団体の発表、開始まで時間があったのたで喫茶店で待機していたときに偶然話した若い女性の夫が在日韓国人で彼のお母さんが指紋押捺拒否をした第1号と話してくれた。
こんなことが繰り返し運動と改善で特別永住者には指紋押捺がなくなった。
以前は最初15歳の誕生日の時にしているのに3年に1度、外国人登録証の切り替えのために10指、指を真っ黒にして指紋押捺をした。
今は5年に1度の切り替えで指紋押捺はしない。カード式の外国人登録証を貰って今度は5年後となった。カード形式も民団が運動して変えたものである。
最初にした指紋押捺は政府機関に保存されている。しかし切り替えの度にするのは指紋押捺をするのはどうかなと思いながらしていた。私は「こんなのするのが嫌です」という勇気がなかった。しなかったら逮捕されるという日本政府の法律があった。
父親からいつも言い聞かされていた。
「外国人だから登録の切り替えと指紋押捺をしないといけない」と話していた。
なぜこんなこと話すのだろうと若い時は思った。
私が民族というものに正面から関っていない時に世間ではすでに在日コリアンの青年たちが指紋押捺拒否運動が起こし始めていた。
いつも何か文章を書いていた私の多感な感受性に父親は心配して私に話していたことがかなり年を重ねてきてからわかった。

民団の活動の歴史をふりかえると1世たちのエネルギーはものすごかったと今更ながらに思う。働き経済構築をして子どもたちには学歴をつけてそして故郷、韓国のことは決して忘れなかった。
こんな話をすると3・4世は御伽噺に聞こえるだろう。
故郷の発展に努力を惜しまないで尽力をした。
その1つのエネルギーが北朝鮮帰還事業だった。在日韓国人の立場から見ると北送事業である。情熱で溢れた1世たち、北朝鮮の事情も知らないで帰国した。
どこからか北朝鮮の事情が入っていたのだろう。韓国政府と民団の関係だろう。
在日韓国人の青年たち70人が上野駅から出発した新潟行き列車、在日朝鮮人を乗せた帰国者を乗せた列車を止めさせようと枕木の上に70人の青年たちが寝転んで北送事業を反対した。列車をとめた。反対した青年たちは今や80代になっている。65周年を迎えてあの時を思い出している1世が多くいるだろう。小林旭の歌「北帰行」を聞くと北朝鮮に帰った人たちの人生がどうだったのかと頭をよぎる。

そして日本人報道関係者のいい加減さも呆れてしまう。
親は生きていると信じて日本人拉致被害者の救出に命を削っている。
それが平気で私の前で「○○○○○は死んでいる」といったマスコミ人がいた。
北朝鮮に行ってその子女に会ったことが自慢だったかもしれないが日本の報道関係者は北朝鮮から日本に帰ればこの言葉を発信することと約束されているのだろうか。私は何をもって北朝鮮にマイドコントロールされているのかその場にいることが恐ろしくなるほどだった。
私は北朝鮮にいったことがない。また事情も詳しく知らない。日本の新聞報道しかしらない。だが直感だった。
「生きている。なぜそうしたことをいうのですか。生きています。絶対に生きています」というと「死んでいる」と後を引かなかったが私は「生きている」と押し通した。最後、彼は「この問題は難しい」といって折れた。
北朝鮮も命がけで日本人を拉致している。命がけで訓練して北朝鮮の国益に利用するための人格を形成している。1年2年でできるものではない。長年かかってしている。
親は今も必死になって救出をしようとしている。
そんなところに「死んだ」と報道関係者に言わせる。何の国益があるのだろうか。私は国家間に関ることはしていないのでこれは素人の浅はかさと言われるが病死や事故死しない限り日本人拉致被害者は北朝鮮で生きている。救出を待っている。心密かに待っている。そう思うと日本のマスコミの恐さも感じている。
もう3時40分、夕食の支度です。

明日は朝早くから難波の韓国総領事館が現場取材です。
今日は早く寝ないといけない。

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