音楽に関わる人であればたいていはお世話になっているヤマハ。
銀座通りに昔から「ヤマハ銀座店」があります。現在はファサードが多色ガラス張(音楽のリズムを表現しているらしい)で、1階は受付とミニコンサートができるオープンスペースになっています。この「新ヤマハビル」が竣工したのは2009年(日建設計)で、その前はすっきりとした印象のビルが建っていました。
極めて個人的な話で恐縮ですが、新卒で就職した会社が銀座8丁目にあったため昼休みにはよく銀座通りまで散歩に行き、ヤマハの中をぶらぶらしたものです。正面の入口を入ると一階がレコード(だったんですね、当時は)売り場で、入ってすぐのところにひんやりとした石づくりの手すりを持つ階段があって、地下は楽譜売り場でした。
そして、一階から見上げると建物の内側ぐるりに回廊があり、その上に二階があったように思います。回廊にはずらりと鍵盤楽器が置かれていて、そこで試弾したり、時にはレコード会社の人が若い演奏家のオーディションをしたりしていました。
今はもうありませんが、日比谷にあった三信ビルもすてきな回廊のある建物で、この三信ビル、ヤマハ、交詢社、日比谷大ビル(もう、全部なくなってしまった泣)が、私の好きなビルでした。
この昔のヤマハビルを設計したのが、アントニン・レイモンドというチェコ出身の建築家です。レイモンド(レーモンド表記もあります)は、日比谷にあった(現在は愛知県の明治村に移築)旧帝国ホテルを設計したフランクロイドライトのお弟子で、1919年、帝国ホテル設計・施工のためにライトとともに来日しました。
↑ライト設計の旧帝国ホテル(中央玄関部)。これが皇居の目の前にあったというのが驚きです。(探したら出てきた大昔のスナップ写真。同郷の友人たちです)
その後ライトの元を離れて独立、関東大震災の後に事務所をつくります。戦争の影響で一時アメリカにわたりますが、1948年に再来日、1973年に米国に戻るまで日本で設計を続け、多くの弟子を育てました。現在もレイモンド設計事務所はよい仕事を続けています。
この写真は神奈川県立美術館で開催されたレイモンド展のポスターですが、奥様のノエミさんと自宅でくつろいているところです。ご自宅は笄町(現在の麻布)だったそうで、狸穴という地名が今も残るくらいですから、その当時はとても自然が豊かだったのでしょうね。避暑地のようです。
レイモンドがヤマハの設計をしたのは1950年代のようですので、戦後再来日して仕事が軌道に乗ってきたころでしょう。銀座の教文館もレイモンド作品です。この教文館ビルには塔屋があるそうですが、今はそのまわりを看板で覆っているらしく、ちょっと残念ですね。
そしてレイモンドはそのときにピアノのデザインも行っています(1960年くらい、GBシリーズ)。アップライトとグランドのシリーズで、5~6種類あったようです。特にアップライトのデザインは面白く、足元の板(普通のピアノだと大きな板が手前にはずれるようになっている箇所)は多孔板で足元が左側が浅く、右側が深い不思議な意匠です。そして、鍵盤のふたはスライド式、譜面立てはずいぶん前にあり、弦が収まっている筐体部分は革張りです。「レイモンド ヤマハ アップライト」で動画検索すると、ピアノ屋さんが納品前のレストア品を解説している動画がヒットしますので興味のある方はどうぞ。
建築家で家具のデザインをする人はたくさんいて、とくに椅子にはみなさん個性を出していらっしゃいますが、ピアノのデザインをするのは珍しいかも。音響設計的にはどうなんでしょうね。聞いてみたいものです。グランドピアノの方は、高崎で2008年に発見されています。
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高崎新聞の記事
http://takasakiweb.jp/news/article/2008/05/2301.html
レイモンドのヤマハビルは、ひんやりとした、喧騒を圧するような空気感がありました。建築にも、楽器にも、手わざの感覚が残る、そんな時代だったのでしょうね。