CBBA

CoupleはBEACHでBOOKSとALCOHOLと。
略してCBBA。分煙コンサルも兼任。

【東北太平洋地震】元気です。

2011-03-25 16:18:57 | 赤ちゃんと一緒♪
きうです。地震の際に色々心配してくださった方、生きております、本当に
ありがとうございました。もう仕事へも復帰して落ち着かない中ですが、
普段どおりの生活を送っております。

今回、大地震により被災された方の信じられない悲惨な状況に心を痛めております。
また、行方の分からない方、亡くなられた方の多さに、言葉を失っております。

同時に自分の出来ることの少なさにもどかしさも感じております。

ブログ再開へなかなか踏み切れなかったのは、疲労。この2週間、子供を
持つ身としては色々と疲れることもいっぱいあり・・・かといって疎開するよう
な場所があったりもしないのでなかなか疲れが取れませんでした。

もちろん、まだすべてが吹っ切れているわけではないですが、せめて、ブログ
だけは日常をお送りしたいと思っています。

しかし、この記憶だけは残しておきたいので、長いですが、私の地震体験を
備忘録として記しておきます。

さて、私たちは10日から12日まで品川にはおらず、箱根におりました。
偶然、区の格安保養所みなと荘(みなと荘については、以前の記事
ご覧ください)に滞在が決まり、私の祖父母も合わせて計5人で
宿泊しておりました。

地震があった際には、箱根ユネッサンにおりました。散々お風呂は入った後、
お食事付きプランで食後、おなかがいっぱいなのでちょっとリラクゼーションルームで
ゆっくりしよう、、、としたところ、大きな揺れが襲いました。

下から突き上げるような揺れ、地震大国に生まれ育っておきながら
初めて体験する只事ではない揺れでした。



写真お借りしてます。

見ての通り、天井は高く、隠れるところは何もありません。唯一、中央に
見えている柱にぐるっと回してあるソファの下に子供はすっぽりはまる
ことができたのでさくらだけ隠れさせました。大人は頭だけ、、、。

山の上だからか、相当な揺れでした。立ってるのがちょっとコワイ
くらい。でも、東京はもっと揺れていたのかな。
とにかくこれはひどいと感じ、死も覚悟しました。

隠れている娘に
「あなたはどんなことがあっても助かるから強い心を持っていてね。ママや
パパがいなくてもあなただけは絶対に助かるからじっと待っていなさい。
そして、ママとパパはさくらのことを愛しているから」と。

これは自然に出た言葉でした。

母になると自分のことは構ってられません。子供にアメを渡し、お茶を持たせ、
とにかく何度もある余震の度に小さな隙間に潜らせました。

子供だけは助かってほしい・・・。

結局、地震が発生してから椅子に座っていた春休み旅行中の大学生たちが
お得意の携帯を駆使して情報を得ていました。東海沖地震だと思っていたら
なんと仙台のほうだと。お台場から火が出ているとのこと。保育園の子供たちが
心配でした。

ある程度、余震が収まっても館内アナウンスがひとつもない。オットは
余裕が出てきたのか、「風呂入るか」とこれまたKY発言。こんなタイミングで
風呂に入ろうと思うのはあなただけですから・・・・。

結局、館内アナウンスがあったのは2時間近く後、すべてのお客さんを外に出す、とのこと。えーっと、帰る手段もないのに、なんでそんなことするの?箱根の中では
新しい建物(2005年築)なんだから風呂は上がらせるにしても外に放出してまで
リスク回避したいの?

スタッフも全然来ないし、ここはどうも避難訓練全然やっていないんだな、と
思いました。場所柄、十分東海沖地震の脅威はあると思うのに・・・。

バスが動いていないと帰れない我々はひたすら待つことに。。。
さすがに、最後の客に近くなってしまったので出てみるとなんと満員のバスが
目の前に!!!

「最後の客なんで入れてください!!!!」

次いつか分からないバス。山手線よりは稼働率は低いと判断した私は
奥の方に聞こえるように言うと、なんとなく隙間が・・・やっぱりね。
#というか、次のバスで降りる人がいた・・・ならそう言ってくれ。

運転手さん迷惑そう。でも、仕方ないんだよ。だって、もうここに
残れないんだもの。ユネッサンの人だって早くおうちに帰りたいんだよ。

ここからが長かった。宿に近い停留所まで通常なら10分程度の道が
なんと2時間半・・・・。箱根登山鉄道バスの道は、なんと小田原まで
つながっていましたとさ、、、。歩いていける人は歩いたほうが早い。
でも、うちはベビーカーもあるし、なんせ歩道のない暗い山道のところ
なんてさすがのうちのオットも歩こうと言わなかった。

バスには、多くの外国人さんが不安そうな目でいた。どこで降りるべきなのか
英語の分からない運転手さんは「できることなら声かけないで」オーラを
出しまくっている。私は状況がわかる限り、オットと一緒に
つたない英語でコミュニケーション。子供に席を譲ってくれたのも中華系の旅行者
だったよう。お互い助け合いの精神でした。

宿につけば、もう食事の時間はとうに過ぎていた。宿の人たちも我々の
帰還をねぎらい時間も変更、予約しておいたカラオケも時間変更して
くれた。

色々大変な事態になっていることは戻ってから知ったけど、しばらく
ここにも来れないだろうと思うと堪能せねばと思い、ゆっくり風呂に
つかり、さくらにとっても初のカラオケも楽しかったよう。

帰りは、バスをキャンセルし、ようやく動き始めた新幹線に乗りつぎ、
帰宅。家の様子は、また今度、ですが、色んな意味で思い出に残る家族旅行となりました。


帰ってきてからこの絵を描くようになりました。彼女も家族の大切さ、身にしみたかな?

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6 コメント

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Unknown (きう)
2011-03-31 14:55:38
Sportskiteさん、温かいお言葉ありがとうございます。オットの実家がやはりつくば山の麓でそれなりに被害があったようです。お水や電気が来るまでに時間がかかり、それに比べれば東京の復旧は早かったと思います。早く原発の件が安定して復旧できるようになりたいですね。
ちらまつさん、そうそう有名なあの道です。ただでさえ混んでいる道なのにね・・・それにしてもユネッサンにはちょっとがっかりでした。これを機会に変わってほしいですねぇ。
ろってぃさん、きっと世の中のお母さんの大半が考えたことだと思います。自分のことは二の次になっちゃいますよね。ハートの絵には癒されてます。全然、絵を描く子じゃなかったのでびっくりしてます。スペインからも応援よろしくお願いします!
ねぎとろさん、お互い無事で何よりです。もう疎開先から戻ったのかな。そうそうハワイアンのニュース見て、余計にがっかりでした・・・・まぁ、規模は全然違いますけど、印象問題にもなりますからね・・。保育園の建物って耐震基準が通常の建物より厳しいようです。保育園にいるほうが安全なケースもあるようです。うちの子も地震は相当コワイみたいで、今だに余震があるごとに私にくっついてきています。地震に関しては相当な英才教育になっちゃいましたね・・・・。
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誕生日おめでとう (ねぎとろ)
2011-03-30 00:09:51
そうか~。箱根でそんなことが・・
さっきスパリゾートハワイアンズの震災当日の記事を読んだだけに、ユネッサンの対応はありえな~いっ!!  

確かに母になると不思議と自分(と夫?笑)のことより、子どもが一番心配になるよね。ある日余震の最中に迎えに行ったら、1歳クラスの子たちが大きな掛け布団の中にブルブル震えながら小さく固まっていて・・・。預けている身ながら、一緒にいてあげられない事に胸が痛みましたよ。
さくらさんの絵、可愛いです。

ウチは先端の曲がった東京タワーばかり描いてたよ。
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よかった~ (Nao)
2011-03-26 11:33:11
本当、無事でよかったです。心配でした。今も余震や、原子力問題で大変でしょうが、頑張ってください。こちらでなにか出来る事があったら言ってくださいね。うちはいつでもあいていますよ。寒いところが苦手でしたら、義母の家がアリゾナのツーバックにあります。ただっぴろい家に一人で住んでいるのでお客さんは大歓迎ですよ。
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Unknown (ろってぃ)
2011-03-26 08:15:55
旅行先でさぞ不安だった事でしょう...
でもご家族が一緒で、皆無事で本当に良かった。
母親としての言葉にジーンと来ました。
さくらちゃんも何か感じとったんだね。
素敵な家族の絵(しかもとても上手!)。
ハートがいっぱいで...これに感動しました。
勇気がでますね。
まだ落ち着かない日々を送ってる事と思いますが、
一日でも早く安心して生活できる事を遠い西の果てから祈ってます...

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Unknown (ちらまつ)
2011-03-25 23:18:54
ユネッサンひどいね。姉の転勤前の職場だからちょっといっとくわ( 一一)
ちなみに、あの道の渋滞はいつもひどい。車で帰るときは小田原方面に行かず、一度芦ノ湖まで上がって、箱根新道使ったほうが早いぐらいなんだよ。地震ならなおさらだね。
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Unknown (SportsKite)
2011-03-25 21:56:03
こんばんは。
更新がないので、どうされたのかなと思っていました。旅先での自然災害は心細いですよね。
皆様にご無事なようで何よりです。

自然の驚異といえば、昔テヘランからバグダッドへむかうフライトが50年ぶりくらいの砂嵐のためにいつ飛ぶか分からず、テヘラン空港で8時間足止めを食ったことがありました。ペルシャ語とアラビア語の中での8時間は大きなストレスでした。

自宅付近は震度6で、30キロ離れたつくば市も同じ震度でした。激しい揺れが長く続き経っているのがやっとの状態でした。幸い家中のタンス類、冷蔵庫や食器棚はL字金具や耐震ベルトで固定をしてあったので、動くことはありませんでしたが、耐震扉の食器棚の中では、お気に入りのガラス食器が粉々でした。
本震の後もご近所の方々と表通りに出て揺れの治まるのを待っていました。
ガレージの中の車が上下左右に飛び跳ねるのを見たのは初めてで、とても驚きました。

想像を絶する被害で犠牲になられた方々
のご冥福をお祈りします。
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