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公教と新教との教理上の主なる差異

2022-08-19 02:08:34 | プロテスタント
『公教と新教との教理上の主なる差異』ヤコブ・リンデン著 荻原晃訳 東京公教青年会、1921年

1、キリスト信者は何を信ずべきか

【公教(カトリック)】
キリスト信者は、神が聖書と聖伝とをもって教え給うたことを全部信じなければならない。
(注)聖伝とは、使徒等が説教したものであるが、聖書には載せていない天啓の伝えのことである。

【新教(プロテスタント)】
救いを得るには、聖書の中にあることだけを信じれば足りる


【反駁】

1、確かに、神の教えてくださった教えであれば、その中の一つでも信じないというものは、大罪を犯すものであるから救霊を得ることはできない。しかし、確かに神の教えてくださったことでも聖書に書いていないことが色々ある。たとえば、誰でも洗礼を施すことができるなどである。

2、キリストは明らかに聖伝をも信じなければならないことを望み給うた。
それは、使徒達におっしゃったことからわかる。「汝等すべての被造物に福音を宣べよ、、、信ぜざる人は罪に定められん」(マルコ16:15-16)

3、新教徒は、神の御教えはただ聖書によってのみ保存されており、かつ宣伝されることを望み給うたと考える。しかし、もしそうであるなら、どうして使徒等に「すべての国民に福音を書け」とおっしゃらなかったのだろうか。なぜ、キリスト御自身がその御教えを御書きにならなかったか。どうして、すべての使徒が福音を書かないで、ただ2、3人の使徒のみが書いたのだろうか。どうして彼等はそんなに後になってから、まるで何かの機会を得た時に書いたのだろうか。それを手で書いた時代においては、あまりにも高価なもので、到底すべての人が聖書を手にすることが出来なかったのに、どうして神は印刷術を紀元1450年以前に発明するようになさらなかったのか。

4、聖伝によらなければ、いずれの本が聖書に属するか確知することはできない。






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