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三浦環 その2

2020年07月31日 | お知らせ
上野の音楽学校予科に入学した17歳の環さんですが、お父さんとの約束通り自転車で芝から上野まで通いました。そのころの大和なでしこは運動さえはしたないこととされていましたから、「緋色の袴、紫の着物、白いリボン」でペダルをこぐ様子はたちまち噂となり、自転車小町として新聞にも載ったのだそうです。学生さんたちに大人気を博し、恋文が山と届いたとか。小町系のご家庭だったのですね。

学校では最初から声楽が専門で、(たぶん)副科のピアノは滝廉太郎にならったそう。そしてまた、滝も熱心な求婚者だったそうです。藤井軍医とは「内祝言」を挙げたのみで、軍医さんはすぐに中国に赴任してしまったため誰も環が既婚者だとは思わなかったのだそうです。

学校時代の学習の様子は述べられていませんが、印象的なのは「昭憲皇太后の御前で、日本で最初の御前演奏をした時」の描写です。
少し引用してみましょう。

(以下引用)
恐る恐る御見あげ申す陛下は純白の御召物に、お胸には紫色のすみれの花束が匂っていらせられた。歌い終って尊くも御拍手をいただき、いざ御退場という時、そこに立って御見送り申し上げていた私の方を、あの何ともいえぬ涼やかなお美しいお目で、じっと御覧あらせられた。その時の私の身の引きしまるような深い感激。この感激こそ自分は一生忘れまい。この感激のためにこそ、私は音楽に自分の一生をささげようと、はじめて、深く深く心に決する所があった。
かしこくも其際、私は羽二重の着物を頂いたのであった。
(引用終わり)

・・・とても昭和生まれには書けない文章でございます。

昭憲皇太后は明治天皇の御奥様ですね。


白いお召し物(洋装でしょうね)に胸にはすみれのコサージュ。すてきです。

この時、環はメンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」から、ソプラノのアリア「エルサレム」を歌いました。

聖パウロは2時間くらいかかる長いオラトリオで、イエスの弟子パウロが改心してイエスを師と仰ぐようになり、キリスト教に改宗する様子が4人のソリスト、児童合唱団、混声合唱団などで紡ぎ出されます。メンデルスゾーンはユダヤ人で人種差別で苦労し、キリスト教に改宗した人物ですから、パウロに親近感があったのではないかと推測されます。

「エルサレム」は第一部の前半(まだパウロが改心する前)にうたわれるアリアです。

F.Mendelssohn Aria «Jerusalem» from Oratorio “Paulus” op.36.


こちらで視聴できます。リリコソプラノの方があっていそうな曲ですね。清らかな女子学生にぴったりな感じですが、息の支えがたいへんそう!

そして、そのころ声楽を学ぶ人がすくなかったということもあり、環さんはほうぼうの音楽会に呼ばれるようになりました。21歳で大学は卒業、その後研究生というお立場になったようです。
ちなみに、音楽会には幸田延(幸田露伴の妹、ピアニスト・バイオリニスト)と一緒のことが多かったとか。いったいどんな演奏会だったのでしょうね。

(つづく)

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