ひさしぶりに曲目解説です。
9月のウェルカム・コンサートで演奏する「母と子 陽だまりのうた」(編曲:太田彌生)には、「おつかいありさんの回想」という副題がつけられています。曲は、おつかいありさん→めだかの学校→こじかのバンビ→証成寺の狸囃子→ぞうさん→ありさん+ぞうさんという順に、それぞれがダイナミックな転調、カノン、ピアノに旋律を任せる母音唱などで構築され、作品全体に「おつかいありさん」の旋律イメージが通底するといった構成になっています。
太田先生の作品はとてもチャレンジングですが、本作品もその例にもれず複雑なリズム、高度なソルフェージュが盛り込まれ、たいへんに取り組み甲斐がありました。
この中の「おつかいありさん」「めだかの学校」「証成寺の狸囃子」「ぞうさん」について、順番に短く解説いたします。
●おつかいありさん 作詞:関根榮一 作曲:團伊玖磨 昭和25年
この曲は、子どものうたの作詞で名高い関根榮一が初めて書いた作品で、NHKラジオ「幼児の時間」からの委嘱によるものでした。当時関根は24歳、私鉄の駅に勤めるサラリーマンでした。ある日、前職である東邦産業研究所(現サンケン電気株式会社、セレン整流器研究で創業)の嘱託職員で知遇のあった森義八郎という作曲家と偶然再会し、子ども向けの作詞をすすめらたといいます。森は、NHKにも紹介してくれたそうです。関根は工業高校出身のエンジニアだったようですが、森の目にはその才能が見えていたのでしょうね。
関根が詞を書き上げ、NHKに原稿を持参するとその場で即決。「作曲家は森先生にしますか?」と聞かれました。関根は「促音(引用者註:小さい‘っ’)が多くてリズミカルな歌詞なので…(中略)…なるべく私と同じ歳くらいの人にしてください」と伝えたのだそうです。担当者が、芥川也寸志、團伊玖磨、中田喜直の名前を挙げる中、「どなたでも」と答え、結果的に團伊玖磨がえらばれたとのこと。関根は「童謡のことも、芸大を出たての新進作曲家のことも、何もわからなかった」そうです。團とは翌年「かえるのうた」も共作しています。
昭和50年、丸木 俊の画で、関根の詩集「おつかいありさん」が出版されました。(国土社)同書は日本童謡賞・赤い鳥文学賞特別賞を受賞しました。
●めだかの学校 作詞:茶木 滋 作曲:中田喜直 昭和26年
この作品は、NHKの「うたのおけいこ」という番組の中で放送されました。歌い手の安西愛子が親しみを込めて「うたのおばさん」と呼ばれ、子どもにも母親にもたいへん愛された番組でした。
作詞家の茶木 滋は横須賀市出身、第四中学校(横須賀中学校、現在の横須賀高校)から、明治薬学専門学校 (旧制)に進学、製薬会社に勤めるかたわら、幼年時から親しんだ詩作に励みました。
ある日、その当時住んでいた小田原の荻窪用水近くを散歩していると、メダカが群れをなして泳いでいた、それが学校のようだった、というイメージがのこっており、NHKに作詞の依頼を受けた際にその印象がこの作品に結実したとのことです。一説には、息子の義夫君3歳が、何かに驚いて蜘蛛の子を散らすように泳ぎ去ったメダカを見て「大丈夫、もどってくるよ、だってメダカの学校だもん」と言ったとも伝えられます。
作曲は中田喜直。中田によれば、『「そっとのぞいてみてごらん」は最初一行しかなかったが、当時親しくしていた女性が、「そこのところをもう一度繰り返したほうがいいわよ」と言ったのでそうした、そうしてよかった』と、きれいな女性を好まれた中田先生らしいコメントをのこしていらっしゃいます。
横須賀の三笠公園(戦艦三笠の顕彰公園)近くに、歌碑があります。
安西愛子さん。おばさんとお呼びするには若々しい印象ですね!
長くなりましたので、狸囃子とぞうさんは別の機会に。
当記事は、別冊太陽 1993年7月号、ウィキペディア、国会図書館蔵書などを参考に作成いたしました。