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「鉄道唱歌」異聞

2020年07月11日 | お知らせ
7月9日付毎日新聞夕刊によれば、今年は「鉄道唱歌」が誕生してから120年の記念の年だそうです。



記事を読みますと、正式名称「地理教育鉄道唱歌」は、1900年大阪の三木佐助によって出版され、広く国民に親しまれました。
三木佐助は徳川時代の人で、文政時代に大阪船場で出版業を営んでいました。時代が明治に入り、西洋文化がたいへんな勢いで流入した時勢に押され、楽譜や楽器の出版・生産・代理店業務に業容を広げます。





(以上2点三木楽器HPより)

ドイツ・スタインウェイ社の日本初代理店であり、コールユーブンゲンの版権取得者であったとのことで、関西における西洋音楽の元締めともいえる存在だったのではないでしょうか。
商才に長けた佐吉はヤマハ創業者の山葉寅楠にも見込まれ、ヤマハリードオルガンの関西地区専売権も取得しました。

「鉄道唱歌」に話を戻しますと、当時この曲はオリジナルの楽曲がすでに他社によって出版されており、その会社が経営的に存続が難しくなった時点で佐吉が版権を買い取り、改作したうえで改めて出版したという経緯があったようです。
改作に力を貸したのが大和田建樹で、「故郷の歌」「青葉の笛」などの作詞でもしられる国学者です。


大和田建樹 wikiより

大和田先生はたいへんな旅行好き(鉄っちゃんだった模様)で、作詞を依頼されてから数日で詩を書き上げたとのこと。歌詞にちりばめられている歴史のエピソード、名所の情報など、大和田先生の博識ぶりが彷彿とされますね。先生ご自身も、作詞されながら想像上の鉄路の旅を大いに楽しまれたのではないでしょうか。

曲はタッカタッカのリズムが楽しいピョンコ節、加えてヨナ抜き(ファ・シがない音階)とあって、覚えやすい、旅行気分が楽しめる、勉強になる!といいことずくめですね。佐吉は「鉄道当局とタイアップして音楽列車を仕立てた」(毎日新聞記事)とのことで、どんなにか楽しいイベントだったことでしょう。三木佐吉さんと山葉寅楠さん、商売上の目先がきくところが、なんだか共通している印象です。

昭和の鉄道随筆王(借金王でもあった)内田百閒大先生は、鉄道唱歌を66番まで歌えた、それを酒席で披露した、というエピソードがあります。たくさんの人に愛され120年。眺めるだけでも楽しいですね。
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