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真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち 2012年10月19日紙版発売 今野浩 著

2022-01-18 | 読書-エッセイ/小説etc
工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち

『工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち』|感想・レビュー - 読書メーター

東工大一の美人と言われた六本木秘書(字が綺麗だが欠勤が多く困っていたところ、寿退職)を娶ったK氏はコニタン(小西博之)で確定、なのだそう(村上春巻さんによる)。本書中では「コメディアンのK」としてメディアで報じられた由。

当初、奥脇教授と経済学担当の売れっ子「K’教授」の秘書を務めていた、成城に住んでいる元社長(三井埠頭社長・会長だそう)令嬢の「ミセスK」を譲り受ける。
「ミセスK」は、ヒラノ教授が東工大を停年退官し中央大(70歳停年)に移籍する際、伴って移籍のお願いをいったん拒絶したが、ブルドーザーのように能力とやる気に満ちた「岩村夫人」を紹介してくれる。
ところが、「岩村夫人」が約3年で家庭の事情で退職してしまい、旧知の「ミセスK」(ヒラノ研OBたちの忘年会がミセスK宅で開かれていたほど)にお願いして中央大に来ていただく。
結局、ヒラノ教授の停年まで、通算23年間にわたりお世話をしていただく(事務職員は63歳停年だそうで、ヒラノ教授よりも7歳若いミセスKはちょうど)。
小学校から大学まで成城に通った成城マダム秘書ことミセスKは、、森山良子さんと同期だそうで、あとがきで「国広美智子さん」と明かされ深甚な謝意が表される。

金融工学20年 | 東洋経済STORE2005年7月8日 発売
のあとがきでは、本文の入力でお世話になった秘書として「岩崎美智子氏」への謝意が表されていた。
同一人物を指すと思われる。どっちだ?
~どちらかが旧姓だったりするのではないかと邪推中。

経済学担当の売れっ子の「K’教授」は、香西 泰(こうさい・ゆたか)氏だな!
昭和56年 4月 東京工業大学工学部教授
昭和62年 4月 社団法人日本経済研究センター理事長
香西泰氏が死去 元政府税調会長

ミセスKがワープロ入力したらしい原稿は、「令嬢」はきちんと令嬢になっているのだが、お嬢様が「お譲様」になっているところが複数箇所あった。


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