Chie Blog

フリーアナウンサー ・フェリーチェChie 代表
司会・セミナー講師・小中高生の英語教室主宰・ラジオパーソナリティ

サーロー節子さん講演会

2018年11月23日 | 平和

 今日は 「サーロー節子氏特別講演会 キリスト教主義女子教育と平和 
~私が受け取ったもの、あなたに託したいもの~」が 広島女学院大学で開催されました。
このお話しはどうしてもお聞きしたいと思っていましたので 私も申し込み開始と同時に申し込んで
いってまいりました。1100名以上の方がお集まりでした。
外国の地で核廃絶を訴えてきたサーロー節子さんは、広島女学院高等女学校二年生の時に被爆。
当時のクラスメイトはほぼ全滅。失われた351名のひとつひとつの尊い命の意味を伝えるために
同窓生が作った351名の名前が書かれた黄色い布をもって世界をまわられています。
原爆にまつわる自身の経験を英語で伝える証言活動を長年続け、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が
2007年に発足した時から ICANの顔として国際会議や国連で被爆者として体験を語ってこられました。
2017年7月7日の国連本部での核兵器禁止条約採択に貢献。
同年12月ICANのノーベル平和賞授賞式で受賞演説をされました。

今日の講演の中で サーローさんご自身がご家族を原爆で亡くされた経験をお話しになった場面では私も涙がとまらなくなりました。今回の広島訪問でサーローさんは広島市長に核兵器禁止条約への署名と批准を進めるようにも求められ、その際のエピソードなども今日お話しになりました。
7月7日の核兵器禁止条約の採択が「核兵器の終わりの始まり」。
やっと最初の一歩で まだまだしないといけないことはありますが
希望と勇気を粘り強くもっといきましょう。と強いメッセージを送っていただきました。
 サーローさんは被爆して意識が戻ったとき、左肩を人に触られ、「あきらめるな。踏ん張れ。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?そこに向かって這っていきなさい。」と言われたとノーベル平和賞授賞式のスピーチの中でもおっしゃっていましたが その言葉にその後のサーローさんの行動力の原点があるのですね。
今日の講演会では日頃お世話になっている廿日市国際交流協会通訳ボランティアの方のお顔、
今年のホームカミングデー実行委員の先輩方のお顔がたくさんありました。
サーローさんは 「声」を発信することが大事ともおっしゃっていました。
「声」でお仕事をしている私、平和ボケ、幸せボケをしている自分を客観視し 身が引き締まる思いでした。

コメント
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