goo blog サービス終了のお知らせ 

スチャラカランナーの日々

運動部経験なし、40代マラソンランナーの趣味日記。ランニングも趣味のひとつですから。

ブレックファーストラン パリマラソン2006前日イベント

2006年04月14日 | マラソンコース上レポート
 ブレックファーストラン パリマラソン2006の前日イベントです。

 参加者はパリマラソンのエントリー者とこのブレックファーストランのエントリー者、ブレックファーストランのみの参加もできるようです。(参加料金5ユーロのようでした。間違っているかもしれません)



 さて前述したようにスタートはユネスコの本部前です。
 8時30分スタートでしたが、エントリー会場のマラソンエクスポでブレックファーストランについてはエントリー作業をしていなかったので、参加の交渉をすることを考えて、エントリーのテントができる7時過ぎに現地に到着。少々早いせいもあり、メトロから降りたランナーは私以外には1名。

 教科書などでも見たユネスコの本部と言うことで、駅まで行けばすぐに分かるだろうと思っていましたが駅の周辺は住宅地で、しかもほとんど人も歩いていない。
 一緒に降りたフランス人ランナーと途方にくれていると、通勤らしき女性が通りかかりユネスコ本部を訊き会場へ向かう。それ程遠くはありませんでした。

 この直後、今度はフランス語で道を訊かれユネスコ本部を探していることは分かり「あっちだよ」と答えました。
 フランスに留学に来ている日本の女子大生でした。

 何となく雰囲気で日本人と分かるものですね。さて3人で現地へ。テントで用意したメモを見せ(「私は日本人です。フランス語は話せません。パリマラソンに参加しますが、ブレックファーストランへはエントリーしていませんが、走りたいのです。」と書いておいた)パリマラソンのゼッケンなど一式を見せると、ブレックファーストランのゼッケンをくれました。

 コースはユネスコ本部からエッフェル塔の横を通り、凱旋門まで(マラソンと同じ場所)まで、3キロと前回書きましたが5キロです。
 フランス語で5はサンクというので、サンクキロメートルと言っていたのを勘違いしたものでした、間抜けな話です。



 ユネスコ本部。パリのいろいろな馬鹿でかい施設を見ていると教科書などでイメージしていたものと比べると、随分小さく感じました。


 進行方向の様子。最前列には各国の国旗を持ったランナーたち


 後方。ユネスコ本部が見えます。


 スタート。アパートの上にエッフェル塔が見えています。

 以下、ブレックファーストランと町のようす











 前方の白い建物の前はマラソンコースになっています。ここはセーヌ河を渡る橋の上。







 ユネスコの職員でしょうか?


 ゴール。ここはマラソンのゴールになります。


 道を訊かれた女子大生がゴールで写真を撮ってくれました。


コタロウ様へ
 メールアドレスを書くものがなかったので送れませんので、多少大きめの画像にしておきました。以下から取って下さい。









「パリマラソン2006」走ってきました、その2

2006年04月12日 | マラソンコース上レポート
 その1からの続き。

 ここが25キロくらい。再びバステューユ広場を抜けセーヌ河沿いの道へ


 バステューユ広場

 セーヌ河沿いの道路は行きのコースとは数百メートル離れて平行状態ですが、川面と近い一段下になっていますので、市庁舎やルーブル美術館はほとんど見えません。


 セーヌ河縁


 セーヌ河縁

 ここからは対岸のオルセー美術館やエッフェル塔を眺めて走ります。

 27キロ付近でサブスリーの集団に抜かれました。パリマラソンでは3時間から30分刻みでペースメーカーが用意されています。この頃私は終わっていましたので、必死に走る3時間集団の障害物状態。この道は大会の規模の割には少々道が狭いのではと言う印象。


 3時間のペースランナー


 風景


 この橋がポンヌフ橋


 風景


 27キロあたりで対岸にオルセー美術館

 風景


 28キロ


 こんな応援も


 30キロ地点では左手にエッフェル塔


 取材スタッフも給水




 シカゴマラソンの案内が(後日ブレックファーストランの模様も乗せます) 


 古い建物ばかりではありません。


 街角


 32キロ地点


 風景


 35キロからブローニュの森すぐ横を北上


 このあたりも石畳


 風景


 競馬場が見えました


 個人で出している給水所、ワインを出しています。結構ありました


 桜


 途中からは森へ


 このあたりになると、歩いている人も多数


 森の中のコースではUターンもあり


 40キロ地点


 ゲイの集団の応援(多分)


 41キロ地点


 41キロを過ぎても森、ゴールそばの凱旋門は見えません。39キロからの3キロは再び走りました。

 カーブを曲がると突然広場、ロータリーを抜けると前方に凱旋門。その手前がゴール。




 前方に凱旋門


 42キロ地点




 ゴール

 完走メダルをもらいますが、首に掛ける人と手渡す人が。
 海外マラソンではほとんど首に掛けてくれるのですが。その後黒のポンチョを渡されました。
 


 さらに進むと、水とオレンジとりんごとバナナを適当に取れます。オレンジはレース中に腹一杯になるほど食べたので、りんごを取りました。


 凱旋門に向かって歩くと出口


 露天の食べ物屋が沢山


 パリマラソンのコースですが、急激な上りこそないものの、むしろ平らな所が少なく、小さなアップダウンの繰りかえしでリズムに乗りにくいコースでした。ラップタイムを気にするとかえって力が一定しない。

 前半は石畳が多く足首が安定しづらいです。硬いので疲れるといいますが、私のレベルでは正直よく分かりません。それ程底の薄い靴を使用しないので関係ないのかも。ただ前足部では石畳のでこぼこははっきり分かりました。

 仮説トイレがほとんどないので、郊外の森ですることをある程度想定しているのかもしれません。スタート地点の各ブロック内に仮設トイレがありましたが、こういうのは、初めて見ました。

 ただ、パリマラソンのランナーのマナーは今まで参加したマラソンで最も悪いと思いました。
 スタート地点に防寒用に支給されていたビニールのポンチョを捨てたり、ペットボトルも足元に捨てている。中には前方に捨てる人もいて、石畳に躓くことより、足元のゴミに脚をとられないようにしないといけない。かなり詰まった状態でスタートするので、転んだら後ろが将棋倒しになりかねない。

 景色は、とにかく名所を走るので最高にいいのと、応援がこれほど途切れる場面が少ないのはニューヨークに次ぐものといえます。

 他にもエントリーの時にゼッケンを留めるピンが入っていたりいなかったり、ブレックファーストランの案内がなかったり結構いい加減ですが、融通を利かせた運営もしているようで、世界的な有名選手は少ないですが、市民のためのマラソン大会と言う大会でした。
 エントリーの段階では健康診断書を出させられたり(初めてでした)、ゼッケン交換の時にパスポート(身分証明書)を出させられるなど他にない細かいチェックもあるのですが。

 ブレックファーストランで知り合った日本からの留学生が11月に申込んだ時にはフランス国内枠は既に締め切っていたそうなので、他人に成りすまして走ろうと言う人もいるのかもしれませんが。

 日本人も非常に少ないようなので、海外マラソンに出ているという実感は非常に大きいです。是非一度どうぞ。

 毎年同日に開催される1万2千人程度と規模的には劣るもののトップランナーのレベルは上のロッテルダムマラソン(昨年のレポートはこちら)の方がタイムは望めると思いますが、楽しく走れるのはこちらのパリマラソンでしょう。

パリマラソン2006の前日イベントはこちら

「パリマラソン2006」走ってきました その1

2006年04月12日 | マラソンコース上レポート
 本日パリマラソンから帰ってきました。予想以上に体が疲れきっていて、脚がだめになった言うより全身から力がなくなり、レース中だというのに眠くてたまらなくなり、28キロから10キロ歩いてしまいました。

 最後の3キロはかなり力が回復して普通に走りましたが、自身のマラソンとしてはまことに情けない結果になってしまいました。もともとタイムを狙って海外マラソンは走らないので、楽しんで3時間10分程度でと思っていたのですが、想像以上に疲れが溜まってきているとしか言いようがありません。

 さてパリマラソンのレポートです。今年は30回記念大会。だからといって特別な企画があったかどうかはわかりませんが。

 スタートは8時45分、5度くらいだったようですが、その後日が昇るにつれて気温は急上昇して10キロ地点ではかなり熱さを感じました。もちろん走っているからですが。パリは3月の末から夏時間を採用していますので、8時45分スタートとはいえしばらく前は7時45分だったわけで寒いのが当たり前。

 ところでスタート地点はタイム別に色分けされ私のいたカテゴリーは前から2番目。前のグループはかなり数が少なかったので、競技ランナーのブロックだったのかもしれません。
 しかしこのブロックに入る時になって、今年だけなのか分かりませんが、30周年記念の黄色の帽子を渡されました。記念で特別に配ったのか毎年のことなのかは分かりませんが、こんな蒸れそうな帽子をスターと地点で渡されても使えないので、私はスパッツにはさみましたが、多くの人はスタート地点に捨てていました。


 スタートゲート


 スタート地点足元。足元に気をつけないととても危険。

 コースですが、凱旋門を背にシャンゼリゼ大通りをスタート。スタート直後はかなり下っています。シャンゼリゼ大通は凱旋門からコンコルド広場までの通りですが、結構下っています。ほぼ1キロ地点でグランパレ、プチパレを右手に見て、コンコルド広場を不抜けると約2キロ。



 スタート直後のようす。逆光でまぶしい。


 1キロ地点。


 グランパレ


 足元は石畳。

 ルーブル美術館横(といってもかなり長いですが)が3キロ地点。
 ルーブル美術館はヨーロッパでもっとも水平方向に長い建物だそうです。(ダヴィンチコード)


 コンコルド広場。


 ルーブル美術館


 ルーブル美術館2


 3キロ地点 


 コース上のようす

 4キロ地点を過ぎるとパリの市庁舎、5キロ地点では空気で膨らんだゲート、ここまではほぼ20分で通過しました。


 4キロ地点


 市庁舎


 街角


 5キロ地点


 途中消防隊員たちも応援してくれています。

 6キロ手前で最初の給水です。パリマラソンではペットボトルで給水は提唱されていました。他にオレンジとバナナ。ここでは私もまだ食べていませんが、オレンジはとてもおいしかったです。(バナナは日本で食べるより少し早いような感じ)
 それにしても、一口程度しか飲まないので、水が入ったままペットボトルを捨てることになり、応援の人は水でびしょびしょだそうです。ほとんどゴミ箱がないので路肩にそのまま転がすよりやりようがないのです。
 もったいないような気がしますが、結局3万5千人分の給水で出るゴミを入れるようなゴミ箱は準備できないので、しょうがないのかもしれません。どうも清掃局が終了後から翌朝にかけて清掃するようです。



 6キロ地点が新オペラ座のあるバステューユ広場。


 給水所


 名所があふれるパリですが、このあたりからは観光名所とはしばらく分かれて、住宅街を通ります。


 6キロ地点


 7キロ地点



 8キロ地点
 

 街角
 
 10キロ地点も空気で膨らんだゲート。ところで、フランスもキロメートル表示ですが、リーボックがメインスポンサーなので、マイル表示もありました。
 また、表示がkm10と日本とは数字と記号の順番が逆です。
 ここまではほとんど応援が途切れないでつづきました。


 10キロ地点

 市街をしばらく離れ、ヴィンセンヌの森を走りますが、ここでは男女とも用を足しに行く人が出始めています。この段階では3時間をきるペースで走っていますので、ちらほらですがタイムが遅くなりにつれかなりの人が森で用を足すようです。
 パリマラソンはコースに出てしまうとほとんど仮設トイレなどがありません。


 12キロ地点


 13キロ地点


 それにしても森でも応援は意外なほど多く、またバンドなどの応援も目立ちました。 


 16キロ地点

 15キロ地点は森の中のせいか、距離表示のみでした。写真は取り忘れました。バッテリーの関係もありスイッチを入れたり切ったりなので、撮ったつもりでも忘れていることが多い。


 17キロ地点


 18キロ地点


 応援の風景


 19キロ地点


 森を抜けるとすぐに20キロ地点。ここではゲートが作られていましたが、人が近づいてきてコース幅が凄く狭くなっています。



 ハーフ地点

 ここからはまた住宅街、鉄道の架橋跡を利用したショッピング街(帰りに気づきましたが、止まっていたホテルのある)パリ南部への玄関、リヨン駅のそばを通過します。


 22キロ


 23キロ

 ここからはその2へ。(文字数制限にかかってしまいました)

 パリマラソングッズ

「名古屋シティマラソン」走ってきました。

2005年11月23日 | マラソンコース上レポート
 「名古屋シティマラソン」走ってきました。

 ちなみに同日(15分先10:00にスタート)には「名古屋ハーフマラソン」(陸連登録者)も開催。

 一応陸連登録はしているので、本来なら名古屋ハーフマラソンへの参加ということになるのですが、ネットでエントリーできずめんどくさいので、いつも名古屋シティマラソンへ参加しています。

 コースは微妙に違い、名古屋ハーフでは競技場のトラックを2周と3/4周するので、名古屋シティでは外に出た後、一部余分なコースが取ってあります。


 アップの模様


 昨年まではゼッケン順(申し込み順)だった集合が、今年は部門順。男子39歳以下、男子40歳以上、女子39歳以下、女子40歳以上の順。


 集合場所で名古屋ハーフマラソンが走るのを見ながら待機。その後スタート地点へ移動。


 混んでいます。競技場出口のゲートの幅の関係もありトラックの幅もフルには使えません。いずれにせよ、この移動の段階で集合の状態は崩れます。また、集合場所に遅れてきたランナーも横から入ってきますので、部門の何もなくなってしまいます。


 スタート。それほど後ろにいたわけでもないのですが、スタートラインまでは完全に歩きで約1分でした。

 
 競技場ゲート手前




 競技場外に出たところ。2キロくらいはこの状態です。実は写真は中央分離帯の縁石の上から。
 縁石の上を走ったりして、走っていますので通常ではもう少し混雑状態は続くと思われます。


 最初の折り返し。(この部分は名古屋ハーフマラソンにはありません)


 折り返し後すぐ。


 歩道側は依然混んでいますが、私はいつもセンター側です。好いていて走りやすいので、風はもろに受けますが。


 最初の給水所。6キロ地点すぐ手前。


 5キロくらい直進。7キロ過ぎの今池を左折。10キロ地点の久屋大通りまで直進。


 7.5キロ地点付近で名古屋ハーフマラソンのトップと遭遇。シャッターが少し早かったようです。


 名古屋の真ん中にあるセントラルパークという(札幌の大通り公園みたいなものですが)をつなぐセントラルブリッジの下を抜けるとすぐに10キロ地点の久屋大通交差点。


 久屋大通りを右折、この交差点内が10キロ。


 まもなく折り返しの市役所前。右前方に名古屋市役所と愛知県庁が。


 折り返し。折り返すとすぐに11キロ地点。


 逆光のためよく見えませんが、歩道には結構応援が。ランナーも歩道側を走る人が多いので、私の走るセンターよりはがらがら。


 久屋大通を今度は左折。


 対向車線をランナーが行きます。


 今池を今度は右折。




 残り5キロ。ここを過ぎるとハーフの後にスタートの10キロの部と合流。


 かなり混雑してきます。


 10キロの部と分離。しばらく行くと10キロの部はハーフよりも少し手前で左折になります。


 ここを左折すると残りは1キロ程度。往路でこの交差点を名古屋シティマラソンのハーフマラソン部門では左折して折り返して直進でしたが、名古屋ハーフマラソンの往路では右折して直進しました。(トラック2周と3/4の分を調整)
 復路では名古屋シティマラソンと名古屋ハーフマラソンとも同様になっています。


 ゴール手前のスタンド正面の模様。


 ゴール。グロスで85分程度でした。今回は5キロあたりのラップで20分を超えないでキロ4分程度で刻むのが目標でしたが、最後の5キロラップではわずかに超えてしまいました。
 先日の「いびがわマラソン」に参加して、20日の日曜も公園の2時間走を行っていましたが、「諏訪湖マラソン」よりは少しいいタイムということで、ちょっとづつ戻ってきたような気がします。(昨年は「いびがわマラソン」→「名古屋シティマラソン」で3時間3分→82分 どちらもグロス)


 ランナーが帰ってくる様子1


 ランナーが帰ってくる様子2


 ランナーが帰ってくる様子3




いびがわマラソン コース上

2005年11月14日 | マラソンコース上レポート
 いびがわマラソンは4キロあたりから揖斐川に沿って(河口から60キロくらいの地点)をひたすらのぼり、ひたすら下るコースです。


 スタートはかなり混雑しています。スタート地点からいきなり道路の幅が狭まってしまうので。




 コース横の学校の生徒たちが旗を振って応援してくれます。これはコース中あちこちで行われています。山道が主体のコースですが、町ごとに応援があります。


 コスプレ 今回はこの表彰もあり(完走者のみ)


 ゲストの山田敬三さん 現在でも毎朝30キロ走っていると聞きます。


 2キロ地点応援風景(平坦なのはここまで)ここから右折揖斐川に沿って走ることになります。


 レイザーラモンHGのコスプレ


 河口から60キロの表示


 5キロ地点


 昨年寄ったトイレ




 ハーフマラソンとはここでコースが分岐


 こんな橋も渡ります。


 橋の上から。


 10キロ地点。




 路面もアスファルト少し荒れたようなところが混じります。


 コース脇のつり橋


 トンネルも抜けます。


 15キロ地点。

 以下コース風景です。












 22キロ過ぎにあった救護バス(多分)


 24キロ




 25キロ地点


 26キロ地点(熊出没に注意表示あり)


 ここでバッテリー切れこの後のほうが人が増えてきて、特に残り4キロからはハーフのランナーに追いつきます。

 後半のコースは前半2キロの揖斐川沿いになるところが、残り4キロ過ぎになり、そのまま40キロ地点まで直進、左折してゴールまで。

 バッテリーを買い換える必要がありそうです。

いびがわマラソン関連記事は以下です。

 いびがわマラソン報告
 いびがわマラソン ゲスト挨拶
 いびがわマラソン 高石ともやコンサート
 いびがわマラソン参加書類が届いていた。

諏訪湖マラソン2005

2005年10月23日 | マラソンコース上レポート
 諏訪湖マラソン行ってきました。特急「しなの」車中のため画像は、夜中にアップします。

 いい加減5回も6回も参加していると段々慣れてきて時間ギリギリでいいという感じになり、今回はかなりやばかった。
 8時40分松本発の電車で上諏訪へ移動、ところが連絡の関係で塩尻で10分程度停車。この段階で既に9時。塩尻発が9時10分頃と言うことで、このままだと上諏訪に着くのが30分から40分頃になってしまう。そこからスタート会場まで移動。エントリーは前日に済ませているので全く心配ないが、列に並べないおそれが(時間を過ぎると最後部に並ぶことになる)

 幸い連絡のための停車なので、新宿行きのあずさに乗り換え上諏訪には9時15分ごろには無事に到着。特急料金を払ったのはもったいなかったが、まあしょうがないです。

 さて無事に列に入り待機、前方のスタート地点へ列が移動し始めると、ここでゲストの真鍋かをりさんの声。最前列の何名かの人にはスタートまでの少々の時間でインタビューもしていました。

  スタート直前ではコース横の台上に上がって手を振ったり、お辞儀をしたりと戸惑っている様子です。開会式には出ていないので結局真鍋さんの姿を見たのはインタビューの間に人垣の隙間からちらりとこの時だけでした。(表彰式には真鍋さんは参加せず)
 ファニーな感じにかわいい人でした。(ちょっと離れていましたが)


 待機の様子。こんな感じでブロックが仕切られています。


 スタートラインへ移動中


 小さくて分かりづらいですが、牛の着ぐるみランナーにインタビューする真鍋さん。写真中央あたり。


 コース脇の壇上の真鍋さん。


 スタート直後

 インタビューを受けていた牛の着ぐるみの方をスグに抜き、1キロ地点でラップを見ると3分38秒と速すぎます。例によってつかれきっているので、これでは到底持ちません。という訳でペースを徐々にダウンするも2キロでもラップは3分50程度でした。通常ならば、3分50程度で押してゴールタイム80分あたりと言うところですが、酷くつかれきっているので、もう少し抑えて走り後半のハーフでペースアップをするつもりになりキロ4分程度に落としました。

 コースは一旦諏訪湖を背にしてスタート後、約1キロ半で右折2キロあたりで橋を渡り再度右折して川沿いの道を諏訪湖方面へ。4キロ手前で諏訪湖の周回道路にぶつかり右折、ここからはひたすら諏訪湖の周回道路を走ります。


 スタートを捕らえているカメラ


 1キロ地点


 最初のコーナー


 3キロ地点。川と並走の道路


 諏訪湖の周回道路に入った直後

 4キロ過ぎから、突然右の腹筋が痛くなり(直腹筋と斜腹筋の間辺り)ペースダウン。わき腹が痛くなるという感じでなく、とにかく右足を地面につくと痛みが走る。足をぺたぺた置いていく感じで、ピッチ走法に切り替え、痛みを抑えつつ走る。
 ここで知人に抜かれる。いつも大会では私と競っているのですが、(最後に何秒か私が先着)この展開が多い。10キロ過ぎで私が再度抜いて、その後この知人がくっついてゴールと言うパターンになるが、今回は腹筋が痛くて地面に置くだけの走り方のため、ついていくことができずあっという間に姿が見えなくなる(この方は50台で入賞)


 4キロ地点


 最初の関門地点


 5キロ地点


 最初の給水、5キロ地点のスグ先、大体5キロおき


 知人に抜かれる



 6キロ地点


 7キロ地点


 8キロ地点


 9キロ地点 

 ぺたぺたと走っていると、道路の応援の声で「牛さんがんばれと」聞こえてくる。
 スタート直後に抜いて、以来離れていると思っていたらペースダウンもあり、後ろについていたようです。以後ゴールまで抜きつ抜かれつの展開。

 あれだけの着ぐるみであのペースはたいしたものです。

 ハーフの通過はほぼ42分丁度、一時よりはぺたぺたと走り痛みが引いていたのでペースアップのつもりで走るが、ペースが全く上がっていかない。
 スタート地点のほぼ反対側の10キロ地点あたりからは少々コースが入り組み、川沿いの道に入ったり小さなカーブがちょこちょこあります。


 牛の着ぐるみランナーに前に出られたところ


 ハーフ地点


 川沿いに少し湖から離れている地点。ここを回ると湖方向へ


 13キロ地点


 第4関門。関門は第5(18キロ手前)まで

 ほとんど湖の景色を楽しむ余裕もなく、ひたすらピッチ走法で走りますが疲れきっていて全然体が動きませんでした。


 14キロ地点です

 前半を平均ではキロ4分ですから、かなり抑えて走っているので後半はもっと余裕で走れないといけないのですが。

 さてこのあたりでペースが上がらないとほぼランナーの並びは固定化していてあまり動きがない。18キロ地点で左折して後はゴールへとにかく進むのみ。
 18キロの標識を過ぎると以降は残り3キロ、2キロ、1キロとゴールまでの距離表示になります。


 15キロ地点


 16キロ地点


 17キロ地点


 ここを回ると18キロ地点です。あとはグランドへ入るところまで道なり


 18キロ地点


 残り2キロ地点


 残り1キロ地点

 スタートから4キロ地点を左折してグランドへ入り、最後のストレートは土です。左が男子、右が女子に別れたレーンが別れています。
 スグ後ろに牛の着ぐるみの方が迫っていました。タイムを見ると85分あたり。ベルリンマラソン後の諏訪湖ハーフが84分程度でしたが、それ以降82分台を超えたことはありませんでした、また何と後半の方が遅いことになります。前半のペースが遅かっただけにこれはちょっとショックでした。
 マラソンの15キロかの21キロのようなレースでした。


 湖の周回道路を左折してグランドへ、湖際を走り残りは100メートル程度


 最後まで牛の着ぐるみランナーが


 ゴール前


 ゴール

 さて、記録掲示を見ると知人が入賞。ホテルに一旦戻ると言っていたので、携帯で入賞していることを連絡。そこに別の知人が通りかかり、女性の部でやはり知人が入賞していることを知る。
 さらに入賞している女性の呼び出し放送があり、救護本部へ行くと何とゴール後脱水症状のため担架で運び込まれたとのことだった。最後の2キロは全く意識がなかったらしい。
 凄い執念です。

 表彰式はそんな訳で昨年に続きことしも観ていくことに。入賞者は真鍋かをりさんプレゼンテーターと期待していたようですが、残念ながらは不参加でした。

北海道マラソンレポート

2005年08月30日 | マラソンコース上レポート
 さて、北海道マラソンレポートです。
 昨日書いたとおりで、私もハンガーノックになったのですが、デジカメもハンガーノック(バッテリー切れ)で23キロ過ぎまでしか画像がありません。

 日曜のアクセス数を見ていたら、gooブログで100位丁度でした。トップの画像か動画にでもリンクされたのかと確認してしまいましたが、そんなこともないようでしたので、多分北海道マラソンレポートを期待いただいたのではないかと思いますが、どうもすいません。


 競技場入り口。チップの登録を機械が行っているようですが、これだけたくさんだとエラーが出ていても誰にも分からないですね。


 競技場内ではウォーミングアップをしている人たちが。私はトイレに。今年はグランドに仮設トイレも用意されていました。


 レポーターも準備中。なかなかきれいな人でした。


 スタートの列の模様。今年は史上最多の4500名が参加というわけでトラック反対側まで列が出来ています。


 スタート直後、競技場の外へ。


 競技場の外スグ。公園内のコース。


 3キロ過ぎ


 4キロ地点。「頭にピカチュウ」さんのピカチュウが写っています。この方とはしばらく一緒に。


 今年のコース変更で地下鉄「真駒内駅」の前を通過することに。


 5キロ地点。20分8秒で通過。想定よりも若干早い。昨年までの下り一辺倒からアップダウンのあるコース設定になりましたが、ほとんど平坦といってもいいでしょう。


 5キロ地点の表示。気温25度とあります。トップの通過タイムも。


 最初の給水ポイント。


 6キロ地点。


 7キロ地点。道路の表示は進行方向に札幌駅を表示しています。


 最初のスポンジ。


 大会関係者の方が写真を撮っています。


 10キロ地点。大会に出ている方は勿論ご存知のはずですが、このエビや色のマットの下にチップの感知器があり、各自の通過タイムを記録します。


 15キロ地点。1時間1分27秒で通過。


 17キロ地点。


 18キロ地点。


 20キロ地点。1時間22分35秒で通過。


 中間点。


 23キロ地点。このあたりから体が動かなくなり、大幅にペースダウン。


 25キロ付近かと思いますが、この段階ではアフリカ系の選手が先頭をぶっちぎりで走っていました。

 この後25キロ地点のセブンイレブンでトイレを借りました。

 千葉選手(男性ランナー1名との並走)や市橋選手も撮ったつもりでしたが、バッテリーが切れていました。
 千葉選手は今年は入りの5キロを16分台で入ったと後から知りました。昨年は男子選手に囲まれていましたので、ちょっと走りづらかったのではないでしょうか、そのため今年は最初に少し囲まれ難いようにペースをあげておいたのかもしれません。

 コースの変更で、前半で繁華街を通らなくなってしまいましたので、一番見栄えのする、40キロからの大通り公園やすすきの、中島公園が撮影できなかったのは残念です。

 これは昨年から思ったのですが、参加者が増えるとともに後方ではスタートの出口で渋滞が発生するようです。以前はトラックを3/4周するような形でランナーの列が細長くなっていました。来年以降はスタートラインから競技場出口までの距離をもう少し伸ばすことを検討いただいたほうがいいと思います。

 今回はハンガーノックのため途中歩いていても眠くなってくる有様で、夕立が降って体が冷えて目が覚めなかったら、ゴールできたかどうかと言う感じでした。何しろ発マラソンよりも悪いタイムで、以前に中1日で大田原、つくばと連戦したことがありましたが、その時のタイムより悪いという悲惨な結果でした。

 ゴール後は着替えなどもあるため、温泉へ移動してお風呂に入りあわてて、千歳空港へ。何しろエネルギーがありませんから、途中でアイスや牛乳を取り、帰りの機内でも売店で買った、とうもろこしを食べました。(白樺の樹液のドリンクも飲みました。)

 ところで、飛行機の搭乗を待っていると何と会社の同僚が家族連れで、しかも座席も並びでした。勿論全くの偶然です。

 今までで最もつらい完走メダルでした。

 今後は
10月に あざいお市マラソン(ハーフ)、諏訪湖ハーフマラソン
11月に いびがわマラソン(フル) 名古屋ハーフマラソン
12月に 防府マラソン
1月に 谷川真理ハーフマラソン
  などを予定しています。

 皆さん、アディダスセミナーでは「金子ひろみ」さんの話もありましたが、意外とカロリーが必要なようです。食事はしっかり食べましょう。

 アディダスセミナーはまた後日。既に2時過ぎなので。

ロッテルダムマラソン・長野マラソンのコースレポートもよければ。
 ロッテルダムマラソン
 長野マラソン

長野マラソン コース上にて

2005年04月17日 | マラソンコース上レポート
 2005長野マラソン走りました。長野マラソン公式サイト 内容充実しています
 今回はデジカメを持って走っていたので、その画像を中心に。
 まずは全体のコースのおさらいを。

 スタートは陸上競技場脇の道路から。陸上連盟登録者のグループを先頭に並びます。男女もスタートのときはロープでセパレートしてあり、進行方向に向かって左が女子、右が男子という形。
 招待選手は陸連の前に、3時間のペースセッターは陸連の後ろ、一般の先頭あたりに入ります。
 今回の走りながらのレポーターの金さんも同様。
 長野マラソンはNHK教育全国放送がスタートからライブ中継ですが、スタート直後は先頭上方にテレビカメラがあり、スタートしていくランナーの姿が映ります。
 スタート後は、長野の市街地方面に向かって進行、何回かカーブがあり5キロ手前には折り返しがあります。
 ここで今回はトップ集団を見ました。(シモン選手も見ましたが、男子の大集団に囲まれ、写真がうまく撮影できませんでした。
 その後善光寺手前まで行って左折長野駅前方面へ駅前からの道路に当たったところで左折、すぐに再度左折して、橋を渡ります。
 その後一旦川の土手に上がり、15キロ地点のMウェーブ方面へ。Mウェーブ手前で再び選考集団とすれ違い、Mウェーブを1周して、25キロ地点のホワイトリンク方面へ。
 一旦ホワイトリンクを左手に見て、しばらく行きここで再び選考集団とすれ違い。
 23キロくらいの折り返しをUターンして、コースを少々戻り左折するとホワイトリンク。
 ホワイトリンクを通り過ぎるとすぐに川の土手に上がり、32キロくらいで左折橋を渡り、川の対岸の土手を走ります。
 38キロ地点で右折、土手を下りすぐに折り返すような形で、先ほど走っていた川をわたる形で橋を渡り、渡りきったところで左折すると後はまっすぐゴールの野球場へ。
 約3キロ直進して球場の入り口へ左折、球場手前が42キロ。トラックを約200m走ってゴールです。
 長野マラソンのコースは結構折り返しが多く、トップランナーがタイムを狙うためには必ずしも適しているとはいえない面もありますが、長野というイメージの割には40メートル程度しか高低差はありませんし(川の土手や橋程度)市民ランナーがタイムを狙うのにはそれ程悪くないと思います。
 コースがすれ違うところも多く、グループ参加の方にもお勧めできると思いますね。
私もですが、結構皆さんすれ違うところで声を掛け合ったりしています。私は写真も撮りました。
 
 今回は知人の3時間ペースのヘルプでということで30キロまで3時間ペースのつもりでしたが、22キロ過ぎで知人が落ち始めたため、私はロッテルダムの疲れが抜けきっていないせいもあり、その段階でペースを落としLSDへ。結局33キロ地点で歩いていたその知人に追いつき、励ましつつゴールまで伴走。3時間30分を超えてしまいました。

 ※トップの写真は今回ペースセッターの早田選手(3時間のゼッケン)この3年間で初めて3時間でゴールに入りました。ドーレ選手については写真レポート参照。
 20キロ過ぎからしばらく早田選手と話をしましたが、結構感じのいい人でした。
 今年の北海道マラソンには招待されているそうです。


スタート地点で待機。今年は6000名程度の参加とのこと。


スタート直後


すぐに浅井えり子選手801番に追いつく。


最初のすれ違い地点。トップグループが前方から。


折り返し地点。


しばらくスピードを落とし待っていると、ドーレ選手・早田選手の3時間のペース集団が来ました。


今回の3時間の集団は例年とは比較できない大きさでした。少し走りづらかったので私は少し前を。


中継のカメラマンと早田選手でペースの確認など話をしていました。


こんな人がバイクとカメラ。


15キロ地点のMウェーブ。


24キロ地点の先頭集団とのすれ違い。


25キロ地点のホワイトリンク。ここで今回は仮設トイレへ。


26キロ過ぎの土手


公園の桜がきれいに咲いていました。


ドーレ選手リタイアの様子。


応援の太鼓。


コスプレの応援。真田の六文銭だったが、なぜか影武者というのぼりがたっていました。


40キロ地点。


左手にゴールの野球場が。


球場入り口。


通路を抜けるとトラックに。


トラックには各国の国旗がありました。


ゴール。


ゴールの様子。


ゴール後の球場のある公園です。とても暖かかったので、公園の芝生でまったり。

ロッテルダムマラソン写真レポートはこちら

ロッテルダムマラソン走りました。

2005年04月12日 | マラソンコース上レポート
 まずはロッテルダムマラソンについて。

 ロッテルダム市は人口45万人、72万人のアムステルダム市に次ぐ都市で、世界最大の港を持つ都市です。マラソン開催時には約90万人の人々がマラソン、応援などで集まるとのことで大きな経済効果をもたらしていると思われます。
 これまで世界屈指の高速コースということで、評価を集めており春先の大会としてはボストンマラソン、ロンドンマラソン等と並ぶ評価を得ていた大会です。近年は高速コース化が各地で進む中でより規模の大きい(お金のある?)パリマラソンなどへエリートランナーの人気も移行してきているようです。
 秋には同じくオランダでアムステルダムマラソンも開催され、オランダの中でもこちらに人気が移りつつあるようです。

 参加者数は約1万人程度。参加枠が男性1万人、女性2500人で設定とのガイドさんの話だが、枠が埋まったことはないらしい。今回は全参加者が4万人との話だったが、同日に開催15分後にスタートの10キロと駅伝(記念で開催?)を足したものと思います。4万人という数字も伝聞なので正直よくわかりません。またガイドさんもマラソンにあまり詳しそうではありませんでした。

 当日の天候はあまりよくないとの予報だったが、列に並んだときは曇り。スタート前になり雨が降り始めたのだが、とにかく冷たい雨だった。
 前日には雪が降るなどひどく寒かったが、列の集団のなかに東京都のごみ袋をかぶって並んでもひどく寒い。正直この寒さを走るのかと思うと少しうんざりだった。雨で寒いので長袖というわけにも行かず、半袖に短パンで走ることにした。かつて河口湖マラソンではスタート時零下2度、ゴール時0度という中で短パン、半袖Tシャツということもあったが、以来河口湖マラソンには出ていません。
マラソン前日に受付会場で行われた、マラソンエキスポで帽子を買おうと思ったものの、各メーカーのショップでは見当たらず、よさそうなものがなかったので、結局買わず帽子もなし。

 スタートの並びは並んだ順でタイムはまったく関係なし。何か歌が歌われ、ランナーたちは合唱、歌が終わると大砲が鳴った。私はスタート地点から50メートル程度のところにいたが、それがスタートの合図とは全く分かりませんでした。イベントの一環かと思った程度でした、列がほとんど進まなかったので。
 普段はトラム(路面電車)が通る部分が分離帯となって、2列にコースが分離。それぞれのコースはどちらかに並んだかというだけで、格別タイムなどでの区別はなし。

      
      待機の様子

 無秩序に並んでいるので進行は遅く、スタートラインを超えたのは2分後、その後もキロ6分程度のスローペースでレースは進行でした。路肩や分離帯の上を走りランナーを抜くが抜けども抜けども、前方にランナー。

      
      150メートル地点、走っていないのが何となく分かると思います

 3キロ地点くらいで何とか大集団からは抜け出すが、その後も道幅が狭くなるところがあり、そのたびに抜くのにえらく手間取る。
 ロッテルダムマラソンの場合スタート後間もなく、橋をわたりロッテルダム郊外へ向かうのですが、郊外の風景のイメージは何となくつくばマラソン風でした。

      
      橋を渡っています。線路をはさんで2列なのが分かります。ちなみにこの橋を渡る人を図案化したものがロッテルダムマラソンのマークです。

 5キロは22分から23分程度(ネット)で通過。レースは30キロ過ぎまでずっと小雨で依然として何しろ寒い。
 コースは評判どおり全工程にわたり平坦なコースで、アップダウンは橋(これも意外となだらか)、あとはハイウェイをくぐるとき、上るときという程度。プラスマイナスで10メートルあるかないかというのが体感でした。

 また、冷たい小雨にもかかわらずコースの全工程に応援が切れ目なくあり、結構な田舎を走っていると思われるところにもしっかりと応援がいて、応援してもらっている身で何ですが、よくあの寒い雨の中応援してるというのに感心、文化の違いとしか言いようがないですね。

      
      応援風景

      

 田舎の風景であまりポイントがないので中盤は省略、ほぼ5キロを20分位の配分で通過。給水はほぼ5キロおきで、5キロ刻みで(後半もっと増える)チップの測定が行われています。
 スポンジも2箇所で配布。寒くてこの日は必要なかったと思うけど。

      
      水とエクストリム(と聞こえた)スポーツドリンクのテントが交互に配置されていて、水もしくはスポーツドリンク(もちろん両方も)を取れます。

      
      応援その2

 デジカメで撮影していると15キロ地点でモロッコのランナーが撮影してくれるというのでデジカメを渡すと背走で写真を撮ってくれました。

      
      撮ってもらった写真です

 意外とUターンや小さなカーブが多いコースで、高速コースの構成上はカーブが少ない方がいいとされ、ベルリンマラソンなどはアップダウンだけではなくカーブ特に急カーブを減らすコース作りをして毎年のようにコースを変更修正しています。

      

      
      18キロ地点の折り返し。数百メートルばかりすれ違い

 ハーフ地点を通過後しばらくで、時間がなくて行くことができなかったフェイエノールトのスタジアムの横を通過すると、間もなく橋をわたり再度市街地へ。

      

      
   
      

      

 海洋博物館横25キロ地点を通過、するとすぐにキューブハウス。キューブハウス下を抜けると、30キロあたりでトップ集団と遭遇、トップ集団は39キロあたりでまずは30番が通過、次いで1番のリモ、3位とのすれ違いでコースが分離してよくわかりませんでした。30番とリモとは100メートル程度の差であった。想定ではトップ集団とは合わない予定だったが、スタートが遅くなったことと、スタート後の渋滞で4分程度遅れいていたので、トップを見ることができました。
 結果はそのときの3位が逆転して優勝したようです。このあたりはテレビ東京での放送を見た方のほうが詳しくご存知と思います。

      

 走ってみてわかることは、ロッテルダム市は非常に狭いことで、前日に回った観光地をマラソンコースで巡ってみると、観光地同士が凄く近いことが分かりました。30キロあたりでスポンジをもらう、雨でまったく必要なかったが、スポンジにロッテルダムマラソンのロゴが入っていたのでもらうことにした、短パンにスポンジを挟む。(冒頭の写真)
 トップとの遭遇後右折したあたりで再び湖沿いの田園地帯へ、34キロを過ぎると間もなく折り返し、35キロの関門へ。30キロ地点をネットで2時間5分で通過したものの33キロあたりで急激にきつくなりキロ6分ペースでゴールへ向かう。こちらに来てから観光に回りすぎたようです。

      
      楽器の演奏も


 40キロあたりで再び市街地へ入り、キューブハウス下を再度抜けて、ともかく歩かないことを目標にゴールへ向かう。道路に残り1000メートルと白のマジックで書いてありました。

      

      


 再度海洋博物館前を通り、市庁舎前のゴール(スタート地点とほぼ同じ地点)へ。

      


 ゴールにはいると女子の表彰式、ローラキプラガト(元ケニア、現在はオランダ籍でナショナルレコード記録保持者)を挟み。タイムは2時間27分台ということでいまいちの記録だと思います。
      

 男子の記録も7分後半とのことでいまいち。日本の招待選手の小島選手は14分台、村田選手は39分台で残念な記録でした。
 ロッテルダムはコースこそ平坦ですが、港町のせいか結構風があり、この日は冷たい雨だったせいもあって体が動かなかったものと思われます。
 私の感では、気候はその年年で違うものの、参加経験のある大会ではベルリン、ロッテルダム、ボストン、ニューヨーク、ホノルルの順でタイムが出やすいという感覚でしょうか。
 ボストンはコースに癖があるので、なれたらという前提つきですが。
 応援ではニューヨーク、ロッテルダム、ベルリン、ボストン、ホノルルという感じです。もちろんどの大会も1度しか参加していませんので、あくまでもそのときの経験です。

 参加賞はTシャツとビニール製のランニング状のものとランニング記録ノートだった。やはり、かなり寒いことが多いための商品と思われます。

      

 ゴール後はアディダスのビニールのマントと完走メダル。ニューヨークやボストンでは銀紙状のマント、ベルリンではビニール製だったが、いずれも各大会のロゴ入りのものだったが、ロッテルダムではロゴはなくアディダスの最近のコピーであるinpossible is nothingとアディダスのロゴだけ、ちょっと残念。マラソン大会参加のとき敷くシートとして利用のため、捨ててあったマントを1枚回収させてもらいました。

      
      ビニール製ランニング 結構着て走っている人がいました。

      
      参加Tシャツ 海外マラソンでは初の機能性素材製

      
      ランニングダイアリーとペース配分表(シール)

 よろしければ、長野マラソンレポートもどうぞ。
 長野マラソン コース上にて

ボストンマラソン紹介 走行写真を中心に

2005年04月03日 | マラソンコース上レポート
 ボストンマラソンではデジカメを持って走りました。EYEPLATEという30万画素本体メモリ8Mのデジカメというよりはトイカメラというような商品でしたが。
 給水などもあり、水でまともなカメラはやられるのがいやだったので。ベルリンでは写るんですを持って走りましたが、現像、CD-Rへ焼いてもらうサービスを利用するとすぐに1万円ですまなくなるので、この時はデジカメです。
 上記の写真はゴール後、銀色の防寒用のマント?を着た人々です。

 ボストンマラソンというとやはり心臓破りの丘が有名ですが、これは25キロ過ぎから丘が5つばかり続くものですが、表現から連想されるほど急なものではありません。
 この丘がダメージを与えるのはむしろ前半の急坂によるダメージが後半の上りに響いてくるというのが実際のところかと思います。

 ボストンマラソンは前半の20キロ程度は全体に下り、特にスタートからしばらくはマラソンコースとしてはかなり急な下り坂で、下りと上りを繰り返して徐々に下っていきます。
 スタート地点とゴール地点では確か100メートル強スタート地点の方が高かったと思います。
 ですから、前半の下りで脚を使いすぎないことが一番のコツということになります。またスタート地点からしばらくは、田舎の山道のようなあまり幅の広くない道で応援の人がいる場所もないので、応援もありません。
 記憶が定かでないのですが、5キロくらいから鉄道と並走する道になりそのあたりからゴールまでは応援の人たちが途切れずに続きます。
 特に20キロ過ぎにはウェルズリー大学という女子大の前を通るのですが、この随分手前からは女性の所謂黄色い歓声が聞こえてきます。ヒラリークリントンの母校で相当な名門女子大のようです。ちなみにボストン周辺には大学が凄くたくさんあり、ハーバード大やMITなどもボストンにあります。
 これまで道なりに走ってきたわけですが、25キロ辺りで右折そこから心臓破りの丘が始まります。
 この丘は住宅地になっていたと記憶しています。実はこの丘の途中に設置された仮設トイレに入りました。仮設トイレはコース上にかなり設置されていたと思います。

 丘が終わる後は基本的に緩やかな下りで、ボストンの市街地に入っていきます。最後に軽い上りがレッドソックスの本拠地フェンェンパークの横辺りでありますが、これはそれ程の上りではありません。ここまでくればゴールは間近で、すぐに道路を右折することになります。
 右折するといきなり都心部が見えてすぐに左折そこからは数百メートルです。仮設のスタンドが作られており、大歓声が響き渡っています。視線の先に小さくゴールの青と黄色のフラッグが見えます。

 全体にはボストンという街自体が所謂繁華街が大きくないので、道が一つ違うと意外と都心という感じがしないので、ゴール手前で右折した時に突然都心の横まで来ていたことが分かるという感じでした。
 ボストンマラソンは参加の資格がそれなりに厳しいので、3時間程度の記録で参加の場合(私も走だったわけですが)スタート地点に着くまでに1,2分程度掛かるかと思います。
 コースに癖があることも含めてベストタイムを出しやすいコースとは言い難いコースです。
 もっともオカヨのコースレコードは2時間20分台ですし、昨年のヌデレバの優勝タイムも23分台だったと記憶していますので、一概にタイムが出ないと言い切れない面もあるにはあるのですが。
 
 また、ボストンマラソンは最も歴史ある市民マラソンの大会で、今年が109回目の開催です。

  ボストン紹介ページ 私がボストンマラソン参加のときのガイドさんが作っています

 以下コースの写真です。
まずはスタート待機のところです。この年は霧が出て、霧雨という感じでした。まもなく曇りになりました。
 

 

 


スタート後です。案外田舎道です。また、9,11以来か軍隊のような人が警備に立っています。空港にも機関銃を持った軍人がこの年はいました。
 

 

 

 

 


ここからがウェルズリー大学前です。
 

 

 


鉄道と並走しているのがお分かりいただけると思います。
 

 


ゴール前のメインストリートです。(すいません、へろへろではしっていたので、後半の写真が少ないんです。
 

 

 

 



ここからは番外編です。
 
 前日のフレンドシップラン

 
 同じく前日夕方に開催のパスタパーティ会場

 ボストンマラソンはリピーターの多い大会のようでツアーで行った時には半分以上が複数回の参加とのことでした。それだけ魅力のある大会だと思いますので、ぜひ一度参加してみてください。
 ボストンは凄くきれいな町です。

 男性の場合、35歳未満で3時間10分を切っていること、以下5歳刻みで5分ずつタイムが古くなっていきます。ツアーの参加の場合この資格がなくともスタートを確保できるようなので、問い合わせてみてはいかがでしょうか?
 女性は男性よりプラス30分で資格を設定、同様に5歳刻みでタイムがゆるくなります。そのタイムにあわせて関門は設定されていますので、基準タイムに届かない方でも関門に掛からず完走することはできる方も多いと思います。詳細は大会のホームページで確認してください。

<今日の練習>
 皇居2周 皇居までとあわせ12キロ キロ5分だったが、何か疲れきっていたので、その後マッサージ60分。
 炭水化物の摂取を水曜まで控える。