Step forward one step!(夢の実現へ)

新たな「夢の更新&実現」への一歩を踏み出す息子!

息子のお弁当を見て感動⤴ そして思い出。。。

2020-05-27 | 息子
 
 
 そろそろお日様が出てくる頃ですが...
 まだ…のようです
 
 
 昼休憩の時間に
 息子から
 
 
 これまでにも 何度か持参していたようですが、
 画像は はじめて送ってきましたらぶ② 
 
 会社では 仕出し弁当を注文できるのですが
 味量的に ちょうどよいものが少なく
 料金はONEコイン程度 とは言え、
 まとめて ひと月分を翌月清算...となると
 なんだか不経済な感じがしてきたらしぃ苦笑あせる 
 
 寮生活にして 正解でした
 
 1Kですが、
 洗面所~バスルーム&トイレが広くて導線も良好
 部屋には2畳ほどのウォークインクロゼットが付いていて
 フリースペースも8畳とちょっと
 かなり快適な環境を頂いていることで
 自宅での過ごし方も充実している様子らぶ②
 
 
 こんなやり取りをしましたらぶ②
     
 
 私としては...
 苦手なお弁当作りを一番頑張ったのは
 息子が中学校に入って
 早朝4:30からトレーニングをしてからの登校
 でしたから...
 3:30ごろから起きだして 朝食用のお弁当を作った時代、
 その後、
 高校生になると 朝食 + 昼食 と二食作って持たせた時期。。。
 (⇒ 二食となると
    お弁当箱が荷物になる...というので
    後々は昼食は学食に変更しました苦笑あせる
 
 育ち盛りの競泳男子のエネルギー消費量は半端ではなく...
 カロリー補給 と 疲労回復の栄養補給
 ただ それだけに追われる毎日で
 当時 フルでガッツリ働いていた私には
 これぞ! 修行! という生活でした苦笑あせる 
 
 無我夢中 とは 当時のことで...
 記憶が 曖昧なことが多く
 何を作って食べさせていたのか!?
 もっと 頑張っていたお母さん弁当と比べたら...
  記録が伸びないのは
  私のお弁当のせいあせるあせるあせる
 と 自己嫌悪するばかりでした涙
 
 
 でも音譜
 こんな言葉が返ってくると
 やった本人に悔いがあったとしても...
 息子の記憶には 残ったのかな
        ...と 少し感動しましたラブラブ
 
息子は 文武において けっして順風満帆ではありませんでした。
どちらかと言えば...
十分努力をしても叶わない思いを 多く味わってきました。。
自分が無垢であっても
そこを責められる(攻められる)
そういう理不尽な心境も 多く味わってきました。。
 
 それでも!
 一期一会を旨として
 良くも悪くも 素直に学び
 自分の内なる思いを貫く耐力を備えて成長できましたらぶ②
 
 
高校3年間の終盤に私が書いた思いです
下矢印 下矢印 下矢印
 
 
 
 
上矢印 上矢印 上矢印
クリックして頂けると嬉しいですらぶ② 
 
 

STAY HOME週間⑦; "さんぽ" できな~ぃ(ノ_・。)

2020-05-03 | 子育てに通じる話
5-2の夕日
 
 
 日 息子が
 自分の部屋から見えた夕日を
  で送ってくれましたらぶ②  
 
 こういう感覚を共有するってイイですね
 これも 私の布石の賜物
 
 が家は そもそも "街さんぽ" 好き家族。。
 また
 息子は田舎の保育所育ちのため、
 小学校に入学するまでの幼少期は
 毎日が "さんぽ" という日常でしたらぶ②  
 
 そんなこともあり、
 私は
 息子の小学校入学を機に一年間休職をして
 下校する息子を待って
 生まれて初めて(←決して大袈裟ではありませんあせる
 "放課後の時間をお友達と過ごす" という
 体験をしました苦笑 
 
 それまでは
 大家族の兄弟姉妹の中で育つような環境でしたが
 小学校は...、
 幼稚園のお子さんたち(と そのお母さん)との
 未経験の関わりであることに対して
 母親である私も
 馴染みのない人間関係というものを
 子どもと一緒に対応して行こう..と決めた一年でしたらぶ② 
 
 
 
 息子が保育所で育ったことに 感謝と自負があります
 一人っ子決定の子育てでしたから、
 様々な理由で
 息子の育つ環境について考えて決断しました。。
 
 
 今日の息子を見ていると
 はじめて親から離れて過ごす環境としては
 息子の保育所での期間が
 人間性の礎になっている..と 感じますらぶ②
 同時に
 "最低な環境でも育つもの"(=自力)を信じてよかった
 と 実感していますらぶ②
 
**************************
 
 が それましたが。。
 "さんぽ" の話ですよね
 
 新型コロナウイルスのために、
 週末の楽しみとしていた
 夫との"街さんぽ"(といっても 買い物のついでの遠回りですが..)
 中断しています涙
 
 何を話すというわけでもなく..
 ただ 用事があるから
 その目的のための道すがら
 一緒に歩くだけですけれど..
 
  周囲に関心を持って
  写真を撮りながらダラダラと歩く私を
  迷惑がりながらも..   
  同じ景色を見て
  四季折々の様変わりに何かを感じる
 
 そんなついでの時間を共有するだけでも
 いつのまにか
 私の感性=好きな風景その他 が 伝わっているかのように
 息子も
 夫も
 私より先に
  月がきれいだよ
  夕日がきれいだよ
  あそこの花がきれいに咲いていた
 などなどと
 お知らせをくれる様になる苦笑 
 
 共感⇒共鳴する感性
 
 家族ならでは・・ですねらぶ②
 
 
 
下矢印  下矢印  下矢印
 
 
上矢印 上矢印 上矢印
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「あたしンち」の晩のおかず

2019-11-06 | 日記
 何かしら 得心が行くまで継続する習性であること
 以前にも書きましたらぶ②

 の宅配食材の活用を始めたのは
 9月下旬のことですから 足掛け3か月
 プレゼントキャンペーン で 頂きました音譜
 
 こういうご褒美があると
 続けたくなります・・ね苦笑


 ********************************

 ころで
  のお母さんが大好きです
By 

 あの ざっくりとした子育て感も
 昭和の典型的な専業主婦の感じにも
 なんか 励まされます
 

 何が!?・・って、
 絶対的&圧倒的なパワーで
 家庭を仕切っている

 子どもに文句を言わせない

 現実的にいま
 ああいうお母さんがいたら 
 と 思うところはありますが、
 全てにおいての強引な説得力は
 ある意味 学ぶところをも感じます苦笑


 で
 たちばな家(と言います)の晩のおかずには
 ちくわ が頻繁に登場します苦笑

 育ち盛りの中学生の男の子(ユズ彦)がいるのに
 また 今夜もちくわ!?
 と 子どもたちに嘆かれるほどあせるあせる

 どこまでが誇張なのか・・ですけれども、
 食費の節約って ここまでするはてなマーク
 って 思って観ていましたが。。。



今夜のおかずの内の一品は、
焼きちくわと白菜の黒こしょう炒め> 
お料理って ネーミングも大事ですね苦笑
 
 
もう一品は、
<鶏肉 と 根菜のごまみそ煮>
材料・・鶏肉 と 人参/れんこん/里芋



 を始めてから、
 量ましレシピをたくさん学んでいます苦笑
 健康第一&ダイエットを目指す方にはお勧めです
 ※夫の体型に変化が出てきたような気がしますらぶ②

 

私の心得。。(後日談;その8)

2019-05-31 |  _(後日談)
 大人は、だれも、 はじめは子どもだった。
 (しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)
 
 
 
 
 この本を初めて読んだのは
 小学校6年生か 中学1年生のころだったか。。。

 とても 自分の感性にフィットするものでした

そうだ
そうだ
私は、大人になっても
子どもの 現在(いま)!
この瞬間に感じた
さまざまな思いを 忘れないでいよう
そして
子どもの気持ちに寄り添える大人になろう

 ・・・と 強く決心したことを思い出します
 よく言えば 感受性の豊かな私でしたかしら

 
 ものごとはね、心で見なくてはよく見えない
 いちばんたいせつなことは、目に見えない 
 

 他にも心に響いた文章がたくさんラブラブ
 
 
 
 ===================================
 
 
  所謂「差之毫釐、謬之千里」
 いわゆる差は毫釐(わずか)、誤りは千里なり
 (心構えのわずかな差が、千里の隔りをもたらす)
 
※こちらは、
武術太極拳の鍛錬の心構えを教示しているものですが、
私自身の 心の置き方 & 子育てに伴っての考え方 を
いつも 整理してくれる教本になっていました。

私なりの解釈ですが、
 日々、刻々と
 人の心(や状況)は 流動的に変化するもの
 だけれど、
 自分の本質(=基軸となる価値観など や 真理)を
 忘れずに 自己確認を心掛けることで、
 「 誤差(くるい)」が生じそうになった(生じた)ときに
 自己修正することで、
 本来 自分が目指すとろへの千里も離れてしまう)
 隔たりは生じない 
 
 真理は奥深い ので、見失いがちあせる
  

===================================
 
 
 知之者不如好者、
これを知るものは好む者に如かず
 好之者不如楽者
これを好む者は楽しむ者に如かず 
 ゠論語゠
 
 
 
 これには二通りの意味がある、と思います。
 
 一つは、
 物事を始める(決める)にあたり、
「楽しむ(楽しめる)」という気持ちに添った方が
 上達できる(or 失敗しない)

 いわば、
 好きこそものの上手な の意味
 

 もう一つは、
  物事は、
「知っている(=知識)」と言うだけで留まるよりも
「好きだ(好きになる)」ということの方が
          さらに物事との関りが深くなる

 しかし、
「好き」というだけに留まらず、   
 長く継続して行った末にこそ至れる境地というものは、
 関わった歳月でしか到達できないものであり、
           真の「楽しみ」に通じるものだ

継続は力なり・・・ですかね

 
 私は、後者の意味が本来かな・・・と思います。
 そして、
 息子には 折に触れて
 好之者不如楽者の意味を 伝えて来ました


 時間をかけて大事に育てたもの(身についたもの)は、
 愛おしいばかりか
 当人にしか得られない至福をもたらしてくれる。。。


たった一つでも良いから
簡単に手に入らないもの、
しかも 目には見えない、
無形の宝物

そういうものを
息子に授けたかったのですラブラブ




 
 
 
 
 

 

等身大に育つ(後日談;その3)

2019-05-25 |  _(後日談)
 小学校に入学する少し前に
 市内で転居をしたために
 誰も知人の居ない環境で
 しかも、
 「幼稚園」からの入学児童のお母さん方にとって
 「保育園」育ちの子どもへの偏見もあり、
 母子共々、
   友達ができるかなぁ・・・
 という 懸念がありました

 特に、母親である私は、
 年代の差によるギャップ(というのは相手方の抱くイメージ)
 というもので 敬遠されるかなぁ・・・とあせる

偏見 というのは、
 教育的な環境で
 お行儀のよさを身に着けてきている「幼稚園児」と
「預かり」という環境下で、
 お散歩~お昼寝~園庭で遊ぶ といった
 遊び中心で 椅子に座っている時間など
 ほとんど経験のない「保育所児」ですから
「お行儀が悪いあせる」とか
「入学前の勉強が足りないあせる」とか。。。


 でもね!
 子どもは子ども同士の
 直感的な相性 というものがあって
 大人(母親)が思うほど
 同じ幼稚園仲間 vs 保育園児 のような対立はなく、
 「個性あるもの」は
 自ずと 興味を引く存在にもなる
 
 親の心配は及ばず、たくさん友達ができました音譜
 

 息子は、
 ひとりっ子であっても
 保育所で育ったことによって
 年下の子の面倒を見たり、一緒に遊んだり・・・、
 兄弟のような関係を味わうことができたようです

 ある意味!
 「社交性」「社会性」というものを
 保育所時代に磨かれました。

 また 後々は、
 SC(スイミングクラブ)の選手コースで、
 早朝(4:30)からのハードな練習を
 小学生から高校生に至るまでの期間を通して
 共に成長して行く中で
 上下関係のない「仲間意識」を培うことができました


 それはそれなりに。。。
 その年齢&年齢での葛藤はありましたが。。。
 保育所の門に入る瞬間に見せた
 「潔い覚悟」のできる心意気というものは
 息子にしっかり根付いたかなぁ・・・と思っています

===============================

 《エピソード》
 1年生の時の年配の先生が仰ったこと
   
 Tさんは、(男女とも「さん」付けでした)
 等身大に育っていると思います。。
 
 昨今、
 ご自分のお子さんを「小さく」育てているお母さんが多い
 と 思うのです。。。

 何というか・・・、
 その年齢&年齢で
 親が思っている以上に
 もっと できること(できていること)がある、
 そういう大きな目で
 お子さんを観ていないお母さんが増えている。。。

 
 なんとな~く、 
 理解できるお話でした
 「保育所児童」の 生命力
 幼いころから 自分のことは自分でやる・・・という
 また
 「やって貰えない」とか「当てにする」とか
 必要以上の期待? 甘え? をしない、
 かつ、
 話を理解して受け入れる心が育ったことへの
 評価を頂いたような気がしました

 

  

できること 為すべきこと(就活 5)

2019-05-09 |  _就活
  


 「就活」を通して、
 一次面接 ⇒ 二次面接 と進むにつれ
 当人にとっては
 ES & 履歴書 に書き込んだ 自分の思い と 軌跡 を
 繰り返し繰り返し 確認する機会にも成り
 また、 
 親としては
 今日に至るまでの歳月を振り返りながら
 「子育て(子育ち)」の集大成を観るかのようでもあり
 一個の人材(&人格を)社会に送り出すことの意味(意義)を

  親(人)として できること
  親(人)として 為すべきこと
 
 といったところに対して
 子どもの成長に沿って
 私自身が どれくらい? 努力して来れたかなぁ・・・と 
 つくづく考える機会にもなっています
 
 
 「子育て」ではなく 「子育ち」 というのが本来であり
 誰しも、成長とともに「人格」を形成して行く過程を
 「親」「子」という縁の中で
 親として 為すべきこと
 「子」の自主性&自発的に決断したことを
 「できる限り」サポートすることだろう、と。。。

 
 (できることには)限りある中でも
 (できる限り)満足できるような
 そして!
 その満足・・・というのは
 お金で環境を与えるだけでは得られないもので
 心の寄り添いというところへの努力こそが
 親として為すべきこと かな・・・と
 私は その点に傾注してきたような気がします。


 「親」「子」にも 「相性」があり、
 意思疎通が良好に図れない関係もあるのかもしれません
 ・・・が、
 大概においては
 「親」の側に反省する要素が多いような気がします

 
 「わが子」は 「わが子」でありながらも
 自立して行く「別人格」の人間なので
 確かに
 自分自身で 独立独歩できないまま放り出すことは
 先立つ立場の親・・としては
 最も 為すべきことを為さない 
 無責任な親・・・と 私自身は
 自分を戒めて来ました


 「就活」の様子を見ていると
 息子は、
 為すべきことが成せる(=基礎的な人間力)という点において
 ご評価は頂けているのかな・・と、
 親としての集大成としては
 ただ今のところは 悦ばしく思うところが多くあります 
 

 
 

言葉には心が現れるものですね!

2017-09-02 | 日記

久々に聴いた言葉

    

  お気遣いありがとうございます

 

 

社会人年齢6~7年でしょうか、ね らぶ②

 

アラサーの社会人男性を見ると
わが子の将来の姿を重ねてしまいます 苦笑

  あんな風な丁寧な言葉遣い
  やわらかい物腰が備わっていくのかしらあせる  と。。。

 

「見よう見まね」という表現の通り、
それもまた 「学び」、
そして 「自分育て(=育ち)」 なのでしょうねらぶ②

 


それにしても
些細な目上の者(というのは私のこと)の配慮に対して

  お気遣いありがとうございます

と言える素直さ & 慎み深さ は
その場の体裁で出てきた言葉には思えませんでした らぶ②

きっと
現在に至るまでの環境の中で
長きにわたって身に着けてきた 心 が
自然に出たのだろう

そう思うと
「育ち」というのは、「心」が現れるものなのだ
                                                         と 実感します らぶ②


わが息子はまだ、
せいぜい 「ありがとうございます」 レベルかなあせる


「お気遣いありがとうございます」となると
「相手の言動を称える」 という 謙虚さが伝わってきて
と~っても温かい気持ちになりますよねラブラブ

言葉遣いは大切です ね上げ上げ


息子のお土産音譜

 


育ち。。

2017-08-26 | 息子

 むかしから。。。

「育ちが悪い」という表現がありました。

 

「育ち」という言葉には、差別的な印象があって

なんとなく、

そういう表現をする大人を軽蔑するような心持ちになりました。

 

でもねぇ。。。

最近は職場で

息子(20代) や 甥・姪(30代~アラフォー)世代の若者との接点も増え、

思うところは、「育ち」という言葉の意味苦笑


以前、

「子育て」に関する観点子どもの育つ環境を整える。。。として

(である自分)が 主体となって 「育てる」

と言うのはおこがましぃ。。

子供が自ら、自分(の人間性)を 「育てる」のであって

「子育ち」 という意味が本来なのだ

というような考えを書いたことがありますらぶ②

 

ずっと、ずっと 気になってたことなのですが。。。

いつの頃からか? 

「能面」のような無表情の人が増え、

 電車の中でも 街中でも 職場でも

「場に応じたマナー」の悪い人が、普通に多い ことに 愕然とします。

 

そういう若い世代の人を観ると

 (もちろん・・・大人にもいますけれどあせる

「育ちの悪さ」ということの本質を感じたりします。

 

「育ち」=「学び」だと思うのです。。

「学び」は、「育ち」に通じるものだ、と思うのです。


家庭の中で

親のしつけと言われるものになるでしょうが、

親からの学ぶ という機会だと思う


社会の中で

「三つ子の魂」と言われるように、

たとえ幼くても、

その子にとっての「社会=保育園・幼稚園・小学校)」で

遭遇する違和感というものがあった時に

自分とは異なる価値感の受け入れ方 や

さらには、「個の価値観」の創生の仕方 を 学ぶ


そう考えると、

誰でも無意識のうちに、「自分育て」をしているわけで、

親は それをサポートする役割でしかない。。

 

そうやって成長してきて、

大人社会では 否が応でも 「育ち」を披露する機会に遭遇する。。。

そこには、自覚はないものの、

結果として「育ちの悪さ」を指摘されることが大いに起こる。。

 

「育ちの悪さ」は、

ある時期までは・・「経験値」の不足 ということで許されるけれど、

これが、致命的に感じられてしまう 境目・・という時期はあると思う。。。

 

 

漠然と 書きましたが、

わが息子も、

学生 ではあるものの、

研究の場で 社会の先輩方々から 多く学ばせて頂いていますらぶ②

「育ち」きれていないもの・・を 有難く指導して頂けているようですが、

結局のところ、

「自分育て」は、他人から見た時の「育ち」となるわけですから

真摯に 素直に 学んで欲しい・・・と 願うばかりですらぶ②

 

ここのホットサンド おいしいですラブラブ

 

 

 


子どもの育つ環境を整える。。。

2017-02-21 | 日記

 

この本を 全て読んだわけではありません・・が、
言わんとする内容には共感できますらぶ②


子どもは自然に育っていくものですから、
あまりムキになって育てないほうがいいように思います。
私たちにできることは、子どもが育つ環境を整えること
です。(引用)

        
http://www.gentosha.jp/articles/-/3802



とは言っても、
「子どもが育つ環境」を考えない親はいない と思うし、
「環境を整える」ことに必死な親も多い。。。

その環境・・・の選択は、
まずは 親の価値観 と わが子への 願望(期待) が大きく作用する。。。

昨今の教育熱・・・というか
学力重視の風潮には あまり賛同できません涙

じつは、
息子にも中学受験を考えた時期がありました。
いわば、「環境を整える」 上での 選択の迷いがあったのです。
結果的に、準備が遅かった(=5年生になってから考え始めた)ため
そういった受験塾にも首を突っ込んだけれども、
「遅れ」を補うためには、
当然! 本人の学習意欲=取り組み時間 × 料金 という計算で
塾に依存する場合は 多大なお金で成績を買う・・・に等しい状況がありました。
(※これは、あくまでも 悪い例です 
  息子のケースで 
 「これから目指す学力に到達するためには、毎日 何コマ × 料金 × 日数 ですね」
  と 当然のごとく あっさり言われました苦笑

同じ時間とお金をどう費やすか? いうところが選択の分かれ目でしょうか?

一時の迷いで もしかしたら?
親の自己満足でしかない「環境」を押し付けてしまうかもしれない。。。
そういう過ちに陥り安いのが 「子育て」なのでしょうけれど、
「子育ち」という概念を持つと
「どんな最低な環境でも 育つもの」 を 信じたい! という意味で
親としての価値観=何を求めたいのか? が 明確になってくるような気がします。

結果的に、
当時は競泳の練習で時間が占められていたので、
塾の方から、「その時間を勉強時間にしなさい!」と
二者択一を迫られ時に、息子の意思で 受験はしないことになりましたらぶ②

今思えば、
親が絶対・・・と言える環境はなく、
迷いの中で 最後に決めて来たのは 子供自身だった。。。
そして
子どもが選択した「環境」を「整える」ことに
親として なんとか努力して来れたかな・・・と、
現在の息子を見ていると 
それが
まずまず 良かったのかな・・・と 感じているところはありますらぶ②

=================================

「中学受験」が 親子の総意で、
「受験勉強」が子どもの自発的な意思で取り組めていれば
それも一つの選択としては悪くはないでしょう。。。

けれども
もしかしたら 勘違いをして
皆が行く方向を目指して 
無理やり首を突っ込んでいるような様・・・を想像すると
「別な場所は もっと 空いていて・・心地よさそうだよ」
と 話しかけたくなったりもする。。。

子どもにとっての良い環境は、
決して一律ではないはずらぶ②

ある親子の・・・お受験失敗の話を聞いたから。。。
そこを目指した思い
費やしたエネルギー
達成できなかったことへの気持ち
などなど
思いやるにつけ、
どうか その後のフォローを大切にしてあげて
と 心から願っているのですらぶ②


子育ち

2014-04-09 | 日記
 自分を振り返ると。。。。
 本当にやりたかったことは 何だったのか・・・・・、
 いまでもよくわからない。。
 もしかしたら・・・・、
 自分自身が、その時々にできなかったことを
 子育て・・と言いつつ、
 我が子に投影して来たところもあるように思う。。。


 子育て、否、 じつは! 
 子育ち(自分で育てる or 自ら育つ) と言うのが正しい 表現なのだそうで、
 親がなくとも 子は育つという言葉がそれを象徴しているように思うのです。
 
 
 反対に。。。。
 子を持つのは簡単  親になるのは難しい
 という 表現にもあるように、
 子育て・・だなんて おこがましい言い回しのような気がします^^;
 
 
 私もかつて、
 ある専門職の道を目指していました。。。
 そういう方向性を早くから決めて(決められて?)
 大学もそういう専門分野を受験するために長期的に、
 かつ計画的に積み上げて来ていたのですが、
 直前で 自ら 断念しました。。。。 
 
 自分の心が怯んだ ・・・、のでしょう(ノ_・。)

 チャレンジするか? 否か?  の 程度の違いでした。。。

 後々、チャレンジしなかった自分を 悔いた時期もありました。。。

 

 けれども、
 別な道に進んだことに因っての出会い・・・というものも
 確かにありました^^

 

 そして、息子が誕生し、
 一人っ子・・ということも あったでしょう。。。。
 男の子・・・ということも あったでしょう。。。
 自分の歩むべく道を 恐れずにチャレンジするよう 
にと 望んだかも知れません。。。
 
 
 それは!?
 夫も! 私も!( 親として誰しもが!)
 過去の自分が満たせなかったものを我が子だからこそ! 
 満たしてやりたい・・・・という思いとは別のところで
 しかし、表裏一体のところで、
 自分を満たすことができるよう・・、
 そのためのチャレンジを恐れないよう ・・・、
望んできたところがありました。。。

 

 幸いなことに、
 以心伝心 が 旨く行ったようでもあり、
 息子は 自発的に チャレンジする人間性
自分で育ててくれました。。。

 

 これからも
 自分を 自分で育てて行って
 恐れずに チャレンジしていって欲しいナ! 

Step forward one step!




Memories(2013-12-17)

2013-12-17 |  _アーカイブス

 

 
 幼いころから 水泳を始めていた息子が、
 ジュニア選手へのお誘いを受けた時、
 当初は 迷いがあった...
 
 身近で スポーツを継続した人は、 
 (=これをアスリートといつからか呼ぶようになったけど)
 実兄が 大学まで野球を続けたくらいの例しかなく、
 競泳 というのは 身近なスポーツでは無かったこともあり、
 はたして どの程度の練習を必要とするものなのか?
 想像もできなかった...
 
 ジュニアオリンピック大会(JOC) という全国大会があって、
 ジュニア選手になったその日から、
 未知&無知のままに
 それが一つの目標として課せられた日々の練習..
 
 週一からはじめ、
 無欲に
 四泳法を身につけるまでの期間だけで終わるつもりだった..
 どこかに・・・、
 水泳は基礎体力作り(&将来の趣味の一つ)として捉えていたところがあって
 当時は他に硬式テニスにも挑み、
 初の大会で優勝 という ラッキーな体験をし、
 将来的には テニスプレーヤーになるのかな? と
 親としては秘かに 感じていたところもあった..
 
 しかし、次第に 水泳競技での結果もよくなると
 SCコーチたちからの勧誘の機会が増し、
 最終的には 本人の意思によって
 最低でも 中高の6年間は競技にトライすることを決めた
 
 ほとんどのジュニア選手は、
 同様の経緯で競泳の世界にデビューする。
 
 SC内部では、
 選ばれた子供たち というような 注目を受けるようになり、
 レベルが上がり
 SCジュニアの中でのエリート集団は 朝練組 となり、
 盆も正月もないほとんど365日、
 この寒い冬場も朝4時には起床して 4時半にはSCにINして練習を始める
 
 毎朝、3時間の練習をしてからの登校。。。
 そんな中学生時代を3年間迎えるにあたり、
 本人の強い意志と 両親との間での約束は、
  SCで競技することは学校とは無関係の個人的な活動
  だから!
  朝練で 疲れたからという理由で 授業が散漫になったり
  中学校の部活その他の行事に 非協力的なことは許さない
 
 実際に。。。
 『寝る子は育つ』 と言われる育ち盛りで
 ただでさえ眠くなる時期なのに、
 朝のハードな練習後の疲労に耐えて、
 気持ちを授業に集中させることは、
 かなりの努力が要ったことだろうと思う
 
 けれども 息子は 一度たりとも 辞めたい と申し出たことはなかった。
 学業 や 学校行事にも 積極的に取り組みぬいた中学校を卒業するときに、
 先生方から
   彼は スーパー中学生でしたよ
   彼ほどの頑張り屋は なかなか現れない
 ・・・と
 卒業の餞(はなむけ)としての賛辞を 親ばかにも 
   そうだ! そうだ!
   約束通り、文武両道に手を抜くことはなかった
 と 心から 我が息子を尊敬したものだった
 
 ほとんどの中学生スイマーが同様に 
 本格的な競泳競技にデビューをする時に
 その延長線上に望む世界(=将来の自分)には
 個人差が生じてくる
 
 息子は、
 文武両道を自分の軸とし、
 勉学にも手抜きをすることがなかった
 
 対照的なタイプとしては、
 競技一筋をめざし、
 オリンピック出場レベルに到達することを念頭に置いて
 一にも二にも トレーニングに余念のないタイプ
 
 高校に入るときに 道は分かれる
 
 一にも二にもオリンピックを 目指す
 そういう選手は 高校時代にますます伸びて
 念願かなって
 高校生オリンピックスイマーとなったりもした
 
 一方では、
 中高時代の全国大会では必ず決勝に残るレベルでありながらも
 目指すところは 医学の道。。。
 一浪の末、某国立大医学部合格の念願を果たす
 彼は、スイマーとして不遇の高校時代を強いられてしまった息子が、
         (↑ これはSCの問題(^^; )
 最後の1年を過ごしたSCのエリート選手だった..
 互いに 異質なSCで長年競技をして来たもの同士で、
 出会ったことで
 それぞれのSC(=指導傾向)の一長一短を 感じ合い
 双方が感心を持ちあう中で 共感する思いが高まり
 息子にとっては 自慢と尊敬に値する親友となっている
 
 同じ競技に 同じ年代から取組み、
 ほとんど同じレベルのハードなトレーニングを
 365日 × 5年半ほどの歳月を費やすときに
 さまざまな選択肢がある中で
 前出の親友や 息子は 最も困難な競技体制に挑んだ
 と言えるように思う。
 
 文武両道 とは言うけれど
 それは 形としてだけの意味合いではなく、
 質的に 双方ともレベルを高く維持継続することの難しさ
 息子を観て 感じ取ってきた
 
 そんな 最高峰に 怯むことなく、
 ポジティブに挑み続けている息子を頼もしく思いつつ...
 その子自身が持っているもの(=親の力の及ばないもの)
 というものを実感している
 
   親という字はね^^
   木の上に立って 見る と 書くでしょう?
   それが親の仕事なのよ
   手を出すことはない
   子供がすることを しっかり
   どこまでも 見てあげる
   それだけでいいのよ
 
 と 実姉を初めとして
 年上の親しい子育て先輩の人たちから教えてもらったのを忘れない...
 
 だから、私はその言葉通り...
 いまだに 息子を 『見る』 ことに徹している
 
 いったい? 彼が! 何を決断して
 どんな行動を起こしてくれるのか?
 
 幼いころから そうやって 楽しんで見てきたことを
 いまや懐かしく思い出すほどの歳月を経たのですね^^