鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日はやっと午前中休養ができた。

2007-01-30 16:51:20 | 直言!
昨日は月曜日、やっと落ち着いて自分の時間が取れると思っていたら知人の訪問で休養する時間もなくあわただしく1日が過ぎていった。
今日はいつもの女友達に連絡して昼ランチの予定にしてもよかったが私の体が休養を要求しているようで携帯にメールを入れなかった。
私が入れないと仕事で大阪か京都に行っていると思って気を使ってメールを入れてこなかったのだろう。
私も10時ぐらいまで新聞よんで彼女からのメールに気をつけていたが入ってこなかったので布団に入ってぐっすりと寝た。
ようやく睡魔のような疲れから取れた。

起きて肉ジャガの残りにカレー粉を入れてカレーにした。これを昼食にして食べた。何気なしにテレビのチャンネルNHKに合わすと歌手の都はるみが出ていた。京都弁というか関西弁の都はるみである。
このスタジォでナポリタンのスパゲテイーを作った。
昔懐かしい味付けのようだった。もしNHKのスタジオでなかったら彼女は胡椒の代わりに韓国唐辛子を入れていただろうと私は想像していた。
都はるみが住んでいたところは京都市上京区である。京都市南区に近い。
南区にいけば韓国料理の食材がたくさん売っている。
たぶんそうだろうと思ってみていた。
京都市南区にあった京都商銀南支店(韓国系の銀行で今は近畿産業信用組合に組み込まれた)があった。1度引退するときにこの商銀南支店で「引退コンサート」を開いたと在日韓国人の男性から聞いている。このことはおそらく日本人は知らないだろう。
そして都はるみを司会者が紹介した。
そのときに他の家族を紹介しても父親を紹介しなかった。
都はるみは父親の存在をきちんと皆に知らせなといけないと思ったのだろう。
都はるみは「私の父が今、1番前に座っています」と紹介したという。
私はこの話を聞いて都はるみは在日韓国人の1世の気質を知っているのだろうと思った。もしここで紹介しなかったら父親はプライドが傷ついて母親にあたり散らすことも知っているのだろう。
このコンサートを見た在日韓国人の1人の男性が引退するときの父子の秘話を話してくれた。コンサートに参加した人たちは都はるみの親を思う気持ちに触れたと話し、また応援しょうと思ったと話しておられた。

都はるみもダブルの国籍で生まれたことを話しているのでここにそんな秘話があったことを書き込みしてみた。
1965年前後(昭和40年前後)だが日本に少しずつ食べ物が出てきた。それでも卵もバナナも高くて手の届かないものだった。
スバゲテイーなんて初めて食べるものだった。あのときのナポリタン美味しかった。何も入っていない。玉葱とハムくらいだったのに美味しかった。
ミートスパゲテイーはミンチ肉が入っている。ナポリタンより100程度高かった。なかなか食べられない。だからナポリタンを食べた。給料をもらった時に1・2度食べたがたいていあのころはうどんかちょっと贅沢して親子丼だった。
でもコロッケ、揚げたてのコロッケもよく食べた。同じビル内の女子職員とよく食べた。誰かがまとめて買いに言った。

私が結婚のために会計事務所を辞める時の給料は1万2千だった。私は本代と週刊誌と昼食代、そしてたまに厚生年金やフエステイバルホールで開かれるコンサートに出かけたりした。それと夜の洋裁学校の月謝代にも使っていた。

けれど未だに1番印象に残っているのは高校時代の友人と一緒にいった写真展、大阪だったと思う。ベスビオス火山の噴火でポンペイの町が火山で埋まって町がなくなった様子の写真展だった。行ったことのない外国の町に思いをはせた多感な青春時代だった。しかし結婚に関してはいつも暗い気持ちになった。
絶対に日本人との交際はもってのほか結婚は絶対に反対だった。
そんな暗い青春でもあった。

都はるみの「アンコ椿は恋の花」と私の青春が重なってくる。

京都に住んでいた私の夫の母は都はるみがテレビで出てくるとテレビに向かって「はるみちゃん、はるみちゃん」とよく言っていた。
若い頃は京都市内に住んでいて同胞の家庭の結婚式があると料理作りの手伝いによく行っていたという。ひょっとしたら幼い頃の都はるみと出会っているのかもしれない。

1世のオモニたちは都はるみの歌う姿をテレビでじっと見ている。
そして言う。やはり歌のリズムの取り方が肩でとっているから韓国のリズムが体にある。韓国のリズムを知らない2世たちに説明をする。
夫の母親はそういいながら都はるみが出てくるとくいいるようにテレビを見ていた。
私はそんなリズムの取り方ができない。
歌の好きな人にはわかるのだろうか。夫の母親は歌も踊りも闊達な人だったと夫から聞いている。
その分、「親が家にいないから子どもは苦労した」とつぶやく夫の言葉にまだまだ私の知らない京都時代の夫の子ども時代があるようだ。

冬の中にも晴天の1月30日が暮れていく。
さて夕食の用意は何にしようか。
「菜の花」の食材があるのでバター炒めが私は食べたい。
夫は鶏肉をこんがりみそ焼きにしようか。
たらと白菜の水炊きを小さな土鍋につくろうか。
とりあえずまだ決めていない。
昨日は新ごぼうのきんぴらをした。美味しかった。
きゅうりの酢の物も1品つくらないといけないな。
夕食は何にしよう。まだ決めていない。

都はるみ出演のテレビを見終わった後、すぐにパソコンの前に座った。
1月の取材活動費用の明細書づくりをした。
なんせ、計算の苦手な私が計算機を叩いていく。
終わったのが4時過ぎである。
それからこの書き込みをしているがもう4時半が過ぎた。
1日が過ぎていく。
夕食の支度をするまえにちょっと休憩、コーヒーを一杯飲むことにしよう。
私の体も休養できたので少し体調がすっきりした。

早い。もう2月のカレンダーに現場の書き込みをしないといけない。
早い。はや-----。
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