前回初見で練習した「春の日の花と輝く」、きれいな曲でしたね。讃美歌風だというご意見を思い出し、手元の讃美歌集をみてみましたら、ありました。讃美歌467番(児童)。
歌詞が小さいのですが、ご覧になれますか? 昔イエス様は、幼い子どもを集めてみ教えをさずけていらっしゃたものだ。今は天の国にいらっしゃるが、そこでは信仰を得た子どもたちが特別な家で憩い、イエス様をほめたたえながらともに暮らしている、というのが大意です。
日本の讃美歌は、明治36年に各派がそれぞれの讃美歌集を統合集成し作成した「共通讃美歌」、その後行われた昭和6年の大改定、そして戦中戦後の価値の大転換をうけて再編集された現行の「讃美歌」(昭和29年)、さらにもう少し少人数でも親しめるものをという要望を受けて、「讃美歌第二編」(昭和42年)というふうに時代に合わせて編集・改定がすすめられてきました。その時々で海外の讃美歌集や集会で愛唱される歌、のちにはゴスペルなどから歌が選ばれ、その曲に大意を汲んだ歌詞が付けられました。また戦後の改定時には歌詞と曲のコンテストが行われ、受賞作が讃美歌として採用されました。
ということで、長らく「讃美歌」という本が世界共通で存在して、それを日本語に直したのが日本の「讃美歌」なのでしょうと思っておりましたが、現在私たちが目にする「讃美歌」は先人がご苦労の末に編集発行された日本独自のものなのですね。
讃美歌467番+「春の日の~」の曲は、古いアイルランド民謡と言われますが、讃美歌楽譜には作曲William Davenant, 1606-68とあります。いずれにしても江戸時代初期の古い曲ですね。その曲に、18世紀のアイルランド詩人トーマス・ムーアが詞を付けました。それが
Believe me, if all those endearing young charms,
Which I gaze on so fondly today,
Were to change by tomorrow and fleet in my arms,
Like fairy gifts fading away,
Thou wouldst still be adored as this moment thou art,
Let thy loveliness fade as it will.
And around the dear ruin each wish of my heart
Would entwine itself verdantly still.
これです。英語圏ではこの曲はBeleive meと呼びならわされているそうです。
この詩を堀内敬三が格調高く訳したのが、「春の日の花と輝く」というわけです。
そして1841年、同じ曲に英国の会衆派の牧師の妻であったジェマイマ・トンプソン・リューク夫人が詞を付けたのが讃美歌467番です。こちらの歌詞は
I think when I read that sweet story....
で始まるもので、大体日本語歌詞と同じ内容ですが、1番の歌詞を日本語1.2番に拡大し、2番の歌詞は割愛した印象です。いろいろ都合があったのでしょうか。
少々混乱しましたが、つまり、古いよい曲があり、それに何人かが歌詞をつけてそれが愛唱された、そのうちの一つがイギリスの牧師夫人によって詞が書かれた讃美歌であり、それが日本の讃美歌に採用された。また別のルートで愛唱された曲(歌詞)に堀内敬三が日本語詞をつけ、それがキリスト教とは離れたところで大いに愛唱された、ということになりましょうか。
ご清聴(笑)ありがとうございました。