平和記念資料館から宇佐川弘子さんをお迎えしました。
原爆で亡くなった舩附さんの叔父様のお話を届けていただきました。
原爆が落ちた8月6日の午前中は 宮島の人は広島に原爆が落ちたことがわからなかったそうです。
大きな音がしたので宮島包みが浦の弾薬庫が爆発したかと宮島の人は思ったそう。
午後になって負傷して宮島に帰ってきた人の姿を見て、そして 広島方面が真っ赤に燃えているのを見て、
広島に原爆が落ちたことを知ったそうです。
宇佐川さんも舩附さんも戦争も原爆も知らない世代。
戦争を実際に体験している人がどんどん少なくなっていく時代だからと、
宇佐川さんは毎週月曜は、平和記念資料館でピースボランティアを そして その他の日は平和学習講座の講師として
学校等に出向き、子供たちにお話しをされています。
舩附さんは亡くなった叔父様のことを「のこぎり」という詩に書いていらっしゃいます。
お二人の共通の思いは「広島に育った子供たちに思いを受け継いでいきたい。次世代に託していきたい。」ということ。
「いってらっしゃい。」を 広島弁では「いって帰りんさい。」と言います。
原爆が落ちた日、「行って帰ってくること」ができなかった多くの方がいらっしゃるということを風化させないために、
私もできることを続けていきたいと思います。