スポーツマネジャーという仕事
映像、ラジオ…競技を楽しめる工夫をボッチャ担当が描く東京パラ運営計画
構成:スポーツナビ
2018年8月24日(金) 14:00
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会には、「スポーツマネジャー」と呼ばれる人たちがいる。各競技の運営責任者として国内および国際競技連盟等との調整役を務め、大会を成功に導く重要な責務を担っている。スポーツナビでは、奮闘する彼らの手記を「スポーツマネジャーという仕事」として紹介する。
2016年リオデジャネイロパラリンピックの団体戦(BC1−2)で、日本勢初となる銀メダルを獲得したボッチャ。東京大会で担当するのは、一般社団法人日本ボッチャ協会で理事を務める齋藤保将さんだ。東京大会まで2年となった今、どのような思いで準備を進めているのだろうか。
悩みながら続けたスポーツマネジャーの仕事
リオパラリンピックで銀メダルを獲得したボッチャ。重度の脳性まひなど四肢に障がいがある人のために考案された
ボッチャのスポーツマネジャーになって、ちょうど2年が経ちました。昨年12月までは非常勤という形で、特別支援学校の教員と並行して業務を行ってきましたが、今年1月から常勤となり、東京大会に向けて競技の計画や国際ボッチャ競技連盟(BISFed)との調整を続けています。
ボッチャは、重度の脳性まひなど四肢に障がいがある人向けに考案され、ジャックボールと呼ばれる白いボールに、自チームのボールをいかに近づけるかを競うスポーツです。リオパラリンピックの銀メダル獲得をきっかけに、国内では競技人口やメディアで紹介いただく機会も確実に増えたと感じています。日本選手権の予選会を例に取ると、以前は100人程度だったエントリー選手数が、今年は2会場で約250人になりました。
スポーツマネジャーになってからの2年間は、本音を言うと大変でしたね。非常勤の頃は、学校を抜けるのも申し訳なかったですし、組織委員会では他の方に仕事を預けたきりになっている部分もたくさんあったので、どう動くのが一番いいのかと、かなり悩みながらやっていました。私が勤めていた学校の子どもたちは、ほとんどが重症心身障害児で、子どもたちが登校したら下校するまで、学習はもちろん健康状態に常に気を配らなければなりません。そのような中で席を外していたので、子どもたちや他の先生方にたくさんの負担をかけていたと思います。学校を離れる時、年度の途中で担任が学校から離れてしまうというご迷惑に対してもご理解いただき、快く送り出してくださった子どもたちと、子どもたちの保護者の方には大変感謝しています。
BISFedとは、競技日程や会場の配置、備品の確認など、競技運営のさまざまなことをすり合わせています。3月に日本ボッチャ協会として三重・伊勢市で日本初となるBISFed公認の国際大会(アジア・オセアニア地区ボッチャオープン)を開催したのですが、これがすごく良い経験になりました。パラリンピックやBISFed公認国際大会は、通常個人戦、チーム、ペア戦を行いますが、国内で全てを1大会で行うのは初めて。実際にやってみて、日程的に「ここはこうした方がいい」と分かった点を踏まえ、競技日程プランも見直しました。こちらとしては良いトライアルになったと思います。
コート1面で行われた昨年のジャパンパラリンピック。大いに盛り上がり、手応えを得たという
ボッチャは試合が始まると粛々と進行する競技なので、どうしたら分かりやすいかとか、こうしたら盛り上がるのではないかといったあたりも悩ましいですね。パラリンピックや日本選手権では複数コートで試合が同時進行するのですが、あちらでもこちらでも試合をしていて、観客にとっては分かりにくさがあると思っています。昨年、日本障がい者スポーツ協会が主催するジャパンパラリンピック競技大会でボッチャが初めて行われ、いつもと異なりコートは1面だけの設定で、解説MCも入りました。観客席は全員がそのコートの試合を観戦するというスタイルがすごく盛り上がって、今までにない雰囲気を感じました。
この雰囲気をどう東京大会でも実現させるか、思うことはいろいろあります。例えば、ラジオやスマホで自分の見たい試合の解説MCが聞けたり、ボールの配置が分かりやすい映像が配信されたりしたらどうかなと。そういった演出を盛り込めたら、ボッチャがもっと分かりやすくなるのではないかと思っています。
東京大会のレガシーを残すために
ボッチャの会場は、オリンピックの体操と同じ有明体操競技場です。設計の早い段階から、いわゆるバリアフリーやアクセシビリティに配慮されていました。同じ会場を使用する体操の運営チームも「オリンピックがあって、続いてパラリンピックが行われるまでが東京大会」ということをかなり意識してくれています。非常にありがたいですし、一緒にやっているという感じがします。
東京大会では、選手や観客として、車いす使用者をはじめ、さまざまな障がいのある方が多数参加するものと考えています。会場はもちろんですが、移動手段などさまざまな配慮が必要です。ただ、そういった方々が「普通に使えて当たり前の環境」が、当たり前に用意されていることが大切だと思います。「さあ、障がいのある方がたくさん来るんだから、準備しておかなきゃ」と、“特別なこと”という意識でいると、その“特別なこと”が終わったら元に戻ってしまうんです。そうすると、レガシーには全くなりません。障がいのある人にもない人にも、今後につながる良いものを残そうとするなら、パラリンピック自体を特別なイベントにするのではなくて、オリンピック・パラリンピックが一体となったコンセプトのもとで準備ができて、終わった後には当たり前のものとして移行していけるような、そんな価値観が残ってほしいと思っています。
東京大会までのあと2年、最初の1年でBISFedとはさまざまな合意形成をしていきたいと思っています。BISFedも2013年に設立された団体で、さまざまなチャレンジをしているので、こちらも積極的に提案をしていき、次の1年では実務を粛々と進められるようなところまで持っていきたいと思っています。
リオパラリンピックで銀メダルを取った選手が「東京では満員の会場で金メダルを取ります」と宣言しているのですが、その「満員の会場」を作るのが私たちの仕事です。お客さんがたくさん入って、盛り上がって、選手も観客も「すごいところに来た」と思ってもらえる、そんな大会にしたいと思っています