静寂はあなたへの恩恵

人生の途中で聴覚障害となった私。
でも代わりに心の声が聞こえるように・・・
そんな私の思いを綴っていきます。

自分と周りの世界が変わるとき

2011-03-04 13:44:24 | 聴覚障害のこと
さっきの記事で「許せない」「憎む」っていう気持ちを強い印象で思い出せる人が二人いるって
書いて、一人のことは書いたので、もう一人についても書いてみようと思います。
(前にも書いたかもしれないけれど、また違った気持ちで)

もう一人の方も、私を退職に追いやった人なのだけれど、
それは14年勤めた保育園でのあるとき、14年のうち、後半5年は補聴器を使用しながら勤めて、
もう障害者手帳を持っていた状態だったのと思います。

自分でももう限界はわかっていたのかな、がんばることへの。。。

でもそれまで16年間保育士しか経験したことがなかったので、
他の仕事へ移ることは考えられなかったのですね。

だから何としても、その仕事で生きていきたかったし、また天職だとも思っていたし。

そんなときに、私が会議や研修などで他の方のノートを見せてもらわないと参加できない
状態だったのを見て、園長よりももっと上の役職の方からあるとき呼び出されて、

「あなたはそんな状態で、子どもの命を守れるのですか?」

と言われたのですね。

そのときはもう、クラス担任はしていなくて、障がいを持った子供たちの個別担任をしていたので、

「他の保育士さんに助けてもらいながら、なんとかがんばっています。
 いつも細心の注意をしながら保育をしています」

と言ったのですが、

「保育士は子供の命を守ること、子供の世話をすることが仕事であって
 あなたの助けをすることは仕事ではありません。
 そんなことに他の保育士の時間を取られては困ります」

と言われたのですね。

そのとき勤めていたのは公立保育園で公務員だったので、「クビ」というのはないけれど、
そうやって、自分からやめさせようと仕向けられました。

そして私はそのとおり、自分から「今年限りで辞めます」と言ったのです。

やけくそな気持ちです。
「そんなに言うなら、もう辞めてやるわ。これ以上がんばるのは疲れたし。。。」
っていう感じでした。

そんな辞め方だったので、その後何年も後悔や未練の気持ちが残っていました。
それを伝えてきた上司に対しても、ずっと許せない気持ち、憎しみが残っていました。

それからすぐに地元を離れました。
新しい気持ちで出発したかったし、そこにいたくなかったんですね。
でも遠く離れても、気持ちはずっと「辞めさせられた」っていうことを引きずっていたと思います。

あのときも自分を大切にしていなくて、聞こえない自分を卑下して、そうされても仕方がない、
って思っていたんです。
もし自分をもう少し大切にしていたら、きっと自分の思いをちゃんと伝えることができた、
そしてそのあと、あんなに苦しい思いを味わわずに、もっと楽に次にシフトできたと思います。

全部自分の気持ちが外に現れて起きたことだったと、今ならわかります。

そして今私はたくさんのことを学んで、自分の本質に戻る道にいます。

もっと簡単に最短で行けることができたかもしれないけれど、
私はたくさんの回り道をしました。
その時間が必要だったからでしょうね。
だからこそ、わかったことがたくさんあったのです。

大切なのは、自分自身を大切にすること、
そして、もうこんなことには耐えられない、と思うようなピンチにこそ、
チャンスは隠されている、ということ。

一見、最悪!こんな人がいなければ、もっとうまくいったのに、と思うような人との出会いは
自分の新しい可能性を見つけてくれるかもしれません。

そういう人は進んでその「悪役」を買って出てくれているんだと。
だから、感謝しなくては、と思うのです

私にとってはいつも「聞こえないこと」が仕事を失くすこと、最悪な事態へのパターンになっていて、
なかなかそれを受け入れることは困難でした。
それを含めた自分を大切にすることなんて、頭でわかっていても深いところで無理!って。

でも振り返ってみれば、それがいつも次の新しい可能性の扉を開いてくれていました。

自分にとって、そして社会的にハンデに思えることも、
それが他の人と違う個性や美点として受け入れるとき、
自分もそして周りの世界も変わっていくのだと思います。

それが頭じゃなくて、ふかーいところで感じられるようになることができたらいいなぁ
願っています。



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