『臨界19時間の教訓―検証ドキュメント』
著: 岸本 康, 核事故緊急取材班
出版: 小学館 (1999年12月)
「青い光」(臨界に伴って発生するチェレンコフ光…と<じつは>誤って伝えられる)を見て犠牲になられた作業員の お2人も、この本の出版時は治療中。
第1章 1999年9月30日―青い光・臨界事故の始まり
第2章 1999年10月1日―誰が臨界を止めるのか
第3章 1999年10月2日―終わりなき、臨界事故
総括 臨界事故の探求
こんな表紙
その時点までに判明していた事実関係や、関係者の証言などをとりあえずまとめて大急ぎで出しました、という趣。
原子力安全課 緊急被ばく医療REMnetサイト~(財)原子力安全研究協会運営
remnet/東海村JCO臨界事故
remnet/臨界事故
‘特に周囲に水等、中性子に対し減速効果や反射効果を持っている物質がある場合は注意する必要がある。’
という記載がある。
JCO事故でも、沈殿槽を覆っていた冷却水が臨界を19時間にもわたって持続させた原因になった(究極の想定外!)。
通常の(というのも変だが)臨界事故では、核分裂物質がバーンと飛散してしまうことが多いので、臨界状態はすぐに終息する(きっかけを作った人物1名は多量の被ばくで死亡するなど)。
JCOの事故では、ありえないトンマな状況で臨界が持続してしまった。この状態を打破するため、事業所の職員から募った決死隊18名が2名ずつ現場に突入して沈殿槽の水抜きを試み、ついに成功して19時間ぶりに臨界状態を終わらせることが出来た。
通常は厳重に閉じ込められた原子炉の中で起こす臨界状態が、市内の普通の建物でひょいと起きてしまったという、ありえない事故。急を聞いて駆けつけた救急隊員は何も知らされずに当該建物まで行くはめになるし…。
wiki/東海村JCO臨界事故
公共放送が始めた商売:nhk-ondemandNHKスペシャル 被曝治療83日間の記録 ~東海村臨界事故~
憶えてるぞ。そうか、2001年の放映だったか。
じつは、この番組は「これまで見たなかで、最も重苦しいTV番組」の双璧なのだ。
(もうひとつはこれ⇒20081031付)
当該番組取材班による本(未読)を紹介しているサイトの例
うーん、どうしようかな?相当気合を入れないと読めないだろな。
→その後、読みました。
新潮文庫
朽ちていった命―被曝治療83日間の記録
NHK「東海村臨界事故」取材班【編】
wiki/Criticality_accident 日本語wikiにも飛べる。
過去の臨界事故例の記載あり。それらの引用元の詳細報告書⇒
McLaughlin et al. "A Review of Criticality Accidents"by Los Alamos National Laboratory
東海村JCO臨界事故を取り上げた個人ブログの例:(追記は心臓の弱い人などは見ないように)なんていわれちゃうと、見ないわけにいかんだろが…
(お食事中の方はちょっと)
2005年9月(事故から6年後)のニュース:
<JCO臨界事故>「無知が原因だった」 唯ーの生存者語る
JST失敗知識データベース > 失敗事例 >
JCOウラン加工工場での臨界事故
2009年は事故から10周年になる。事故の際の「決死隊」で3分間で70年分の放射線を浴びたJCO社員の方や、「てんかんで倒れた」との通報で事故現場の‘転換’試験棟に何の防護もせずに駆けつけた救急隊員など、多くの被ばく者が出たが、みなさんその後お元気だろうか。マスコミの10周年報道はどのような視点で企画するのかな。
「ファットマン効果」は知らなかったぞ:
本書の「総括 臨界事故の探求」で、「いつのことであったか、東欧のある原子力研究所でこんな事故が発生した。」という書き出しで「デブが机の間を通ったために臨界が起きてしまった」事例を解説している。
二つの机が人ひとり通れるだけ離してあり、それぞれの机上に大きな瓶に入った溶液状のウランが入っている臨界実験装置があった。用事のある人はこの隙間を通っていたのだが、たまたま「小錦のようなデブ」が離しておいてあった机の間を通った際、臨界が発生してその人が倒れ、入院したがまもなく死亡した、と。
普通の人よりも体内の水分が多いデブが離してあったウラン溶液の間を通ったため、「デブの体を通った中性子は速度が落ちてウラン235にぶつかりやすくな」り、「通常は連鎖反応が起きない二つの机の間を、デブが通行したためその瞬間に臨界事故が生じた」のだと。
“以来、専門家はこれを「ファットマン(でぶの)効果」と呼んで警戒している。”のだそうだ。
本当かな?
wikiなどの記載が正しいとすればだが、これまで記録されている臨界事故は以下の通り:
1945年以来、少なくとも21人が臨界事故で死亡している。内訳はアメリカで7人、ソ連で10人、日本で2人、アルゼンチンで1人、ユーゴスラビアで1人である。これらのうち9人は核物質処理施設での事故で、残りは研究用原子炉での事故である。(wiki)
「東欧のある原子力研究所」というからには、ユーゴスラビアが該当する可能性が考えられるのだが、
1958年のBoris Kidrič Institute of Nuclear Sciences in Vinča, Yugoslaviaでの事故(6名被ばく、うち1名死亡)は、research reactor のoverheatだといわれておるな。
Research Reactor Accidents Jim Green - 1998
Yugoslavia (Boris Kidric Institute) - 1958 - research reactor overheated - six scientists were irradiated and transported to France for treatment, with one death. (Vallentine, 1992.)
だいたい、もしそんなユニークな事故だったら、何年にどこでと明記するのが基本的態度であるべきだ。「いつのことであったか…」で流すべき話ではないだろう。
臨界事故の原因に関して、「理屈ではこういうケースも起こりうる」と面白おかしく伝えるために誰かが考え出し、出所未確認&検証なしで伝言ゲーム的に一部で語られて来た都市伝説…という可能性はないだろうか?
お若いの(若くねえよ)、昔の旧東側のことでもあり、情報が公開されていないのだよ。ヒソカに伝わった話なのじゃ…?
でもさ、上掲マクローリンらの報告書には、ユーゴスラビアの事故は勿論、旧ソ連の秘密都市内の核燃料加工施設での臨界事故も設備の配置図入りで詳細に解説しているよん。
wiki/Mayak
日本語wikiへのリンクあり(ただし日本語は「ウラル核惨事」)
Mayak was the goal of Gary Powers' surveillance flight in May 1960.(wiki)
なのですって!
そういえば、むかし「マヤーク通信」という、灯台の絵がついたニューズレターがあったっけ。
追記(リンク):
2013年11月のABC Newsの記事
著: 岸本 康, 核事故緊急取材班
出版: 小学館 (1999年12月)
「青い光」(臨界に伴って発生するチェレンコフ光…と<じつは>誤って伝えられる)を見て犠牲になられた作業員の お2人も、この本の出版時は治療中。
第1章 1999年9月30日―青い光・臨界事故の始まり
第2章 1999年10月1日―誰が臨界を止めるのか
第3章 1999年10月2日―終わりなき、臨界事故
総括 臨界事故の探求
こんな表紙
その時点までに判明していた事実関係や、関係者の証言などをとりあえずまとめて大急ぎで出しました、という趣。
原子力安全課 緊急被ばく医療REMnetサイト~(財)原子力安全研究協会運営
remnet/東海村JCO臨界事故
remnet/臨界事故
‘特に周囲に水等、中性子に対し減速効果や反射効果を持っている物質がある場合は注意する必要がある。’
という記載がある。
JCO事故でも、沈殿槽を覆っていた冷却水が臨界を19時間にもわたって持続させた原因になった(究極の想定外!)。
通常の(というのも変だが)臨界事故では、核分裂物質がバーンと飛散してしまうことが多いので、臨界状態はすぐに終息する(きっかけを作った人物1名は多量の被ばくで死亡するなど)。
JCOの事故では、ありえないトンマな状況で臨界が持続してしまった。この状態を打破するため、事業所の職員から募った決死隊18名が2名ずつ現場に突入して沈殿槽の水抜きを試み、ついに成功して19時間ぶりに臨界状態を終わらせることが出来た。
通常は厳重に閉じ込められた原子炉の中で起こす臨界状態が、市内の普通の建物でひょいと起きてしまったという、ありえない事故。急を聞いて駆けつけた救急隊員は何も知らされずに当該建物まで行くはめになるし…。
wiki/東海村JCO臨界事故
公共放送が始めた商売:nhk-ondemandNHKスペシャル 被曝治療83日間の記録 ~東海村臨界事故~
憶えてるぞ。そうか、2001年の放映だったか。
じつは、この番組は「これまで見たなかで、最も重苦しいTV番組」の双璧なのだ。
(もうひとつはこれ⇒20081031付)
当該番組取材班による本(未読)を紹介しているサイトの例
うーん、どうしようかな?相当気合を入れないと読めないだろな。
→その後、読みました。
新潮文庫
朽ちていった命―被曝治療83日間の記録
NHK「東海村臨界事故」取材班【編】
wiki/Criticality_accident 日本語wikiにも飛べる。
過去の臨界事故例の記載あり。それらの引用元の詳細報告書⇒
McLaughlin et al. "A Review of Criticality Accidents"by Los Alamos National Laboratory
東海村JCO臨界事故を取り上げた個人ブログの例:(追記は心臓の弱い人などは見ないように)なんていわれちゃうと、見ないわけにいかんだろが…
(お食事中の方はちょっと)
2005年9月(事故から6年後)のニュース:
<JCO臨界事故>「無知が原因だった」 唯ーの生存者語る
JST失敗知識データベース > 失敗事例 >
JCOウラン加工工場での臨界事故
2009年は事故から10周年になる。事故の際の「決死隊」で3分間で70年分の放射線を浴びたJCO社員の方や、「てんかんで倒れた」との通報で事故現場の‘転換’試験棟に何の防護もせずに駆けつけた救急隊員など、多くの被ばく者が出たが、みなさんその後お元気だろうか。マスコミの10周年報道はどのような視点で企画するのかな。
「ファットマン効果」は知らなかったぞ:
本書の「総括 臨界事故の探求」で、「いつのことであったか、東欧のある原子力研究所でこんな事故が発生した。」という書き出しで「デブが机の間を通ったために臨界が起きてしまった」事例を解説している。
二つの机が人ひとり通れるだけ離してあり、それぞれの机上に大きな瓶に入った溶液状のウランが入っている臨界実験装置があった。用事のある人はこの隙間を通っていたのだが、たまたま「小錦のようなデブ」が離しておいてあった机の間を通った際、臨界が発生してその人が倒れ、入院したがまもなく死亡した、と。
普通の人よりも体内の水分が多いデブが離してあったウラン溶液の間を通ったため、「デブの体を通った中性子は速度が落ちてウラン235にぶつかりやすくな」り、「通常は連鎖反応が起きない二つの机の間を、デブが通行したためその瞬間に臨界事故が生じた」のだと。
“以来、専門家はこれを「ファットマン(でぶの)効果」と呼んで警戒している。”のだそうだ。
本当かな?
wikiなどの記載が正しいとすればだが、これまで記録されている臨界事故は以下の通り:
1945年以来、少なくとも21人が臨界事故で死亡している。内訳はアメリカで7人、ソ連で10人、日本で2人、アルゼンチンで1人、ユーゴスラビアで1人である。これらのうち9人は核物質処理施設での事故で、残りは研究用原子炉での事故である。(wiki)
「東欧のある原子力研究所」というからには、ユーゴスラビアが該当する可能性が考えられるのだが、
1958年のBoris Kidrič Institute of Nuclear Sciences in Vinča, Yugoslaviaでの事故(6名被ばく、うち1名死亡)は、research reactor のoverheatだといわれておるな。
Research Reactor Accidents Jim Green - 1998
Yugoslavia (Boris Kidric Institute) - 1958 - research reactor overheated - six scientists were irradiated and transported to France for treatment, with one death. (Vallentine, 1992.)
だいたい、もしそんなユニークな事故だったら、何年にどこでと明記するのが基本的態度であるべきだ。「いつのことであったか…」で流すべき話ではないだろう。
臨界事故の原因に関して、「理屈ではこういうケースも起こりうる」と面白おかしく伝えるために誰かが考え出し、出所未確認&検証なしで伝言ゲーム的に一部で語られて来た都市伝説…という可能性はないだろうか?
お若いの(若くねえよ)、昔の旧東側のことでもあり、情報が公開されていないのだよ。ヒソカに伝わった話なのじゃ…?
でもさ、上掲マクローリンらの報告書には、ユーゴスラビアの事故は勿論、旧ソ連の秘密都市内の核燃料加工施設での臨界事故も設備の配置図入りで詳細に解説しているよん。
wiki/Mayak
日本語wikiへのリンクあり(ただし日本語は「ウラル核惨事」)
Mayak was the goal of Gary Powers' surveillance flight in May 1960.(wiki)
なのですって!
そういえば、むかし「マヤーク通信」という、灯台の絵がついたニューズレターがあったっけ。
追記(リンク):
2013年11月のABC Newsの記事