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久々に聴いた言葉
お気遣いありがとうございます
社会人年齢6~7年でしょうか、ね
アラサーの社会人男性を見ると
わが子の将来の姿を重ねてしまいます
あんな風な丁寧な言葉遣い
やわらかい物腰が備わっていくのかしら と。。。
「見よう見まね」という表現の通り、
それもまた 「学び」、
そして 「自分育て(=育ち)」 なのでしょうね
それにしても
些細な目上の者(というのは私のこと)の配慮に対して
お気遣いありがとうございます
と言える素直さ & 慎み深さ は
その場の体裁で出てきた言葉には思えませんでした
きっと
現在に至るまでの環境の中で
長きにわたって身に着けてきた 心 が
自然に出たのだろう
そう思うと
「育ち」というのは、「心」が現れるものなのだ
と 実感します
わが息子はまだ、
せいぜい 「ありがとうございます」 レベルかな
「お気遣いありがとうございます」となると
「相手の言動を称える」 という 謙虚さが伝わってきて
と~っても温かい気持ちになりますよね
言葉遣いは大切です ね
息子のお土産
むかしから。。。
「育ちが悪い」という表現がありました。
「育ち」という言葉には、差別的な印象があって
なんとなく、
そういう表現をする大人を軽蔑するような心持ちになりました。
でもねぇ。。。
最近は職場で
息子(20代) や 甥・姪(30代~アラフォー)世代の若者との接点も増え、
思うところは、「育ち」という言葉の意味
以前、
「子育て」に関する観点(子どもの育つ環境を整える。。。)として
親(である自分)が 主体となって 「育てる」
と言うのはおこがましぃ。。
子供が自ら、自分(の人間性)を 「育てる」のであって
「子育ち」 という意味が本来なのだ
というような考えを書いたことがあります
ずっと、ずっと 気になってたことなのですが。。。
いつの頃からか?
「能面」のような無表情の人が増え、
電車の中でも 街中でも 職場でも
「場に応じたマナー」の悪い人が、普通に多い ことに 愕然とします。
そういう若い世代の人を観ると
(もちろん・・・大人にもいますけれど)
「育ちの悪さ」ということの本質を感じたりします。
「育ち」=「学び」だと思うのです。。
「学び」は、「育ち」に通じるものだ、と思うのです。
家庭の中で
親のしつけと言われるものになるでしょうが、
親からの学ぶ という機会だと思う
社会の中で
「三つ子の魂」と言われるように、
たとえ幼くても、
その子にとっての「社会(=保育園・幼稚園・小学校)」で
遭遇する違和感というものがあった時に
自分とは異なる価値感の受け入れ方 や
さらには、「個の価値観」の創生の仕方 を 学ぶ
そう考えると、
誰でも無意識のうちに、「自分育て」をしているわけで、
親は それをサポートする役割でしかない。。
そうやって成長してきて、
大人社会では 否が応でも 「育ち」を披露する機会に遭遇する。。。
そこには、自覚はないものの、
結果として「育ちの悪さ」を指摘されることが大いに起こる。。
「育ちの悪さ」は、
ある時期までは・・「経験値」の不足 ということで許されるけれど、
これが、致命的に感じられてしまう 境目・・という時期はあると思う。。。
漠然と 書きましたが、
わが息子も、
学生 ではあるものの、
研究の場で 社会の先輩方々から 多く学ばせて頂いています
「育ち」きれていないもの・・を 有難く指導して頂けているようですが、
結局のところ、
「自分育て」は、他人から見た時の「育ち」となるわけですから
真摯に 素直に 学んで欲しい・・・と 願うばかりです
ここのホットサンド おいしいです
この本を 全て読んだわけではありません・・が、
言わんとする内容には共感できます
子どもは自然に育っていくものですから、
あまりムキになって育てないほうがいいように思います。
私たちにできることは、子どもが育つ環境を整えることです。(引用)
http://www.gentosha.jp/articles/-/3802
とは言っても、
「子どもが育つ環境」を考えない親はいない と思うし、
「環境を整える」ことに必死な親も多い。。。
その環境・・・の選択は、
まずは 親の価値観 と わが子への 願望(期待) が大きく作用する。。。
昨今の教育熱・・・というか
学力重視の風潮には あまり賛同できません
じつは、
息子にも中学受験を考えた時期がありました。
いわば、「環境を整える」 上での 選択の迷いがあったのです。
結果的に、準備が遅かった(=5年生になってから考え始めた)ため
そういった受験塾にも首を突っ込んだけれども、
「遅れ」を補うためには、
当然! 本人の学習意欲=取り組み時間 × 料金 という計算で
塾に依存する場合は 多大なお金で成績を買う・・・に等しい状況がありました。
(※これは、あくまでも 悪い例です
息子のケースで
「これから目指す学力に到達するためには、毎日 何コマ × 料金 × 日数 ですね」
と 当然のごとく あっさり言われました
)
同じ時間とお金をどう費やすか? いうところが選択の分かれ目でしょうか?
一時の迷いで もしかしたら?
親の自己満足でしかない「環境」を押し付けてしまうかもしれない。。。
そういう過ちに陥り安いのが 「子育て」なのでしょうけれど、
「子育ち」という概念を持つと
「どんな最低な環境でも 育つもの」 を 信じたい! という意味で
親としての価値観=何を求めたいのか? が 明確になってくるような気がします。
結果的に、
当時は競泳の練習で時間が占められていたので、
塾の方から、「その時間を勉強時間にしなさい!」と
二者択一を迫られ時に、息子の意思で 受験はしないことになりました
今思えば、
親が絶対・・・と言える環境はなく、
迷いの中で 最後に決めて来たのは 子供自身だった。。。
そして
子どもが選択した「環境」を「整える」ことに
親として なんとか努力して来れたかな・・・と、
現在の息子を見ていると
それが
まずまず 良かったのかな・・・と 感じているところはあります
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「中学受験」が 親子の総意で、
「受験勉強」が子どもの自発的な意思で取り組めていれば
それも一つの選択としては悪くはないでしょう。。。
けれども
もしかしたら 勘違いをして
皆が行く方向を目指して
無理やり首を突っ込んでいるような様・・・を想像すると
「別な場所は もっと 空いていて・・心地よさそうだよ」
と 話しかけたくなったりもする。。。
子どもにとっての良い環境は、
決して一律ではないはず
ある親子の・・・お受験失敗の話を聞いたから。。。
そこを目指した思い
費やしたエネルギー
達成できなかったことへの気持ち
などなど
思いやるにつけ、
どうか その後のフォローを大切にしてあげて
と 心から願っているのです
チャレンジするか? 否か? の 程度の違いでした。。。
後々、チャレンジしなかった自分を 悔いた時期もありました。。。
けれども、
別な道に進んだことに因っての出会い・・・というものも
確かにありました^^
Step forward one step!