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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

人の出会いは不思議である。この出会いはなんというのでしょうか。

2006-09-17 20:24:56 | 直言!
話を聞いている時はいつものように済州道は漢拏山(ハルラサン)を中心にしてまわりは海で自然環境の風靡なところである。と共通する観光地を話していた。
そしてこう話す。「海岸近くのペンションに宿泊しながらすぐ側のコンビニで何かをよく買ったりしていたがここの経営者は日本語が上手いのです。経営者はそのコンビニの3階が住居です」と言っていたが若いのにすごいなと思ったという。
その海岸の近くのコンビニ、そして日本語が上手い。さらに若いときた。
私はどうやら私の知人に似ていると思った。
特徴を聞くと私の意中の人である。
その男性は「その人はビールなど重い荷物を一生懸命運んでいました」と話す。
とりあえずインタビューが終わって私の携帯に入っている彼の携帯、韓国に電話をした。
「ヨボセヨ(もしもし)」という韓国語は板についている。
すっかり済州道の人になっている。
彼にその近辺の様子を話すとインタビューしていた人が宿泊していたところである。
私はインタビューをしていた人に電話を変わった。
風貌など話しコンビニを訪ねたときのことを話された。
話しが一致した。
そして彼とまた電話で話した。
彼は「世間は広いようで狭いということです」という。
不思議です。
本当に不思議です。
彼は日本生まれで日本育ち、韓国の大学に留学して大学院まで進んだ。
しかし日本の生活に戻そうと日本に戻ってきた。大阪府内で母親と一緒に暮していた。韓国には大学教授をしていた父親がまだ残っていた。
日本に戻りとりあえず就職をした。
そして次にきたところが在日韓国人経営の新聞社だった。
彼は精力的に真面目にコツコツと仕事をした。記事も上手かった。
この仕事をやれる人だった。
しかし経済構築をするのに父親は心配した。
父親は大学を定年退職した。日本に戻らないで生まれ故郷の済州道に帰った。
ここで息子のためにコンビニと貸しビルの事業をさせた。
そのために2年前に済州道で事業をするために新聞記者の仕事をやめて済州道に行った。
父親と一緒に暮らしコンビニを経営しみかん農園もしている。
30代半ばの彼の行く先を1番案じたのはやはり親だった。
彼も親の敷いたレールに乗って事業家としてがんばっている。
初めてお会いした日本人の男性、インタビユーをしていて人間関係の不思議さに驚いた。
新聞社は違ったが大阪で記者活動していると何社もない在日韓国人の報道関係、彼ともよくあった。情報交換もしあった。
しかし記者魂が双方にあったのか肝心な情報は心の底でとめておいたものだ。
彼が退職する前にインタビューに行ったのが野球選手で活躍するHさん。
「僕らの取材記事で彼はいろんなところからバッシングをうけたけど彼は出自を出してがんばっている」と話していた。
そんなことなどを思い出す。
済州道に行ったときはぜひ訪問したいと考えているが私のライフワークの仕事がほとんどソウル、なかなか済州道までいけない。
海岸沿いにあるコンビニを訪ねたいものである。

彼ならやれる。真面目にコツコツする能力がある。
そしてカメラが好きだ。カメラを見る目でどこか感性が違う。
人柄もいい。
ただ日本で就職することは大変だった。韓流ブーム前だった。
韓国の大学を卒業した人には本名で仕事をすることはまだまだ道は険しかったようだ。

韓国での事業に邁進してほしい。
長く生きた私の人生、また不思議な出会いになった。
彼との人間関係をよくしていて良かったと胸をなでおろしてい
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (鄭容順)
2006-09-18 07:51:21
ありがとうございます。参考になれば。
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