コール・ウェルカム

活動予定をお知らせします

マリンバ@福井県

2018年04月26日 | その他
楽器のふるさとといえば静岡県、と思っておりましたら、マリンバとハープの製造は福井県が独占していました。

福井県と聞くと、越前ガニ、鯖江のメガネフレーム、越前生漉き和紙、永平寺、などが(教養のなさが露呈)思い浮かびますが、その永平寺のおひざ元に「こおろぎ社」というマリンバのメーカーがあります。


本社工場です。緑深い抜群の環境にありますね。

こおろぎ社は、戦後間もない昭和24年、まず教育用木琴の製造で創業しました。この当時は親族経営の小さな工房でしたが、4年後に「こおろぎ社」を設立、同時に立奏木琴の製造を開始します。昭和50年にはプロ演奏家向けの本格的マリンバの開発に着手、そして、昭和57年、世界で初めて量産型ヘルムホルツ型共鳴管を開発します。(どのようなものかはわからないのですが・・・)この共鳴管が、現在世界の主流となっているのだそうです。

製造工程を拝見。

こおろぎ社HPより。

原木はローズウッドで、この素材の良しあし(プラス乾燥・加工)が製品の価値を決めるとのことで、なるべく太く、まっすぐな材木を現地で仕入れているとのこと。

数年のエイジングでよく乾燥させ、加工してからもさらに人工的に乾燥させるんですね。
そして、板の裏を削って響きを調整、人の耳でも音の正確さをチェックするそうです。


響きを増幅する共鳴管。
一部ロボットも導入されているようです。

こうしてみると、マリンバというのは木と金属という異素材同士の組み合わせで、素材的にはピアノに似ていますね。発音体がピアノは金属の弦、マリンバは木の音板、と入れ替わっているのも面白いです。

こおろぎ社の名前は、その名の通り、こおろぎなのだそうです。
創業当時、教育用木琴は「朴」の木で作っていたそうなのですが、素朴な響きの音板に交って、ときおりコロコロとよく響く板があったとか。そのコロコロがこおろぎの美しい鳴き音に似ていたため、それにあやかって社名にしたとか。


こちらが(たぶん)最高グレードの楽器です。立ち姿も美しいですね。

福井県では県の誇る二大楽器産業を大切に育てようと、県立の音楽堂「ハーモニーホールふくい」で、毎夏マリンバとハープのセミナーを開催しています。(相互に隔年開催)


以上の情報は、こおろぎ社HP http://www.korogi.co.jp/customer/、ハーモニーホール福井HP https://www.hhf.jp/seminar/hp-mr-beginner、実は福井の「技」http://info.pref.fukui.jp/tisan/sangakukan/jitsuwafukui/culture/167.htmlなどで勉強させていただきました。ありがとうございました。





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かもめの水兵さん

2018年04月22日 | 曲目解説
誰もが知っている「かもめの水兵さん」。実は意外に古い曲で、昭和8年に作られました。
作詞は武内俊子、作曲は河村光陽で、このお二人は「りんごのひとりごと」(私は真っ赤なりんごです お国は寒い北の国・・・」「赤い帽子白い帽子」という作品も作っていらっしゃいます。

山下公園の氷川丸近くに歌碑があります。

(東京湾観光情報局より。http://tokyo-bay.biz/pref-kanagawa/city-yokohama/kn0462/)

どうしてここに歌碑があるのか。それは、作詞家の武内さんがお寺のご出身だったから?です。


武内俊子さん。お美しいです・・・(三原市HPより)

武内さんは広島県三原市にある浄念寺で生まれ、結婚して世田谷に移られました。親族には浄土宗の関係者が多く、叔父にあたる渡邉哲信さんも僧侶であり、なんと明治35年から2年間、第一次大谷探検隊の隊員として、ユーラシア大陸を西から東へ横断し、パミール高原を越え、タクラマカン砂漠を越えた最初の日本人だったそうです。この探検は仏教伝来のルートをたどりながら探るフィールドワークだった由。探検家としても知られます。

前列左から2人目が探検家渡邉哲信

そしてまた、昭和8年、別の叔父である足利瑞義(あしかがずいぎ/福山・勝願寺住職・本願寺派勧学・本願寺執行長・龍谷大学学長)さんが、布教のためにハワイへ旅立つことになりました。俊子は叔父を見送るために横浜港に赴きます。そこで見たのが、たくさんのカモメなのでした。

俊子は帰りの東海道線でいましがた見たカモメのイメージを膨らませ、詞を書きあげます。そして、かねてから知己の間柄だった河村光陽に電話をかけ、作曲を依頼したといいます。

(みかんの花咲く丘といい、カモメの水兵さんといい、東海道線は作詞作曲活動に向いていたんでしょうか。)

何でも「すなおな歌詞なので、ドミソで始めた」(河村光陽)とのことで、なるほど~ハ長調のドミソで始まっていますね。河村さんのお嬢さん河村順子さん歌唱で、キングレコードから販売され、戦前の童謡の中で最大のヒット曲になったとも言われるそうです。

明るくて、情景が目に浮かぶようで、幸せな曲ですね。
というわけで、かもめの水兵さんの中のカモメたちは、浜っ子なのでした。そして、それだからここに歌碑が設置されたんですね。(長洲知事時代)



この記事は、三原市HP,横浜市HP,東京湾観光情報局などを参考に作成しました。ありがとうございました。



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鈴木楽器製作所

2018年04月15日 | その他


このミニミニハーモニカ、ちゃんと音が出ます。鈴木楽器製作所がつくったノベルティです。

浜松市にある鈴木楽器製作所は、昭和29年、鈴木萬司さんによって設立されました。


鈴木萬司鈴木楽器製作所会長

鈴木さんは、浜松市出身。幼いころからハーモニカの音が大好きで、ポケットのなかにはいつもハーモニカがありました。中学校を卒業してすぐにカワイ楽器に就職します。そしてそこでハーモニカの製造に関わりました。

太平洋戦争中は海軍に所属。戦後浜松に帰還すると、再びカワイ楽器に復職し、次第に独立を考えるようになりました。そして1953年に独立、農家の水揚げ小屋のモーターを夜間だけ借りて、リードを作ったのだそうです。翌年の1954年には、株式会社鈴木楽器製作所を設立します。

鈴木楽器製作所のハーモニカはJIS企画も取得し、昭和33年には文部省の教材基準で音楽教育にハーモニカが採用されるという幸運にも恵まれ、同社の業績は大きく進展します。

ハーモニカ愛に溢れている鈴木萬司さんは、小学生がどのようにハーモニカの勉強をしているのか、何か改善点はないか、と実際にいくつもの学校を回って授業の様子を見学しました。

そこでわかったのが、「ハーモニカは音を出すところが見えなくて先生も児童もわかりにくそうだ」ということでした。

卓上で演奏できる吹奏楽器があれば先生が指導しやすく、児童全員が鍵盤学習できると思いつき、開発されたのが「メロディオン」すなわちピアニカです。今までなかった概念の楽器をつくるのはそれは大変で、この楽器が誕生するには数年を要し、鈴木さん自身も96時間連続労働、まさに不眠不休で開発にあたったのだそうです。


メロディオン初号機(1961年)

ちなみに、メロディオンという名前は、メロディとアコーディオンを合体してつけたそうですよ。

このように誕生した鍵盤ハーモニカですが、鈴木楽器製作所のみなさんの努力が実を結び、1969年、文部省の学習指導要綱で音楽教材基準に位置づけられました。

つまり、鍵盤ハーモニカは浜松生まれ、そのオリジンはその名の通りハーモニカだったんですね。

鈴木楽器製作所では、今でもすべての部品を自社生産し、自社工場で組み立てているとのことです。出荷前の最終段階では、リードのピッチチェック名人鈴木富士夫さんが絶対音感によって可不可を出すのだそうで、どこまでも人の手が関わり、人の愛情が注がれて子どもたちのところに届くのだということがわかります。


小学生の工場見学で大人気。年間3000人もの小学生が訪れるそうです。


鈴木名人

鈴木楽器では、ハーモニカはもちろん、ハモンドオルガン、大正琴などもつくっています。
 
そういうわけで、冒頭のミニミニハーモニカ、音がちゃんとしています。一つの穴で吹く吸う兼用で、曲も演奏できる仕様です。鈴木楽器製作所、もと小学生として御礼申し上げます!

この記事作成にあたっては、
鈴木楽器製作所HP、https://www.suzuki-music.co.jp/
家康くん日記http://hamamatsunogenki.hamazo.tv/e4297261.html
ふじのくに音楽文化情報サイトhttp://www.fuji-culture.info/achievements/03.html
などの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。








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湘南グループ 日本のうた・歌・詩 春のコンサート

2018年04月14日 | 演奏会お知らせ
本日、戸塚のさくらプラザホールで開催された「湘南グループ 日本のうた歌・詩 春のコンサート」に、長島和美先生がご出演になりました。



先生は第一部の「雪が降る」(初演)、第二部の「二重唱のために『二つの日本の歌』」(五木の子守唄、会津磐梯山を歌われました。


「雪が降る」は、作詞:あわくら健二先生、作曲:太田彌生先生の作品で、可憐な歌詞に繊細なメロディ、ピアノ伴奏がつけられた素敵な作品でした。

また、「二つの日本の歌」は、熊本・福島の民謡で、作曲の広瀬正憲先生が被災地への思いから作品化されたとのことです。奇しくも今日は熊本大震災が発災した日でした。お客様も、特別な思いをもって聞き入っていたように思いました。


湘南グループの次回定期演奏会は、秋に鎌倉で開催予定とのことです。

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練習日と演奏曲(案)ほか

2018年04月11日 | コーラス連絡
皆さま、

練習お疲れさまでした。以下ご確認ください。

■5月~7月の練習日
5月→9日(水)、22日(火)
6月→6日(水)、13日(水)、19日(火)、26日(火)
7月→11日(水)

■演奏活動
6月23日→ウェルカムコンサート
7月3日→桂台ケアプラザ演奏活動
 
■演奏曲
ウェルカムコンサート
「いつの日か」
*以下の曲はカット→「叱られて」「月の沙漠」「証城寺の狸囃子」「みかんの花咲く丘」
*以下部分的にカット→「汽車のうた」の冒頭2小節、「里の秋」の2番


桂台
「ワルツ・海」「愛の歌・たなばたさま」「「いつの日か」(前半後半にわけて)
「見上げてごらん」
皆様ご一緒に→カモメの水兵さん、我は海の子他2曲
ソロ→サマータイム他1曲
ピアノソロ→1曲

以上すべて予定です。
桂台用の楽譜をご用意ください。紛失した方は連絡係にご相談ください。

それから、火曜日の練習時間を14:00~とする案が出ました。次回要検討です。

以上

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びわ湖ホール声楽アンサンブル

2018年04月11日 | その他
前回の記事で触れた「びわ湖ホールの合唱団」ですが、正式な名称は「びわ湖ホール 声楽アンサンブル」でした。




全国から厳しいオーディションを経て選ばれた声楽家により構成される日本初の公共ホール専属声楽家集団。
ソリストとしての実力は言うまでもなく、アンサンブル、合唱の中核となり得る優れた声楽アンサンブルとしても各方面から注目を集めている。
びわ湖ホール独自の創造活動の核としてびわ湖ホール開館の年の1998年3月に設立して以後、びわ湖ホール自主公演への出演を主な活動とし、オペラ公演や定期公演を行うほか、依頼を受けて全国各地でも多数の公演を行っている。
また滋賀県内の学校を対象とした公演を行うなど、音楽の普及活動にも積極的に取り組んでいる。
2013年度第26回大津市文化賞受賞。


とのことです。(びわ湖ホールHPより)

道理でお上手なはずです。メンバーのみなさんの出身地を見ますと、東海地区、東北、九州、関東など、ほんとうに日本中から集まっていらっしゃいます。

女性のドレスは裾が水色で上半身に向かって白くグラデーションになっています。これはきっと琵琶湖をイメージされているのでしょうね。

以下はyoutubeで公開されているホワイエ?での演奏風景です。(このドレスはピンクです。いろいろあるのね!)トリッチトラッチを楽しそうに日本語で演奏されています。

2014年ラ・フォル・ジュルネ びわ湖ホール声楽アンサンブル3

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第61回ニューイヤーオペラコンサート(今ごろ!)

2018年04月08日 | その他
まことに旧聞に属しますが、今年もニューイヤーオペラコンサートに行ってまりました。3カ月も前のことです。


昨年末は運よくS席が入手できまして、1階の後ろから二列目、少し下手よりの場所に座りました。最後列は音声ミキシング席だったようで、たくさんの機材が置かれていました。ということは、きっとバランスよく音が届くよい席だったのだと思います。


今年の指揮者は沼尻竜典さん。びわ湖ホールの芸術監督で、昨年紫綬褒章を受章された方です。

マエストロがびわ湖の方なので、合唱の方たちも滋賀から参加されていました。

演奏の方は、一部が「モーツアルトファンタジー」と題して、いろいろなオペラからさまざまなアリアを持ってきて、一つのお話にまとめて演奏してみました、という趣向ものでした。
なんというか・・・無理してひとつのお話しにしなくてもいいのに、というのが率直な感想です。何しろドイツ語とイタリア語がまざっていまして、???と思っているうちに終わった印象です。
ただ、盛田さん・森屋さん・小泉さんの三重唱はとてもよかったです。すばらしく息があっていて、ピッチもぴったり。とてもお上手でした! 天使の扮装をされていたのでだれがだれだかわからなくて、ちょっとお気の毒でした! 


第二部ロッシーニ没後150年特集(ピアノ伴奏4曲)をはさんで、第三部はいろいろなアリア。中村恵理さん(椿姫、さようなら過ぎ去った日よ)、清水華澄さん(ドンカルロ、ヴェールの歌)の演奏が圧巻でした。




他にも、戸塚出身の市原愛さん、おなじみの幸田浩子さん、福井敬さん、村上敏明さんなどがご出演でした。


今年はセットもシンプルで、会場の花も少なめ。それでも、お客様もドレスアップしていて、やはり新年は華やかでいいですね。

来年もチケット争奪戦を勝ち抜き、また印象などをお知らせしたいと思います。なるべく早めに。

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総会無事終了

2018年04月05日 | その他
皆さま、

本日の総会お疲れさまでした。

今年度も充実した練習と演奏活動が実施できました。
役員をつとめてくださった山田さん、渡邉さん、ありがとうございました。

来年度は連絡係:横田さん、会計:井上さんとなりました。どうぞよろしくお願い致します。

そして、隠れ家レストラン「クレモナ」、おいしかったですね。

写真がなんともひどくで申し訳ありません!!


前菜しか写真を撮れませんでした!!!

今年度もどうぞよろしくお願いいたします。


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ドロットニングホルム宮廷劇場その2

2018年04月03日 | その他
本日所用で「ひまわりの郷」にまいりましたら、図書コーナーに『世界のオペラハウス』という本があり、そこにドロッットニングホルム劇場の解説がありました。当ブログは、管理者のページで閲覧数を見ることができるのですが、あまたある記事(笑)の中で読者の皆様が興味を持っていらっしゃるのがドロットであることがわかりましたので、受付に頼んでコピーをとってもらいました。



『世界のオペラハウス』
音楽之友社 1989年初版 著者:ロバート・ターンブル、訳者:堀内修

30年ほど前の本ですので、すでに版元絶版です。また、内容も古くなっており、オペラハウスガイドとしても使いづらい状況かと思います。ただ、ドロットに関してはもともと古いもので、その上その古さをそのまま伝えるのが存在意義でもあります。

すこし長くなりますが、ターンブルさん(訳堀内さん)の記事を抜粋してご紹介します。

■以下引用
ドロットニングホルムを訪れるのは、劇場の楽しみが王侯貴族の特権として保たれていた安逸の時代を訪れる、過去への旅である。啓蒙時代に作られて今も残る劇場の中でも、ドロットニングホルム――スウェーデンの、芸術への興味を持っていたグスタフ3世(その今日の子孫であるカール・グスタフ16世も同様である)の王宮――の小さな宮廷劇場は、現在なお、作られた当時のままの完全な舞台機構を維持しているのである。舞台転換の奇跡をなし遂げる、滑車やロープ、木製の筒などからなる複雑な機械装置だ。18世紀のオペラの特性が表れるスペクタクルは、(中略)場面をすばやく転換したりすることである。これを、全体の移動を操作する中央の巻き上げ機を、4人の道具方が運転して、数秒のうちに実現してしまうのである。
(中略)
建物の中心部のまわりに、ア―デルクランツ(引用者註:設計者)は、休憩室、楽屋、それに台所や食堂までこしらえた。夏のあいだ、ドロットニングホルムに雇われたフランスの俳優やイタリアの歌手による専属の一団を収容するためと、18世紀の宮廷劇場のもう一つの存在理由である、王の社交的な催しのための場所として使うためである。
(中略)
グスタフ3世が暗殺されると(中略)、王宮でのすべての劇場的な活動が終わりを告げた。そしてこの小さな劇場は、100年間にわたって使用されなかった。
1921年の冬に、劇場の扉は、劇場史研究家アーネ・ベイエルによって開けられた。ベイエルは、魅惑的で重要な発見を喜ぶとともに、その目的通りの用途に用いるため、この建物を復活させようと企てた。以前には、図表や文献でしか入手できなかったバロック劇場における上演の知識への新しい扉を開いた時から、ベイエルの発見の価値は、過小評価されようがなくなる。ここドロットニングホルムには、荒れ果ててはいたが実質的にはそっくりそのままの、魔法の舞台仕掛けのつまっている箱があったのである。
(中略)
第二次世界大戦後スウェーデン政府は、この劇場を国の博物館にし、芸術監督を任命し、夏の間、舞台の規模や設備、それに客席の雰囲気にふさわしいオペラやバレエを上演するためのこの劇場に対する全責任を負うことになった。
(中略)
劇場内での、公演の雰囲気づくりもまた非常に効果的である。幕が上がる前にも、コスチュームをつけ、かつらをつけた従僕が、杖で木の床を鳴らして合図したりするし、同じように18世紀の仕着せを身につけた演奏家たちが、宮廷の廷臣風の様子を保っている。
(中略)
定期的にここを訪れる者は、同じ街の風景、牧歌的な森、海の風景、そしていろいろなオペラでの天国と地獄をみることになるだろうが、これらはグスタフ3世の時代の上演方法なのである。こした舞台美術は、この瀟洒なオペラ・ハウスの活動を体験できる幸運な人たちすべての生活を豊かにするための、音楽的、劇場的な知識の遺産を20世紀においてもたらす、投資なのだとみなされている。

■引用ここまで

客席数は454だそうです。夏の上演は現在も行われており、登録するとニュースレターが届きますが、スウェーデン語なので何が書いてあるかわかりません・・・・。

手元の「週刊世界遺産」によりますと、この宮殿は北欧のベルサイユ宮殿とよばれているそうで、幾何学模様に整えられた庭、陶磁器を集めたブルーの「陶磁器の間」、中国風四阿などが有名だそうです。

これは宮殿の中の「カール11世展示室」。


中央に見えるのが庭、その左側にドロットニングホルム劇場。庭の突き当りが宮殿です。

省略したところにも興味深い情報がありますので、どうぞ図書館でご確認ください。

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