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「異教会のこと」2 フランツ・フィンゲル神父

2019-07-31 20:22:53 | プロテスタント
フランツ・フィンゲル神父「異教会のこと」『汝磐なり』山形天主公教会、1926年
2、

 何か大きい争いが起こるときは、争いの爆発の起因とそのもっと深い本当の理由をよくよく区別しなければなりません。そうしなければ、ある問題について大いに誤解して、非常に間違って、判断することを免れないでしょう。ルーテル及びその協力者の行動を見ると、まったくこの通りでありました。

 彼らによって起こされた「宗教革命」の爆発の近因は、「贖宥問題」でありましたが、本当の理由は、すでにルーテルについて話したとおり、信仰と道徳の方面にいろいろのことがあったのであります。

 プロテスタントの起源をよく理解しようとするならば、当時のドイツの事情をよくよく顧みなければなりません。キリスト教に改宗してから、非常に盛んになったドイツ帝国内には、だんだんカトリック教会に対してギリシャ帝国におけるのと同様な現象がいくらかあらわれてきました。宗教革命の発達を悟ろうとするならば、特に次のような事情を見過ごしてはいけません。

 すなわち、当時のドイツは、実に大きい帝国でありましたが、「皇帝」の実際の勢力は、国中にだんだん自分の勢力をますます大きくしようと努力する多くの大名小名のような諸侯のために、ずいぶん制限されました。しかし、ちょうどルーテルの時代には、彼らのうちに、祖国と全国民の真の幸福よりも、己の利己心と野心を満足させようと思った諸侯が割合にたくさんありました。

 そして、ルーテル及び彼の協力者は、なおこのうえに、皇帝に対して、諸侯を扇動しましたから、諸侯は実に武器さえ執って、皇帝に背きましたが、不幸にして外国の後援を受けましたので、ずいぶん成功いたしました。

 これらの事情と関係し、ドイツ民族は、だんだん宗教の方面において2つに分かれて、主に西南地方はカトリック教会に忠実を守りましたが、北部ドイツはたいていプロテスタントになりました。しかし、一心にルーテル及びその一派の人の誤謬を認めて、宗教上の一致に帰るということは、現代のドイツ民族の回復と発達の第一の重大な条件だろうと思います。



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