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ちいさい ねこ♪

ひとつでも多くの心揺さぶられる瞬間をとどめておきたいから・・・。

映画「犬と猫と人間と」

2009-12-12 07:09:29 | 映画レビュー

 シネマルナティック湊町で1週間だけ上映されるという映画、昨日観て来ました。内容は、動物愛護に関わるドキュメンタリー。



 突然、「動物愛護の啓発になるような映画を製作してくれ」と、老女から依頼される飯田基晴監督。動物愛護について、何も知らないのに、「ボクでいいんですか?」と問えば、老女は「あなたがいいんです。私は人を見る目はあるのよ。」と。

 ずっと個人で野良猫などの面倒を見てきた老女だが、自分も高齢だし、もうこれ以上は無理だと思ったという。そして、どの猫(動物)も幸せに暮らせるような社会にしたくても、個人の力では難しいと痛感したのだ。そして、誰が見てもよくわかる映画を作ってもらったらいいんじゃないかと思いついた。映画の製作費は老女が負担するという。飯田監督はとりあえず「動物愛護」について知ろうと関係各所を回り始める。



 動物愛護センターでは最初ほとんど取材拒否にあった。「愛護」と言いながら、保護された動物のうち、新しい里親に譲渡されるのはほんの数%だ。大半は「処分」されてしまう。センターで働く人たちも、本当は殺したくない。でも、そう言っていられないくらいの数の動物たちが次々にセンターに収容される現実。

 民間の保護団体や、個人で犬・猫を世話する人たちに話を聞くうちに、監督もわかってくる。これは動物だけの問題じゃない。すべては人間の身勝手から生じた問題なのだと。中には家族同然の動物を経済的な事情などののっぴきならない理由で泣く泣く手放す人もいる。それはほんの一部。大部分の飼い主が「飽きたから」「大きくなって可愛くなくなったから」などのわがままで命を捨てる。自分では手に負えないからと、保護施設に押し付ける。

 一部の身勝手な人間が、おもちゃを買うような感覚で犬や猫を買う。あるいは拾ったりもらったりする。そのうち、面倒見切れなくなって、もういいやと捨ててしまう。もしくは飼い犬や飼い猫に不妊・去勢手術をしないまま仔犬・仔猫を産ませてしまう。結果、捨てるしかなくなって野良犬・野良猫が増える。不妊・去勢されないままの野良の動物たちは、自然繁殖し、数が増えて行く。悪循環だ・・・

 目を背けないでいることが難しい、深くて大きな問題。どうして犬や猫と人間たちとが仲良く幸せに暮らせないのか、言葉では言い尽くせないその理由、原因を 丁寧にカメラは追って行く。動物愛護の先進国・イギリスでもやはり殺処分される動物はいた。けれどそれは虐待などのために性格が矯正できないほど歪んでしまった動物を 仕方がなく処分する程度。日本とはわけが違う。日本ではまだまだ動物の命を軽んじる風潮が根強く、小さな命は「個人財産」と見なされ、財産を処分するのと同じように、命が「処分」されてしまう・・・。



 ある程度覚悟して観に行ったとはいえ、もうね、だめでしたねぇ。我慢できなかった、ですよ。涙で画面が観えなくって。ホントに辛くて辛くて、たまらない気持ちでした。

 犬も猫も何の罪もないんです。なのに、人間の勝手で殺されてしまう。人間ほど残酷な生き物は他にない、です。こんなにも他の生き物に苦しい思いを強いて、自分たちはのほほんと生きている・・・・ごく一部でしょうけれども、小さな命の価値に目を留めず、平気で見殺しにする人間に怒りがわいてきます。安易に命を弄んでいる、そんな気がしてきます。

 犬や猫との関わり方を根本から考えさせられる映画でした。すべての犬猫を救うことはできないけれど、1匹でも、殺されてしまう動物を減らすことができたら。1匹でも2匹でもいい、幸せに暮らせる命を増やしたい、そう思います。この映画は、できるだけたくさんの人に観てほしい。特に、子供たちには、現実として観てほしいですね。

 松山市内では、シネマルナティック湊町で13日(日)まで上映の予定です。12日(土)は20:30~22:30 13日(日)は11:00~13:00 の上映。

オフィシャルサイト 「犬と猫と人間と」 http://www.inunekoningen.com/

※映画の内容と画像とは直接関係がありません。

映画レビュー「グーグーだって猫である」

2009-10-02 07:48:29 | 映画レビュー

【ひとこと】
 猫って可愛いにゃー。

【あらすじ】
 小島麻子(小泉今日子)は全集が刊行されるほど評価の高いベテラン漫画家。だがここ数年は次第に創作意欲が低下し、寡作になっていた。ある日、15年も生活を共にしてきた猫のサバが死んでしまい、ペットロス状態に陥る。新しく飼うことを決めたのはアメショのオス、名前はグーグー。グーグーがとりもってくれた若い医師の卵となんだかいいムードになってきたぞ、というとき子宮癌が見つかり・・・・




【感想など】
 Kyon2も40代かぁ・・・・と、なんだかしみじみしちゃった映画でした。スッピンで登場するシーンもあるので、彼女の若かりし頃を知ってる人は、感慨深いかもしれませんね。いろいろあったこれまでの人生が、良い意味で顔にあらわれている女優さんですよ。

 主人公の小島麻子は実在の漫画家・大島弓子をモデルにしてますので、大島漫画にはまりまくった青春時代を過ごした人ならまた違った感想を抱くかもしれませんね。私は大島弓子の漫画に特別な思い入れがないものですから、普通に映画として鑑賞しましたよ。

 ストーリー的にはまあ、宣伝ですねw 随所に猫用トイレ(我が家でも使ってます、優れモノです。)とマンションならサー○スの会社との宣伝がさりげないとはとても言えない感じでさしはさまれます。アシスタント役に上野樹里と森三中が扮していますが、特筆すべき名演技というわけでもなく。話の展開も何が言いたいのか???盛り上げどころがよくわからん内容でした。

 ただ、男性というか、人(他者)に対して心を開くことがとても苦手な中年女性を小泉今日子は好演していました。人に対しては臆病だけど、猫には安心して接することができるという心境が、なんだかすごくいたましいような気がして。

 女が一人で働いて、苦しかったことも全部自分一人で引き受けて、気ままなようでもなんとなく寂しい人生、その最期が「癌死」だったら、やりきれないと思うんです。自由だけれども、孤独。この麻子のような暮らしぶりの女性は今どんどん増えているんじゃないでしょうか?

 猫は自由気ままな生き物で、可愛くて、見ているだけでも和めますので、面倒な人間関係に疲れた女性が「男は要らない、猫がいればいい。」というのもうなずけるんですよ。まあ、私は常に人と関わっていたい人間でして、猫さえいればそれで幸せとは思っていませんけれども、この主人公に自己を投影して観る女性、けっこう多い気がしますね。

 人と関わると、嬉しいことがいっぱいある半面、煩わしいこともありますでしょ?そのやりとりに疲れてしまって、厭世的になってしまっている人には、この作品が「癒し」になるかも。

 小泉今日子の大ファンと、上記のような方と、アメショが死ぬほど好きで観てるだけで幸せ、という方は楽しめると思います。





Canon EOS 40D + SIGMA 50mm F2.8 DG MACRO

映画レビュー「ホームレス中学生」

2009-09-10 07:36:56 | 映画レビュー

【ひとこと】
美しすぎるホームレス。

【あらすじ】
 いよいよ明日から夏休み。中2のヒロシは女の子から「映画行かへん?」と誘われて、ウキウキ気分で帰宅。が、家に帰ると家財道具がすべて外へ運び出されて積み上げられ、入口には「KEEP OUT」のテープ。兄姉と、いったい何が起きたのか、どうすればいいのか、話しているところへ、父親が・・・。「それぞれ生きていってください。解散!」の言葉に呆然とするも、兄姉二人に迷惑をかけたくないと思ったヒロシは、身の回りの物をバッグに詰めて、遊び慣れた公園へ行く。こうして彼のホームレス生活が始まった。

 お笑いコンビ「麒麟」の田村裕がつづった同名自叙伝が原作。

【感想など】
 小池徹平主演・・・・えーーーーーw 全然田村と似てないのにw 映画化のニュースを聞いて、まずそう思った。あんな可愛い男子中学生が公園でホームレスやってたら、私が拾って連れて帰るわw と。映画はほぼ原作に忠実に描かれているのかな?珍しく原作を先に読んでいたのに、細かいところまでハッキリ憶えていないので断言できない。

 映画のストーリーはベタな展開すぎてしらける人もいるかもしれない、というくらいにベタ。みんないい人で、田村家三兄弟はほんとに幸運にも優しい人たちのおかげで生き延びられたんだなぁと、よかったなぁと、そこは素直に思えた。あんなの作り話だ、ホームレスを1カ月もやってたなんて真っ赤な嘘だ、などという中傷も原作に対してささやかれているようだけれども、別に作り話でもかまわないではないか。実際、あんなに人情味あふれる環境が日本全国いたるところにあるかどうかは誰しも疑問に感じるところだろう。あれは大阪だから成り立つ物語だと思えばいい。是枝裕和監督の「誰も知らない」とは対照的。

 原作にもあった段ボールを食べるシーンなど、小池くんはよくがんばっていた。植え込みの陰で野糞とか、雨でシャワーとか、彼のイメージとかけ離れている場面でも、懸命に演っていた。いかんせん、小池くんの顔とか存在が美しすぎるために、せっかくの熱演もそれらしく見えないのが辛い。何日も食べていない人間が、もらった弁当を貪るさまなどは、「よしよし、よくがんばって演技してるね。えらいぞ。」としか見えないのだ。これはもう、どうしようもないことと思う。彼を主演に決めた時点で、それは予測されてしまっていた。

 入浴シーンがかなり長いのは制作側のファンサービスだろう。「妖怪大戦争」で当時人気絶頂だった神木隆之介くんが着替えシーンを長く撮られていたようなもの。真夏に何週間も入浴していなかったはずの小池くんが、妙に綺麗なので、また別の意味で面白い。洗い終わって身体を流したお湯が、あきらかに絵具で着色されているという見え見えの演出w そこで実際に何週間も入浴していない小池くんが、1発勝負の長回し、垢で浴槽のお湯が汚れて・・・・とやっていたら、まだリアルに思えたか?このあたりはアイドルの体当たり演技の限界かもしれない。

 それにしてもこの作品は脇役のキャストが豪華。主役の父にイッセー尾形、兄にキングコングの西野、姉は池脇千鶴だ。窮状を救ってくれる友達の父・川井に宇崎竜童、その妻が田中裕子、西村のおばちゃんにはいしだあゆみ、とにかく演技達者がそろっている。主演が小池くんだと下手すれば学芸会になりかねない。脇役陣がしっかりしていたおかげで、一定のレベルは保てたと思う。観客を泣かせようとする演出が目につきすぎるのは難点だが。

 個人的に好きなのは牛丼屋での兄とヒロシの会話。「俺かてしんどいわ!」と兄が弟を突き飛ばす。そして「一人ではできん。おってくれな。」と家出していた弟を諭す、あれは本当に実感がこもっていて、なかなかの名シーンだった。貧乏でろくに食べられないことより、家族がいなくて一人っきりの方が辛い。どん底を見た人間は強いけれど、それ以上に強いのは「守るものをもつ人間」「大事な人を守ろうとする人間」だ。田村の兄にとっては、妹や弟がなにより重要な支えだったはず。重荷などではなく、大事な家族だから、守りたい人たちだから、いっしょにいてくれなければ、強く生き抜こうとする意欲もなくなってしまう。

 西村のおばちゃんの急死によって、病気で亡くなった母にはもう会えないと理解したヒロシが、生きていく意味を見失い、無気力になるのもよくわかる。彼には優しかった母にいつかまた会えるという気持ちが支えだったのだ。簡単に言うけれども「強く生きる」ということは難しい。母の笑顔が大好きで、よくふざけて笑わせていたヒロシは、お笑い芸人の道を選んだ。動機やきっかけは何でもいいのだ。自分が「これならやれる」「これで食っていきたい」と思える道を選べれば。

 図らずもベストセラー作家になってしまった田村裕は、これから芸人としてやっていけるのだろうか?本の印税だけでなく、映画やドラマになった作品からも収入が入る。そのことで、彼の芸が磨かれることなく終わってしまう恐れもある。そういえば、最近田村裕の顔をテレビで見ていない。

 この映画は、小池徹平ファンなら楽しめると思う。原作本のファンはどうだろう?微妙。





Canon EOS 40D + TAMRON B003

映画レビュー「バットマン ダークナイト」

2009-08-18 08:00:29 | 映画レビュー

【ひとこと】
最狂かつ最凶の男、降臨。

【あらすじ】
 昼は大富豪、夜は悪と戦う戦士・バットマンことブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)の前に、得体のしれない犯罪者「ジョーカー」(ヒース・レジャー)が表れる。ゴッサム・シティの平和を願って日夜努力を続ける警察もバットマンも、一切のルールを無視するジョーカーの凶暴さの前に手も足も出ない。組織の活動資金半分をもらうことを条件に、バットマン抹殺を企てるジョーカーは、ありとあらゆる手段を使って彼を追い詰める・・・

【感想など】
 評判は聞いていましたが、まさかこれほどとは!ジョーカーを演じたヒース・レジャーの存在感と演技力に終始圧倒されました。彼こそ「悪の華」、ゴッサム・シティに咲いた徒花です。「自警市民」と称され、傷つき悩みながらも悪と戦うバットマンには彼なりのルールがありますが、ジョーカーはまるで無軌道。なおかつ戦慄を覚えるほどにずる賢い。その人間観察力や洞察力、企画力、行動力は驚嘆に値します。その才能をまともに使えば、たいていのことはやり遂げてしまえるのではないでしょうか?

 けれどもジョーカーにとって興味があるのは金ではなく、名誉でもなく、愛でも友情でもありません。彼はひたすら闇の帝王のごとくにゴッサム・シティに君臨し、人々に恐怖と混乱をもたらすことだけを考えています。悲鳴が楽しい、恐怖に引きつる顔を見るのが嬉しくてたまらない、そういう男なのです。

 醜悪な傷跡をさらに誇張するピエロ・メイク。その下に隠された素顔を誰も知らないように、ジョーカーの真意を知る者は誰もいない、ジョーカー自身が誰も信用していないのです。なんという孤独。彼が犯罪に手を染めるようになった経緯は謎に包まれており、顔の傷跡の原因も語られるたびにまるで違っています。なんの躊躇もなく人を殺す、街を壊す、その殺戮と破壊の衝動は、全編にわたって繰り広げられ、終始観客を「魅了」してしまうんです。幼い子供が積み上げたブロックのお城を嬉々として壊すときのような表情で、血も凍る恐怖をばらまき続ける狂気の魔王。そのアンチ・ヒーローっぷりが凄すぎます。

 人間の心の奥深くに潜む危険な考え、暗い情念を ジョーカーは言葉巧みに操って悪の道へと誘います。その強烈な誘惑には抗えず、墜ちてしまった哀れなトゥー・フェイス。バットマンをさらなる窮地に陥れた男は、最も勇敢で高潔な人と思われていたのに。人の弱さにつけこむジョーカーの恐ろしさが遺憾なく発揮されたシーンが病院爆破でしたね。去り際に一瞬「あれ?」という小首を傾げるしぐさを見せて、直後の大音響、崩壊・・・非常に印象深い場面でした。

 「バットマン ビギンズ」に引き続き、単なるヒーロー物には終わらせない脚本と演出でシリアスに製作された本作、アメコミを小馬鹿にしていた人たちに衝撃を与えました。私もその一人です。名優ぞろいのキャスティングといい、細部まで凝った作りの小道具といい、見ごたえのある映画に仕上がっていますね。1989年製作の前作でジョーカーを演じたジャック・ニコルソンも、ヒース・レジャーの熱演には文句のつけようがないでしょう。それにしても、惜しい俳優を亡くしたもんです。あぁ、もっと生きて、私たちにその演技を見せてほしかった、ヒース・レジャーよ・・・。 

※京都駅にて撮影 Photoshop Elements 7.0で加工
Canon EOS 40D + SIGMA 10-20mm F4-5.6 EX DC HSM

映画レビュー「ハリー・ポッターと謎のプリンス」

2009-08-04 08:40:48 | 映画レビュー
 まだ劇場公開中なのでネタバレしないように注意しつつ、レビュー書いてみました。大人気シリーズの6作目です。

【ひとこと】
 巨星墜つ・・・(って、そっちかーい?)

【あらすじ】
 復活したヴォルデモートの手下がマグル界でもあからさまに活動するようになり、魔法界ではいよいよ警戒を強める。結界によって守られているホグワーツ魔法学校も、もはや安息の地ではありえない。なぜならヴォルデモートの息のかかった者たちが「隙あらば・・・」と狙っているからだ。
 ハリーたちも最終学年、すっかり大人になった彼らはみんな恋に悩む年頃となった。一方、父親が投獄され、焦るドラコ・マルフォイは、学校内にとんでもないやつらを引き入れ、目的を達せんがためにさまざまな策を弄する。
 ヴォルデモートを完全に滅ぼす方法を模索するダンブルドアは、重要なカギを握る人物・スラグホーンをホグワーツの教師に復職させる。トム・リドルに特別目をかけていた彼から、ハリーは秘密を聞き出せるのか?
 最終決戦の火蓋が今にも切って落とされようと・・・

【感想など】
 154分は長いです、ホント。でも、今回はラブコメの乗りで観ていましたから、長い上映時間もけっこう楽しめました。みんなすごく大人になっていて、映画版のハリポタマニアには嬉しいシーンもたくさんあったのではないでしょうか?

 私は毎度のことながら原作読まないで映画観ています。シリーズも長く続いていいかげん飽きるかと思いきや、本作は映画館で寝てしまうこともなく鑑賞。これはひとえにあの人が、あの人がーーーーー(【ひとこと】をご参照ください。)

 大変衝撃が大きかったせいで、「うわーーーー、嘘やー、嘘やー、誰か嘘だと言ってーーー。」と上映中にブツブツつぶやいてしまうほどでした。あぁ、あの人なくして最終話がどのように展開するかと、それがとても気がかりですわ。ネタバレになっちゃうからこれ以上書きませんけど。謎のプリンスの正体も明かされて、シリーズのラストはますます盛り上がりそうですね。

 本作に関しては評価が低い方もおられるようですけど、私はハリポタマニアの友達といっしょに鑑賞して「おもしろかったねー」と感想を述べ合いました。映画館で観てよかったと特に思ったのは、ハリーとダンブルドアが分霊箱を手に入れようとするシーンです。襲い掛かるやつらをダンブルドアが渦巻く炎で撃退するシーン、めっちゃ素敵でした。冒頭のヴォルデモートの手下がマグル界で暴れるシーンは臨場感ありすぎて酔いそうでしたよ。あと、ロンが大活躍するクィディッチの試合もいろんな意味で面白かったですよ~w ハー子(ハーマイオニー)のSEXYなドレス姿はファンなら必見!でしょう。

 最終話「ハリーポッターと死の秘宝」は二部構成になるそうです。これまでの作品をしっかり見返してから鑑賞に臨みたいものですね。前編が2010年11月、後編は2011年8月に公開の予定とか。期待してます♪


Canon EOS 40D + TAMRON B003

映画レビュー「ノーカントリー(No Country for Old Men)」

2009-08-01 06:57:19 | 映画レビュー

 録画してあった映画をようやく観られました。2007年アカデミー賞作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞を受賞した作品です。監督はイーサン&ジョエルのコーエン兄弟。原作はコーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」。

【ひとこと】
 何かが 決定的に変わってしまったんだ。

【あらすじ】
 1980年、アメリカ、テキサス。
 祖父の代からの保安官、エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は誇りを持って職務を遂行する日々を過ごしていた。だがある日、不可解な殺人事件に遭遇する。額を銃で撃ち抜かれているのに、弾丸が見つからない。これはどういう「殺し」なのか?
 麻薬取引の現場で、双方の人間が撃ち合いの末死んでしまう。そこへ偶然通りかかった中年男ルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、危険を承知で大金を持ち逃げ。死にかけていた男が気になって、夜半現場へ戻ったばっかりに、麻薬組織から追われる羽目になる。
 冷酷な殺し屋アントン・シガー(ハビエル・バルデム)は、麻薬組織の依頼で金を奪い返すためにモスを追う。行く先々で冷酷に殺人を繰り返すシガー。彼の手には常に特殊な「武器」が握られている。金に仕込まれていた発信機の電波をたどって、モスを追い詰めるシガー。その頃、なかなか金が戻ってこないことに業を煮やした組織のトップは、別の追手を差し向けていた。
 息詰まる追走劇の果てに、老保安官ベルが見た現実とは?

【感想など】
 和製ホラー映画のようなじっとり湿った感じとはまったく違う種類の恐ろしさ。もっと乾いていて、殺伐としていて、理解の域を超える、そういう怖さがある映画です。夥しい量の血が流され、それぞれの場面がリアルすぎるくらいリアル。余分な音を一切排除した作品作りが功を奏し、他に例を見ない緊迫感のある映画に仕上がっていますよ。
 主人公は老保安官ベルですが、殺し屋アントン・シガーの人物造形があまりに私の理解を越えるので、彼が無表情に殺人を繰り返すそのたびに背筋がゾクゾクしました。
 通常、人の命を奪う行為には「愛」や「憎悪」などの感情がからんだり、「金」「利権」などの欲がからんだりしますね。それが殺し屋であるシガーには一切ありません。躊躇なく、次々に人を殺していきます。依頼を遂行するために邪魔なものを片っ端から排除していくだけ。美学に反する存在を消し去ってしまうだけ。もっとも効率の良いやり方を瞬時に判断し、冷徹に行動します。
 彼には彼のルールというか、モットーがあり、美学に基づいて行動しています。この美学が常人の理解を越えるので、わけのわからない怖さを醸し出しているわけです。不条理な突然の死に見舞われた被害者たち、彼らにとってシガーは「死」そのもの。音もなくしのびよって、一瞬で命を奪う、まさに死神なんですね。
 保安官ベルは、シガーのあまりの残虐さ・冷徹さ・神出鬼没であることに「幽霊」のようだと感じますが、シガーが負傷した後に自分で銃創を手当てするシーンなどを見ると、生身の人間であることがしつこいくらい丁寧に描かれています。だからいっそう怖くなる、別種の生き物ではなく、同じ「人間」だと思い知らされるから。
 ヤバイ金だと認識しながら大金を持ち逃げしたモスの心中、こちらは理解できますよ。溶接工として地道に生きていた彼は、トレーラーハウスに妻と二人暮らし。つましく暮していれば平穏無事な生涯をおくれたはずなのに、彼の生活の中では決してお目にかかれないほどの額を目にしたがために、人生を狂わせてしまいました。追手が迫ってくるのをいかにかわすか、必死で考え、保身の策を講じ、うまくいったかのように見えたのに、妻を殺すと脅されて、シガーの術中にはまってしまいました。
 一攫千金を夢見ても、凡人はどっかでつまづいて失敗します。一か八かの賭けにうってでたモス、あっけない最期が哀れでした。

 物語の冒頭に、老保安官ベルのモノローグがあります。そこで「理由なき殺人」によって死刑に処された14歳の少年のエピソードが出てきます。保安官はその少年が死刑になるように証言をしました。もう既に、彼の中ではこの現代社会の行動規範や倫理観が理解しづらいものになっていて、昔のような「正義」を貫くこともできない、ってことをこのエピソードは暗示しているのでしょう。
 ほんの数十年前ならば、社会規範が法とそれほど違わないところにあったはず。けれども今は、法で定められた「やってはいけないこと」が日常茶飯事。法と現実との間には大きな隔たりがあります。人々の意識も、まさに激変。「正義」など欠片もない人間が激増しつつあります。
 シガーがモスを追いかけ、追い詰め、殺して金を取り返して、おしまい、だったら、この映画は単に流血沙汰の多い映画と評されていたことでしょう。もしかするとカリスマサイコキラーとしてシガーは人気を博したかもしれません。でも、この映画のテーマはそうじゃない。タイトルをよく見てください。
 ここで言う「old men」とは、おそらく保安官ベルの年代の人間を指すんでしょう。彼らにとって現代社会は、得体のしれない魔物の巣窟になってしまっています。シガーのような無感情の殺し屋がそれを象徴しているんですね。悪のはびこる社会、暴力が支配し、大量の血が流される世界、理解も許容もできない、そういう時代にもはや年寄りは安穏として生きてはいられない、と。
 エンディングで、ベルが妻に語る2つの夢の話、いかようにも受け取れそうなあの夢の話が、観客に大きな問いを投げかけます。あなたはこの現実をどう見ますか?現代をどうやって生き抜いていくんですか?希望は残されていますか?etc.
 映画の結末はスッキリしません。人によっては意味がわからないとおっしゃるかも。そりゃそうでしょう。だって、何も「解決」していないのですから。主人公・老保安官ベルはリタイヤして、もやもやした後悔のような念を抱えたまま、余生を過ごさざるを得ない、ここがどうにもやるせないですね。砂をかむような虚しさを感じさせます。
 変わってしまったんですよ、なにもかもが。「人が敬語を使わなくなって、この国はダメになったんだ。」ベルが同僚とそんなことを話すシーンがありました。ひょっとすると、古き良き時代の思い出は、必要以上に美化されているかもしれません。それでも、なんの理由もなく、人を殺すなんてことは昔はなかったはずなのに。
 日本でも神戸の児童連続殺傷事件が起こって以来、理解を越える無差別殺人が報じられることが増えましたね。映画はアメリカを舞台にしていますけれども、この現象は世界各国でいまやごく普通に見られるのでは?不可逆性の進化なのでしょうか?それを肯定も許容もできない私は、「Old Men」にカテゴライズされるタイプの人間なのかもしれませんよ。




Canon EOS 40D + TAMRON B003

映画レビュー「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」

2009-07-03 00:05:23 | 映画レビュー
 6月27日から全国で劇場公開されている本作、やっと観られました!ネタバレありまくりのレビューなので、これから鑑賞予定の方は読まないでくださいね。本日(2009年7月3日)「金曜ロードショー」にて午後9:00から「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」テレビ放映版が放送されます。こちらをご覧になってから「破」を鑑賞なさった方がわかりやすいかと。

 「エヴァって何?」とおっしゃる方、アニメに全然興味がない方には、このレビューもおそらく無意味です。スルーなさってくださいw 読みたい方だけ、以下白い文字で書いてますので、範囲指定して(反転させて)どうぞ。

【あらすじ】
 エヴァンゲリオン初号機パイロットとして認められたシンジの前に2号機パイロット式波・アスカ・ラングレーが登場。シンジがミサトと共に暮らすマンションに同居することになる。尊大で傲慢なアスカだが、次第に他人の存在の意味や価値を考え始め、シンジやレイとの間に人間らしい感情が芽生える。レイは碇親子をなんとか和解させられないかと考え、料理を覚えて食事会を開こうと思いつく。だが、食事会の当日、3号機のテストが行われることになってしまい、そのパイロットとしてアスカが志願、搭乗を認められた。テスト中、アスカを取り込んだまま3号機が使徒化。これを殲滅せよと命じられるも、シンジは従うことができず、自分が殺されることを選択する。ゲンドウの指示により、ダミーシステムが発動、シンジを乗せたまま初号機は残虐な殺戮マシンと化す。その結果に激怒したシンジをゲンドウは強制的に初号機から排除。NERVから追われたシンジ。第三新東京市をシンジが離れようとしたそのとき、またも使徒が襲来して・・・

【感想など】
 新劇場版は4部作となる予定とか。「序」はテレビシリーズからそれほど大きくはずれることなく制作されていた感じでしたが、「破」は意外な展開が随所に見られ、良い意味で期待を裏切る快作となっています。特に素晴らしいのはアスカの搭乗する2号機と使徒との戦闘シーン。CGを駆使しての圧倒的なヴィジュアルとスピードで繰り広げられる迫力の映像に唖然とさせられました。「序」でも感じましたが、使徒のヴィジュアルにはかなり意匠を凝らしていますねぇ。

 アスカは本作で「惣流」ではなく「式波」と改名されており、テレビシリーズとはまるで別人の言動を見せます。レイも「心のないお人形」的キャラクターから「血の通う人間」的キャラに変えられていて、シンジの精神的な成長にこの二人が大きく関わる形になっていました。テレビ版に比べると時間が短いので、ストーリー展開がやや性急に思えますけど、これはまあいたしかたなし。それよりも人間関係のドロドロを潔くカットしてしまった分、庵野監督の意図が伝わりやすい話になっているのではないでしょうか?

 注目すべきは新キャラ「真希波・マリ・イラストリアス」ですね。「メガネっ子」「ツインテール」「巨乳w(?)」という萌え要素をつめこんだ彼女の言動から目が離せません。声優は坂本真綾だしw 5号機パイロットだったはずのマリが、なぜ2号機を動かせるのか?「裏コード」を知っていたのはなぜか?「破」本編中では名前すら明かされない謎の少女・マリ。3作目にどのような形でからんでくるのかが気になります。何かと「知っている」彼女は、3作目において「シンジを導く者」になるのかなー。

 さらに、再登場した渚カヲル。Mark6を駆る彼は、サードインパクトの始まりを一撃で止めちゃうほどの力の持ち主。彼は新劇場版でどのような位置づけをされるのか?ゲンドウを「お父さん」と呼ぶ、その真意は?シンジを「幸せにする」とはどういう意味?謎は深まるばかりですよ。宇宙空間でも存在可能な、明らかに「人ならざる者」ですから、今後はいっそう度肝を抜くことをやっちゃってくれそうな気がします。

 全体的にまとまりのよい佳作となった「破」には賞賛の声が多いことでしょう。加持の運んできた「ネブカドネザルの鍵」(アダムではなく)は何のために必要なのかとか、謎解きも楽しいんですけど、素直にエヴァの世界を楽しむ方がいいんじゃないかなーと私は感じました。前作から10年以上を経て新たに制作された新劇場版は「焼き直し」などではなく、続編、シンジの意志によって新たに構築された世界における「ループ」の物語らしいので。

 個人的には「瞬間、心重ねて」で見られたシンジ&アスカのコミカルな掛け合いがばっさりカットされていたのが残念です。「マグマダイバー」の「熱膨張?(赤面)」のくだりもなかったのがすっごくすっごく残念!劇中で挿入歌として使われる童謡には違和感抱きましたけどね、テーマソングとしての宇多田はナイスですよ。


 まだご覧になってない方、劇場へ是非!あ、エンドロール中に席を立って帰っちゃダメですよ。その後がお楽しみなんですから。

Canon EOS 40D + SIGMA 10-20mm F4-5.6 EX DC HSM

映画レビュー「天使と悪魔」

2009-05-25 08:49:02 | 映画レビュー

 先週劇場へ観に行ってきた映画の感想です。

【ひとこと】
 誘拐された4人とバチカンをラングドンは救えるか!?息詰まる138分!

【あらすじ】
 突然亡くなった教皇の弔いが行われているバチカン。悲しみに暮れる人々。コンクラーベが今にも始まろうとしているのに、有力な次期教皇候補である枢機卿たち4人が誘拐されてしまう。犯人からのメッセージには、カトリック教会を仇敵と見なす伝説の秘密結社「イルミナティ」のシンボルマークが!急遽呼び寄せられた象徴学の権威 ロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)は、最悪のシナリオを書き換えるべく、反物質研究者・ヴィットリア(アイェレット・ゾラー)とともに奔走する。1時間毎にせまるタイムリミット。二人は枢機卿たちを救い出せるのか?バチカンの崩壊を止められるか?!

【感想など】
 前作に続いて今回も、ラングドン名探偵の人間業とは思えない超超超名推理が見られます。 今回は最悪の場合「ローマを道連れにバチカン全体が吹っ飛ぶ」という仕掛け、それはもう焦りまくる状況ですよね。しかも、人質4人が1時間毎に処刑されてしまうなんて、あまりに厳しい条件下での謎解きですよ。「あぁ!!タッチの差!!!!!」というシーンもあり、非常にスピーディな展開が緊迫感を演出します。

 原作にはなかったキャラクターも映画では登場し、無理のない筋立てにするよう努力した製作者の苦労がうかがえます。ただでさえ長大な物語、たった138分に凝縮するのは至難の業だったことでしょう。前作では映画化にやや無理があったかと思われましたけど、今回はすんなりとストーリーに入り込んでいけました。あまりにせわしないと思われそうな場面転換も、この話ならばいたしかたなし、むしろほどよいスリルを感じられてよかったのでは?特筆すべきは舞台となったバチカンの雰囲気や、謎解きのヒントとなる美術品などの素晴らしさ。これを見るだけでも十分楽しめると思われます。

 主役の二人に加えて、今回は事件解決のカギを握る人物としてカメルレンゴ(ユアン・マクレガー)が登場、実にいい演技を見せてくれました。頭の固い枢機卿たちや司祭たちを相手に「戦争なんだ!」と演説を打つシーン、教皇の亡骸を確かめに行くシーン、反物質を手にヘリで急上昇していくシーンetc. 見せ場たっぷりでしたね。

 「天使と悪魔」というタイトルは実に意味深です。宗教と科学は長年相容れないもの、対立する存在として語られてきたわけですが、本当にそうなのだろうか?と考えさせられます。実は一人の人間、ひとつのものに、相反する概念が内包されていて、白か黒かという二極にスパっと分離できることなどほとんどない、それが物語全体から感じ取れました。どのようなことでも、さまざまな要素が複雑に入り組み、混ざり合い、存在しているわけです。あるいは見方を変えればどちらともとれる、というべきでしょうか。

 それにしても、カトリック教会内部の権力抗争は裏では凄まじそうですね。教会と他の団体との軋轢もけっこう厳しいものがあるように思いました。大抵の場合、事実は隠ぺいされて、美しく脚色され、後世に伝えられます。それは一概に「偽善的」と責められるものではなく、必要な「嘘」である場合も・・・。原作にはそのあたりのことも詳しく書かれているのでしょうね?(私はいまだ読んでいません、はい。)

 そうそう!爆発のシーンは特に迫力がありましたねぇ。劇場で鑑賞した方が、お家でDVDをご覧になるより面白いと思いますよ!

映画レビュー「おくりびと」

2009-03-17 21:41:54 | 映画レビュー

【ひとこと】
 いつも いつも 想っていたよ・・・

【あらすじ】
 東京の小さな楽団でプロのチェリストとして演奏していた小林大悟(本木雅弘)は、突然の解散のために失業。手に入れたばかりの高価なチェロを手放し、実家のある山形へ、妻・美香(広末涼子)を伴って帰ることにする。「とりあえずの職」と思って、求人広告を頼りに出向いた「NKエージェント」で、妻には詳細を伝えず働き始めた大悟。そこは「納棺」を執り行う小さな会社だった。社長(山崎勉)の風変わりな言動にも慣れ、次第に納棺師の仕事に魅せられていく大悟だったが、偏見から幼馴染は冷たくなり、妻までも実家へ帰ってしまう。それでも辛抱強く仕事を続けていた大悟のもとに、ある日、父が亡くなったという知らせが届く。大悟が6歳のとき、母と幼い大悟を置いて出奔した父は、ずっと音信不通だったのに・・・・

【感想など】
 日本映画界も、こういう作品を生み出せるのか・・・・と、大変嬉しく感じました。しっかりとした構想の下、長い時間(なんと12年!)をかけて丁寧に練られたであろう脚本。いぶし銀の輝きを放つ滝田洋二郎監督の演出の冴え。がっちりと脇をかためた名優達に支えられて、主演の本木雅弘が素晴らしい熱演を見せてくれました。役者として、ここまで成長していたのかと、正直驚きを隠せませんでした。もう「モッくん」などと軽々しく呼んではいけない気がしました。『納棺夫日記』(青木新門著)に感銘を受けてから、ずっとずっと映画化を切望し、奔走した彼の、粘り勝ちでしょう。

 ともすると重苦しい話になりがちなテーマですが、軽やかな笑いを巧みに交えながら「生」と「死」を描ききった名作。この映画が世に出るためにははかりしれない時間とエネルギーと想いが必要だったはずです。ほんの小さなエピソードひとつとっても、実に奥深い。語り始めればキリがないほど。中でもラストの感動に深く結びついている「石文」が私にとっては特に印象的でした。

 父の死の知らせに大悟と美香がとある港町へ駆けつけたとき、父は汚い布団に粗末な服装で寝かされていました。所有物は段ボール箱ひとつと、旅行カバン1個。狭い部屋で、港の仕事を手伝いながら、細々と生きていた父。納棺の途中で、きつく握り締められた父の手のひらを大悟が開いたとき・・・転がり出たのは白く丸い石ころ。それこそ、幼かった大悟が父に手渡した、思い出の「石文」だったのです。

 どれほど会いたかったことでしょう。けれども、自分が裏切ったのだから、あわせる顔もないのだから、そう思って、父は死ぬまで一人暮らしの寂しさに耐えたに違いなく・・・。親が子を想う気持ち、子が親を慕う心、時や場所が違っても、決して変わらない真実が、そこにはありました。

 納棺の仕事は、死者の尊厳を守りながら、遺された者たちに温かく優しい「別れ」を経験させるものです。それは決して「汚らわしい」ものなどではなく、熟練の手業と、真摯な姿勢、冷静さと優しさ、繊細さを必要とする、気高い仕事。主人公が社長の背中から学んでいく、その過程で、今まであまりにも誤解され過ぎていた仕事なのだとよくわかります。

 社長と大悟の手によって「おくられる」人々とその遺族のなんと幸せなことか。この映画の中で、「死」は決して終わりではなく、別の世界への入口、新たな旅立ちでした。悲しく辛いはずの葬儀の場が、厳かで優しい別れの儀式の場へと変わっていきました。ラストへと続く流れがとても自然で、ひとつも無駄がなく、130分の上映時間はあっという間でした。エンディングロールの背景には、納棺を粛々と行う大悟の姿。その所作の美しさ、気配りの見事さに、「もしも自分が死んだら、こんな納棺師の方にお願いしたい。」と感じました。

 脇役の名優たちの素晴らしさも、語りつくせないのですが、あまりネタばらしし過ぎてもこれからご覧になる皆さんに申し訳ないので、「とにかくご覧になってください」と強くオススメして終わりにします。いやぁ・・・ほんとに、素晴らしかった。日本国内の映画賞を総なめにし、アカデミー賞外国語映画賞をも受賞した本作、観て損はない傑作でしたよ。

映画レビュー「チェ 39歳 別れの手紙」

2009-02-17 14:03:53 | 映画レビュー

【ひとこと】
 彼は言った。「私は、人間を信じている。」と。

【あらすじ】
 キューバ革命が成功し、政権を握ったフィデル・カストロの隣から、突然消えたエルネスト・“チェ”・ゲバラ。彼は別人になりすましてボリビアに入国し、ゲリラ部隊を組織して、ここでも革命を試みる。しかし、キューバでは成功した手法が、ボリビアではことごとく失敗。ゲバラたちは次第に追い詰められ・・・

【感想など】
 辛い映画でした。観終わって感じたのは「ゲバラ犬死かよ?」でした。なんという報われなさ。キューバ革命成功の立役者として、世界中にその名を知られた人物の、あまりに悲しい死。

 状況は激変していました。キューバ革命の頃とは、世界が変わってしまっていたんです。けれど、ゲバラは変わらぬ信念を貫こうとして、不利な闘いを余儀なくされ、結果的に仲間を次々に失います。

 キューバではゲリラ部隊の味方となってくれた農民達、ボリビアでは手助けどころか密告者となっていました。喘息に苦しみながら、必死で士気を鼓舞しようとするエルネストの努力も虚しく、次々に脱走や除隊する者が出て、ボリビア軍による掃討作戦はゲリラ軍を殲滅。囚われの身となったゲバラに、もはや味方はひとりもいませんでした。

 とても印象的なシーン。囚われたゲバラを見張っていた兵士が、キューバのことをいろいろと質問してきたときのことです。彼が「共産主義者でも神を信じるのか?」とたずねたら、ゲバラは「キューバにも宗教はあるし、人々は神を信じている。」と答えます。「あなたは神を信じるのか?」との問いかけに、ゲバラは「私は、人間を信じている。」とハッキリ答えました。その兵士は、ほんの短い時間でも感化されてしまいそうなゲバラの強い信念に触れて、自分が変わってしまうことを恐れます。もう一人の見張り兵に、役を交替してもらうほど。ゲバラの持つ圧倒的な気高いオーラは、満身創痍で捕虜となってもなお、少しも損なわれてはいませんでした。自分達の試みたボリビア革命は失敗しても、ひょっとしたら、そこから農民達が学んで、革命を成功に導くかもしれない、ゲバラはそう信じたまま、逝きました・・・・。

 シートに包まれ、ヘリの外側にくくりつけられて、運ばれていくゲバラの亡骸。淡々と描かれたこの映画のラストは、あまりにもあっけない。その冷静すぎるほど感情を排除した演出が、退屈と受け取られるかもしれません。事実だけを追いかけ畳み掛ける手法。ゲバラと同化したかのような視点で。ソダーバーグ監督が、そして、ゲバラを演じきったベニチオ・デル・トロが、この映画で何を伝えようとしていたのか・・・・私には「もっとゲバラを知ってくれ」と言っているように思えました。

 彼はまごうことなき英雄です。真の革命家として高く評価されている人物です。けれども意外に知られていないこともたくさんある、だからこそ、混沌の度合いを深める現代にあって、あらためてクローズアップされるのでしょう。その強い信念、行動力、気高い思想、純粋さ、今ではほとんど絶滅してしまったかと思われるものが、ゲバラの生涯にはありました。

 もっと知りたい、と思います。ゲバラの見たもの、感じたこと、周囲にいた人々のこと。とりわけ、カストロという人物は、ゲバラをどう思っていたのか、そのような諸々を 知りたいと思いました。この映画はきっかけになればいい、知ろうとするきっかけに。観て楽しむ映画ではなく、観る人によって実にさまざまなことを考えさせる映画、それが本作なのだろうと、私は思いました。これは「チェ 28歳の革命」と続けてご覧になることをオススメします。2本でひとつの作品だと思うので。