育ち。。
むかしから。。。
「育ちが悪い」という表現がありました。
「育ち」という言葉には、差別的な印象があって
なんとなく、
そういう表現をする大人を軽蔑するような心持ちになりました。
でもねぇ。。。
最近は職場で
息子(20代) や 甥・姪(30代~アラフォー)世代の若者との接点も増え、
思うところは、「育ち」という言葉の意味
以前、
「子育て」に関する観点(子どもの育つ環境を整える。。。)として
親(である自分)が 主体となって 「育てる」
と言うのはおこがましぃ。。
子供が自ら、自分(の人間性)を 「育てる」のであって
「子育ち」 という意味が本来なのだ
というような考えを書いたことがあります
ずっと、ずっと 気になってたことなのですが。。。
いつの頃からか?
「能面」のような無表情の人が増え、
電車の中でも 街中でも 職場でも
「場に応じたマナー」の悪い人が、普通に多い ことに 愕然とします。
そういう若い世代の人を観ると
(もちろん・・・大人にもいますけれど)
「育ちの悪さ」ということの本質を感じたりします。
「育ち」=「学び」だと思うのです。。
「学び」は、「育ち」に通じるものだ、と思うのです。
家庭の中で
親のしつけと言われるものになるでしょうが、
親からの学ぶ という機会だと思う
社会の中で
「三つ子の魂」と言われるように、
たとえ幼くても、
その子にとっての「社会(=保育園・幼稚園・小学校)」で
遭遇する違和感というものがあった時に
自分とは異なる価値感の受け入れ方 や
さらには、「個の価値観」の創生の仕方 を 学ぶ
そう考えると、
誰でも無意識のうちに、「自分育て」をしているわけで、
親は それをサポートする役割でしかない。。
そうやって成長してきて、
大人社会では 否が応でも 「育ち」を披露する機会に遭遇する。。。
そこには、自覚はないものの、
結果として「育ちの悪さ」を指摘されることが大いに起こる。。
「育ちの悪さ」は、
ある時期までは・・「経験値」の不足 ということで許されるけれど、
これが、致命的に感じられてしまう 境目・・という時期はあると思う。。。
漠然と 書きましたが、
わが息子も、
学生 ではあるものの、
研究の場で 社会の先輩方々から 多く学ばせて頂いています
「育ち」きれていないもの・・を 有難く指導して頂けているようですが、
結局のところ、
「自分育て」は、他人から見た時の「育ち」となるわけですから
真摯に 素直に 学んで欲しい・・・と 願うばかりです
ここのホットサンド おいしいです
最近、同じ思いをしていました。
育った環境って大事だなあと❕
本人のせいではないと思いつつ、分別はつくのでは?等々
なんかね~