広島へは何度か行ったことがありましたが、原爆ドームを撮影するのは今回が初めてです。じっくりと平和記念公園を見て回り、写真も撮って、何か本当にさまざまなことに思いを巡らせる機会になりました。
驚いたのは、実に大きな樹がいたるところに生えていたこと。原爆投下直後は、一面焼け野が原、今後100年は一切樹木など生えないだろうと言われていたとか。自然の力、生命力は人の予想を遥かに越えるんですね。広島の街が大きく立派に復興を遂げて、今そこで生活する人は120万人近い、これにもまた驚かされます。
平和記念公園を歩いていると、修学旅行生の集団にひっきりなしに出会うんですよ。次から次へとやってくる、制服の集団。思い思いに広島を 公園を 歩いて、当時の様子を知る人から話を聞いて・・・けれども、彼らの中には、何が残るのでしょうね。平和への祈り、その切実さを肌で感じることのできる子がはたしてどれくらい居るか。生まれた時からずっと、どっぷりと平和につかって、何不自由なく暮らしてきた子供たちに、戦争の何がどれほど惨いのか、理解できるのでしょうか?
広島に世界初の原爆が落とされたのは1945年8月6日。14万人の生命を一瞬で奪い、黒い雨を降らせ、後遺症に苦しむ多くの人々を産んだ、この恐ろしい兵器。戦争を知らない世代である私たちは、記録からその当時の様子を推し量ることしかできず、語り継がれる記憶を知って、平和への祈りを強くするしかできません。
写真や絵画や映画や小説、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐための手段はさまざまですが、経験したことのない私たちにとって、臭いも手触りもないそれらの「表現されたもの」から事実を感じとるのは意外と難しい。
モニュメントにむかって、しみじみと思いました。自分の力で勝ち取ったのではない、あたりまえのように与えられていた「平和」の価値を 私たちが軽んじてしまうことのないように、原爆ドームは遺されていかねばならないと。緑豊かな広島の地で、真に学ぶべきは、まさにそれではないのかと。
Canon EOS 40D +
Canon EF24-105mm F4L IS USM