仕事もある。それでなかったら病院や所用と忙しかった。以前は何もないと寂しさを覚えたがこのごろは何もないときはほっとする。
仕事では何時に現場に着かなければならない。その時間を逆算して外出の支度をする。現場にいく電車にのるまえ40分ほど行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞1紙をよんで主婦から気持ちを切り替えて仕事の現場に向う。
そんなので今日自宅でぼんやり新聞読んだりテレビをみたりしている。
テレビ番組は昨日26日就任された安倍新総理、安倍内閣の組閣のことばかりである。
そんな中で見た他の番組の画面、西郷輝彦が来年は60歳、還暦を迎えると言っている。
ずいぶんと落ち着いた中高年男性になっておられた。
紺と白のペンシルストライプの背広がよく似合っていた。
そんな画面になつかしい歌が流れた。
「いつでもいつでも君だけに-----」なんと懐かしいメロデイーで恋の気持ちがふっと湧き上がってくる。
せつないロマンチックなメロデイーにふっと私の心の片隅に甘い恋の旋律が走っていた。久しぶりの体験である。
メロデイーが終わるとそんな気持ちはどこから遠ざかっていった。
私が高校3年か卒業した年だったかな。この歌が大ヒットをしたのは。このときはある同級生に恋していたけれどちっとも振り向いてくれなかった。
そして好意をもっていた男性とやっとデートができたら一言も話さない私に「あいつは面白ないわ」と言われてそれから相手にもしてもらえなかった。
そんな寂しかった青春が私の頭の中にかすめていった。
それから私の人生は何年も何年も山を越えてきた。
甘いロマンチックな恋の歌を思い出すほど悠長な人生でなかった。
毎日毎日の生活に追われて仕事を的確にこなすことに追われてきた。
それなのに当時の甘い歌に私の心はセンチメンタルになった。
社会人になってからE子と大阪の歌声喫茶にもいったがどこだったのか覚えていない。
梅田にあった有名な喫茶「田園」は高校時代の友達ときて都会の人間になった気持ちだった。
社会人になって昼食にAランチ、Bランチを食べる人はどんな生活をしているのだろうと思ったものだった。
あのころ梅田と難波にはダンスホールがあった。神戸市に引越しをした高校時代の同級生の話はこのダンスホールに行った話しをしていた。どんなところか想像しながら聞いていた。
高校時代の友人、E子は奈良市内にあったダンスホールに通っていたので私を1度誘った。1度顔を出したが父に知れてしまってそれから行っていない。
高校卒業して夜間の洋裁学校に通っていたが1年は真面目に通ったが2年目になると休んだりしてE子や他の友達となんだかんだと出かけた。
現在は奈良県公会堂の建物は新しくなったが古いときにE子の誘いでダンスパーテイーにでかけたが当時流行ったゴーゴーダンスなんて私はできるわけがない。驚いてびっくりして(純情だったのです)早々と退散して自宅に戻ったことを覚えている。
E子は行動派だったが意外と男女交際は真面目で結婚して一番平凡なおかあさんになって子どもを3人育てた。
また私のことをT子は高校時代「平川(通名)は百姓屋さんに嫁に行って子沢山になっている」といった。言ったT子は男子3人の子持ちになった。
子沢山といった私は子どもは一人っ子である。1人の男子を産んだだけである。結婚して環境が変わってストレスで病気になったので子どもが作れなかった。
今日の西郷輝彦の「いつでもいつでも---」のメロデイーにいろんなことを思い出した。
しかし現実は安倍新総理の誕生で組閣が発表されて日本の国家が動き出した。
在日韓国・朝鮮人のこと考えて教育基本法や人権法案について考えてもらいたい。日本列島は日本人だけが住んでいない。歴史の中で多くの人が日本に住むようになった。日本植民地時代の負の責務はきっちり孫の代にも対応してもらいたい。
今回組閣に入った女性代議士の言葉、在日同胞は決して忘れていない。在日同胞は選挙権がないからこんな言葉がでたのたろうか。
「日本植民地時代のことは私たちが生まれていないときの話しです。私たちにはなんの責任もありません」と無責任で歴史に無知な発言をした。これでこの女性代議士がいっぺんに嫌いになった。
しかし今や国際結婚している在日同胞は10人の中で8・5人になっている。ダブル国籍者はいずれ22歳になれば日本国籍を自動的に取っていくだろう。この子たちの親は韓国・朝鮮にルーツを持ったものです。家庭の中でそれなりのここと、日本が何をしたのか聞いています。
3・4・5世の存在を無視して話したその言葉の責任は大きい。
「知らなかったら勉強して下さい」と言いたい。今後も本の政治家は韓国・朝鮮半島の関係は子々孫々までつながっていかなければならない。歴史認識のためにこの問題から逃げないで学習をしてもらいたい。
日本人の大半はこんなとにはなんの関係ないのだろうと思ってるのだろう。
先日ある喫茶店で60代から70代の男性たちが集まっていた。商店のオーナーだ。
「組閣に入るか気になる。入ると思っているが」と話しておられた。
私は新聞を読みながら黙って聞いていたが案外、こうした年輩の男性の支援者が多いことがわかった。またここで年輩の男性たちにも日本植民地支配をした韓国と朝鮮、分断国家の悲劇も他人事のように解釈しているように見受けられた。
ちよっと辛口をのべて安倍内閣の国家の陣取りを眺めさせてもらうことにしょう。普通の人が汗をかく人が幸せになる社会づくりと話されたがそれは日本人が対象でしょうと心の中でつぶやいていた。
日本の国のしているいろんな統計やデーターは日本国籍だけの人の統計であると取材活動の中である教授から聞いた。そしたら日本のデーターではない。
日本人のデーターと言いたい。
外国人は統計の数に入っていないのである。
これでも外国人を排除していることが見え隠れをしている。
国際化と叫ばれて大方20数年の時を経ているのに日本の国は外国人がさらに湾外にはずされそうな危機感である。
こんな外国人の声をもっと大事にしてもらいたいものである。
仕事では何時に現場に着かなければならない。その時間を逆算して外出の支度をする。現場にいく電車にのるまえ40分ほど行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞1紙をよんで主婦から気持ちを切り替えて仕事の現場に向う。
そんなので今日自宅でぼんやり新聞読んだりテレビをみたりしている。
テレビ番組は昨日26日就任された安倍新総理、安倍内閣の組閣のことばかりである。
そんな中で見た他の番組の画面、西郷輝彦が来年は60歳、還暦を迎えると言っている。
ずいぶんと落ち着いた中高年男性になっておられた。
紺と白のペンシルストライプの背広がよく似合っていた。
そんな画面になつかしい歌が流れた。
「いつでもいつでも君だけに-----」なんと懐かしいメロデイーで恋の気持ちがふっと湧き上がってくる。
せつないロマンチックなメロデイーにふっと私の心の片隅に甘い恋の旋律が走っていた。久しぶりの体験である。
メロデイーが終わるとそんな気持ちはどこから遠ざかっていった。
私が高校3年か卒業した年だったかな。この歌が大ヒットをしたのは。このときはある同級生に恋していたけれどちっとも振り向いてくれなかった。
そして好意をもっていた男性とやっとデートができたら一言も話さない私に「あいつは面白ないわ」と言われてそれから相手にもしてもらえなかった。
そんな寂しかった青春が私の頭の中にかすめていった。
それから私の人生は何年も何年も山を越えてきた。
甘いロマンチックな恋の歌を思い出すほど悠長な人生でなかった。
毎日毎日の生活に追われて仕事を的確にこなすことに追われてきた。
それなのに当時の甘い歌に私の心はセンチメンタルになった。
社会人になってからE子と大阪の歌声喫茶にもいったがどこだったのか覚えていない。
梅田にあった有名な喫茶「田園」は高校時代の友達ときて都会の人間になった気持ちだった。
社会人になって昼食にAランチ、Bランチを食べる人はどんな生活をしているのだろうと思ったものだった。
あのころ梅田と難波にはダンスホールがあった。神戸市に引越しをした高校時代の同級生の話はこのダンスホールに行った話しをしていた。どんなところか想像しながら聞いていた。
高校時代の友人、E子は奈良市内にあったダンスホールに通っていたので私を1度誘った。1度顔を出したが父に知れてしまってそれから行っていない。
高校卒業して夜間の洋裁学校に通っていたが1年は真面目に通ったが2年目になると休んだりしてE子や他の友達となんだかんだと出かけた。
現在は奈良県公会堂の建物は新しくなったが古いときにE子の誘いでダンスパーテイーにでかけたが当時流行ったゴーゴーダンスなんて私はできるわけがない。驚いてびっくりして(純情だったのです)早々と退散して自宅に戻ったことを覚えている。
E子は行動派だったが意外と男女交際は真面目で結婚して一番平凡なおかあさんになって子どもを3人育てた。
また私のことをT子は高校時代「平川(通名)は百姓屋さんに嫁に行って子沢山になっている」といった。言ったT子は男子3人の子持ちになった。
子沢山といった私は子どもは一人っ子である。1人の男子を産んだだけである。結婚して環境が変わってストレスで病気になったので子どもが作れなかった。
今日の西郷輝彦の「いつでもいつでも---」のメロデイーにいろんなことを思い出した。
しかし現実は安倍新総理の誕生で組閣が発表されて日本の国家が動き出した。
在日韓国・朝鮮人のこと考えて教育基本法や人権法案について考えてもらいたい。日本列島は日本人だけが住んでいない。歴史の中で多くの人が日本に住むようになった。日本植民地時代の負の責務はきっちり孫の代にも対応してもらいたい。
今回組閣に入った女性代議士の言葉、在日同胞は決して忘れていない。在日同胞は選挙権がないからこんな言葉がでたのたろうか。
「日本植民地時代のことは私たちが生まれていないときの話しです。私たちにはなんの責任もありません」と無責任で歴史に無知な発言をした。これでこの女性代議士がいっぺんに嫌いになった。
しかし今や国際結婚している在日同胞は10人の中で8・5人になっている。ダブル国籍者はいずれ22歳になれば日本国籍を自動的に取っていくだろう。この子たちの親は韓国・朝鮮にルーツを持ったものです。家庭の中でそれなりのここと、日本が何をしたのか聞いています。
3・4・5世の存在を無視して話したその言葉の責任は大きい。
「知らなかったら勉強して下さい」と言いたい。今後も本の政治家は韓国・朝鮮半島の関係は子々孫々までつながっていかなければならない。歴史認識のためにこの問題から逃げないで学習をしてもらいたい。
日本人の大半はこんなとにはなんの関係ないのだろうと思ってるのだろう。
先日ある喫茶店で60代から70代の男性たちが集まっていた。商店のオーナーだ。
「組閣に入るか気になる。入ると思っているが」と話しておられた。
私は新聞を読みながら黙って聞いていたが案外、こうした年輩の男性の支援者が多いことがわかった。またここで年輩の男性たちにも日本植民地支配をした韓国と朝鮮、分断国家の悲劇も他人事のように解釈しているように見受けられた。
ちよっと辛口をのべて安倍内閣の国家の陣取りを眺めさせてもらうことにしょう。普通の人が汗をかく人が幸せになる社会づくりと話されたがそれは日本人が対象でしょうと心の中でつぶやいていた。
日本の国のしているいろんな統計やデーターは日本国籍だけの人の統計であると取材活動の中である教授から聞いた。そしたら日本のデーターではない。
日本人のデーターと言いたい。
外国人は統計の数に入っていないのである。
これでも外国人を排除していることが見え隠れをしている。
国際化と叫ばれて大方20数年の時を経ているのに日本の国は外国人がさらに湾外にはずされそうな危機感である。
こんな外国人の声をもっと大事にしてもらいたいものである。
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