「駅伝がマラソンをダメにした」生島淳/著読みました。
なぜマラソンが取り上げられているかということですが、つまり世界的な標準のステージとしてマラソンが代表例でタイトルになっているということのようです。
これは世界のステージということで1万メートルでももちろんかまわないし、多少はその部分にも触れてあります。
実際には「箱根駅伝」がダメにしたといってもいいようなもので「箱根駅伝」への大学の取り組みやその分析にかなりの分量が裂かれています。
ただ、現実には少々回りくどい理由があるのではないか。世界的にもマラソンのレベルが上がり、競技として成熟してきたことで高速化が進み、そのスピードに対応できなくなってきているのが主な理由だと思うのだが、それが果たして駅伝のせいなのか?
本書でも触れられているが、これほど注目を浴びているということで競技人口を多くするという功の部分もあり、差し引きした場合はどうなのか。
それでは5000mや1万メートルの記録が世界から遅れていることが駅伝のせいなのだろうかということになるが、現実には箱根はかなり特殊な駅伝でほとんどの区間が約20キロと他の駅伝に比較して非常に長い。
大学生が箱根の練習をしていることで1万メートルが遅くなるというなら分かるがマラソンとなるとどうなのか。20キロを速く走るために当然持久力的な練習も走だが、マラソン以上に(距離がマラソンより短い分)スピードの養成が必要なことは言うまでもないだろう。
マラソンが低迷しているといっても結局ケニアを中心としたアフリカ系の選手に勝てていないということで、これはマラソンに限らず走る競技ではほぼどの距離もそれが実情だろう。
これまでは競技として未成熟だったがために、練習などの違いにより優位性を保ってきたということが大きな要因ではないのだろうか。
女子マラソンが男子に比べ依然、優位性があるのは単に成熟の過程にあるのか、成熟した段階にあるのかの違いのような気がする。現実にラドクリフ・ヌデレバを代表に徐々に世界的には厳しくなってきているのではないか?
男子と違って女子の場合は女性がスポーツをすること社会進出をして行くことへの差別的な問題も民俗によってはあり、しばらくは厳しいながらも世界的な選手層の薄さの中で今しばらくはそれなりの地位を保つだろうが、時間の問題という気がする。それは男女での駅伝の注目のされ方の大きさの差によるものではないだろう。
駅伝の注目の高さによる、実業団選手というプロに近い存在があることや選手の供給などは、本書で語られる燃え尽き症候群との差し引きの問題ではマイナス面の方が多いとは思いがたい。
もっとも福岡国際の地盤沈下が駅伝によるものであることは間違いない。
今年は知らないが、昨年の福岡国際マラソンでは実業団や学生(それ程もともと多くないが)の駅伝シーズンということで国際部門が少なくて、市民部門の上位者から国際部門と同じスタートになった人があったと聞いた。これでは参加資格の2時間27分の意味はなんなんだろうとは思うが・・・。
駅伝があるからこそ長距離をやりたいという気持ちを持つ人がいることを考えると功の方が多いような気がします。
確かにスケジュール的にはかなり厳しくなるかもしれないが、プロランナーは故障などの理由がなければ、年に1回のマラソンという人はいないのでは。
もちろんどこにピークを持っていくかという問題はあるにせよ、それ程大会だらけでレースばかりとは一概に思えないのだが。
なぜマラソンが取り上げられているかということですが、つまり世界的な標準のステージとしてマラソンが代表例でタイトルになっているということのようです。
これは世界のステージということで1万メートルでももちろんかまわないし、多少はその部分にも触れてあります。
実際には「箱根駅伝」がダメにしたといってもいいようなもので「箱根駅伝」への大学の取り組みやその分析にかなりの分量が裂かれています。
ただ、現実には少々回りくどい理由があるのではないか。世界的にもマラソンのレベルが上がり、競技として成熟してきたことで高速化が進み、そのスピードに対応できなくなってきているのが主な理由だと思うのだが、それが果たして駅伝のせいなのか?
本書でも触れられているが、これほど注目を浴びているということで競技人口を多くするという功の部分もあり、差し引きした場合はどうなのか。
それでは5000mや1万メートルの記録が世界から遅れていることが駅伝のせいなのだろうかということになるが、現実には箱根はかなり特殊な駅伝でほとんどの区間が約20キロと他の駅伝に比較して非常に長い。
大学生が箱根の練習をしていることで1万メートルが遅くなるというなら分かるがマラソンとなるとどうなのか。20キロを速く走るために当然持久力的な練習も走だが、マラソン以上に(距離がマラソンより短い分)スピードの養成が必要なことは言うまでもないだろう。
マラソンが低迷しているといっても結局ケニアを中心としたアフリカ系の選手に勝てていないということで、これはマラソンに限らず走る競技ではほぼどの距離もそれが実情だろう。
これまでは競技として未成熟だったがために、練習などの違いにより優位性を保ってきたということが大きな要因ではないのだろうか。
女子マラソンが男子に比べ依然、優位性があるのは単に成熟の過程にあるのか、成熟した段階にあるのかの違いのような気がする。現実にラドクリフ・ヌデレバを代表に徐々に世界的には厳しくなってきているのではないか?
男子と違って女子の場合は女性がスポーツをすること社会進出をして行くことへの差別的な問題も民俗によってはあり、しばらくは厳しいながらも世界的な選手層の薄さの中で今しばらくはそれなりの地位を保つだろうが、時間の問題という気がする。それは男女での駅伝の注目のされ方の大きさの差によるものではないだろう。
駅伝の注目の高さによる、実業団選手というプロに近い存在があることや選手の供給などは、本書で語られる燃え尽き症候群との差し引きの問題ではマイナス面の方が多いとは思いがたい。
もっとも福岡国際の地盤沈下が駅伝によるものであることは間違いない。
今年は知らないが、昨年の福岡国際マラソンでは実業団や学生(それ程もともと多くないが)の駅伝シーズンということで国際部門が少なくて、市民部門の上位者から国際部門と同じスタートになった人があったと聞いた。これでは参加資格の2時間27分の意味はなんなんだろうとは思うが・・・。
駅伝があるからこそ長距離をやりたいという気持ちを持つ人がいることを考えると功の方が多いような気がします。
確かにスケジュール的にはかなり厳しくなるかもしれないが、プロランナーは故障などの理由がなければ、年に1回のマラソンという人はいないのでは。
もちろんどこにピークを持っていくかという問題はあるにせよ、それ程大会だらけでレースばかりとは一概に思えないのだが。
旭化成なんて強い時は両方強かった。それと防府は相当寒そうなんで、冷え対策万全になさってください。今の予想の天気だと岐阜の女子駅伝、開催が危ぶまれますね。