カトリック情報 Catholics in Japan

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ハイチの枝の主日

2024-03-26 10:04:20 | 教会行事
 ハイチの首都、ポルトープランスのカトリック教会です。ギャングの攻撃で国家が崩壊し、無政府状態の中、多くのカトリック信者が枝の祝日を祝ったようです。
 教皇様も、ハイチでギャングに拉致された人たちの解放を呼びかけておられます。








聖母マリアの御告げの大祝日 Frestum Annuntiationis B. Mariae V.

2024-03-26 06:31:57 | 聖人伝
聖母マリアの御告げの大祝日 Frestum Annuntiationis B. Mariae V.   大祝日 3月 25日



聖マリアの親戚聖エリザベトが懐妊して六月目の事であった。ある日大天使ガブリエルがマリアの許に現れ、「めでたし、恩寵に満てる者よ、主は御身と共に在す。御身は女の中にて祝せられた者であります」と、突然思いがけない祝辞を述べた。そのわけを知らぬマリアは大いに驚き、何事の祝辞かと思い惑っていられると、天使はまた言葉を継ぎ「ご心配には及びません。御身は天主の特別な御恩寵を得られたのであります。御身は懐胎して一子を儲けられるでありましょう。また主なる神はその御子に祖先ダビデの玉座を賜うて、ヤコブの家を限りなく治め、その治世は世々に終わる時がありますまい」と言った。それでマリアも事の次第を始めて悟られたが、彼女は同じダビデ家の裔聖ヨゼフと許嫁の間柄であるものの。まだ一度も同居された事がないのであるから懐胎すべき道理がない。そこで念の為に「私はまだ夫を知らぬ童貞女ですのに、どうして左様な事がございましょう」と訪ねられた。すると天使は答えて「聖霊が御身に臨み給い、最高き者の御能力が御身に働くのであります。されば御身より生まれるべき聖なるものは神の子と称えられるでありましょう・・・」と説明した。ここに於いて一切を豁然と大悟されたマリアは謹んで、「私は主の御召使いであります。仰せの通り私を如何様ともお用下さい」と天主の御摂理に一身を献げる決意を名言「されたが、それと同時に大天使の姿は何れへか消え失せてしまった。以上がルカ聖福音書中に記されている、マリアが天使の御告げを蒙られた有様の大略である。

 人祖が罪を犯して以来断ち切られた天主と人間との関係を再び快復する大任を帯びた救い主は、どうしても天主であり同時に人間であるお方でなければならない。そしてかようなお方は無上の霊なる天主を父とし、人間を母として世に降誕すべきはずであった。だがそのははたる人はいやしくも至聖限りなき天主の御子を宿すのであるから、全く他の被造物に触れられぬ清浄潔白な童貞女で、しかも天主のみを熱愛している方たるを要する。即ちその清さは「近づくべからざる光に住み給う神」(テモテオ前書6-16)の如く神々しくして人のなれるを許さず、ケルビムに護られる「閉じたる園」の如くその霊魂の内に被造物の穢れた足跡を印せしめず、ただ向日葵の花の太陽を慕うが如く天主に向かってのみ無垢の全身全霊を献げる者でなければならなかったのである。

 世界の開闢より終末に至るまで世に現れる人間の数幾千億兆、その中から天主の全知の御眼に映った所用の少女が唯一人あった。天主はその生まれぬ先から無限の愛を之に注がれた。この永劫の昔から永劫の未来に亘って天主の愛、聖寵に充満ちたる者それこそナザレトの少女マリアに他ならなかった。
しかしいかに天主が浄配と選び給うても相手の少女に従う意志がなければいかんとも為し難い。が、聖マリアは四方に「閉じられた園」が天に向かってのみ広く開いている如く、地上の物には心を閉ざしても天主に向かっては前例を開き、日頃から何事も聖旨のままに従う意志があり、且つ今大天使に対してその旨を確言された。かくて聖霊の御作用に救い主なる神人はマリアの御懐胎に宿り、天主悠久の御計画、救世の大事業はめでたく緒に就くに至ったのである。

 童貞女のまま母になられた聖マリアは、今までの純潔な心に、母としての優しい愛情、子のためには己を忘れる妙なる犠牲の精神の、新たに湧くのを覚えられた。そして聖い御子を温かい懐にひしと抱き締め給うては、天主への愛と奉仕に、一層熱情の燃え立つのを感じられたのであった。聖マリアが人類の母、殊に洗礼により新たに生まれ、かたじけなくも主キリストと兄弟の縁に連なった我等信者の母として、種々斡旋されるのも、畢竟はこの天主への愛の延長で「天主を愛するが故にその造られた物をも愛する」超自然的愛によるのである。

 聖母は天主御子を生み給う時には何ら苦しみを感ぜられなかったが、我等を超自然的の子として生み給う時には激しい陣痛に悩まされた。というのは、彼女が我等の母と立てられ給うたのは。最愛の御子イエズスが世の罪を贖うために十字架に磔けられて、聖母の胸も鋭き剣で刺し貫かれるような苦痛を感じられた折りであったからである。即ちその時イエズスは十字架上から御母を顧みて、我等の代表者ヨハネを「これ御身の子なり」と仰せられたが、聖マリアが第二のエワとして人類の母ー滅びの母ではない。永遠の生命の母ーとなり給うたのは、この主の御宣言によるのである

 ああ、きずなく穢れなき童貞、救いの御母、何という神秘的な存在であろう!それにしても人類の救済に、かような清き「永遠の少女にして母なる、完全な女性を用い、人類を滅びに導いたエワの罪を償い、溢れる聖寵の泉とされた天主の御摂理のいみじさには、唯ただ感嘆する他はない。

教訓

 我等も御告げを受けさせられた童貞女マリアの貞潔に倣い、心を清く守ると共に、又一方には聖母の我等に対する超自然的母性愛を頼みとして。天主に執り成しを願い、又その子たるにふさわしく徳の道を進むべきである。















大天使聖ガブリエル St. Gabriel Archangelus

2024-03-26 06:31:50 | 聖人伝
大天使聖ガブリエル St. Gabriel Archangelus               記念日 3月 24日


 救い主イエズス・キリストは弟子達を選び給う時之に向かって「誠にまことに汝等に告ぐ、汝等は天開けて神の使いたちが人の子の上に上り下りするのを見るであろう」(ヨハネ1-51)と仰せになった。主はこの聖言を以て御自分が天使達と親しく交わり給う事を示されたのである。実際聖福音書をひもとけば、天使達が現れて主にお仕えした例が少なからず発見されるが、中でも本日祝う大天使ガブリエルの如きは、最も聖主と深い関係を有し、特別な使命を委ねられた方と言うことが出来よう。ガブリエルはまず聖書にその名を記された三大天使の一位であって、又ラファエルの如く主の御前に立つ七天使の一位でもある。従って彼は天使の九階級中最上の階級に属し、「天主の力」という意味のガブリエルと命名されて救世主に現れた天主の全能を示すべく定められたのであった。

 聖書を調べて見ると、救い主に関連して大天使ガブリエルの世に遣わされた事が三度あった。その最初は旧約時代預言者ダニエルに現れ、「エルサレムを建て直せという命令の出ずるより、メシアたる君の起こるまでに七十週あり(中略)その後にメシアは殺されるであろう(中略)しかして主はその週の半ばに犠牲と供え物とを廃し給うであろう。また神殿は全く毀たれるであろう」(ダニエル9・21-27)と語って救世主御来臨の期その他を告げ知らせたのがそれである。ここにある週とは普通の一週七日を指すのではない。七年を一週としたのである。されば七十週とは490年に当たる。これを事実に徴すればイエズスが降誕されたのは正しくユダヤ人達がバビロニアの捕虜たる運命を免れて、敵軍の為に荒らされたエルサレムの再建を始めた時から490年目の事であった。また一週の半ば、即ち約35歳(正確には33歳)にして聖主が十字架上に尊き御血を流し給い、旧約の犠牲供物を一切廃し、代わりに世の終わりまで続くべき潔き御聖体を献げる御ミサの祭りを創め給うた事も、なおその御死去の三十年後エルサレムに攻め入ったローマの将軍ティトの軍勢の為に神殿が余すところなく破壊された事も、ことごとく預言通りに実現したのである。

 かように大天使ガブリエルはダニエルの預言に依ってユダヤ人達に救い主を迎える心の準備をさせようとしたが、いよいよ預言の時満ちて救い主の御降誕が迫るや、彼は再び天主に遣わされて今度は「主の道を直くする」洗者聖ヨハネの誕生を告げる為にその父ザカリアの許に現れた。この人はユダヤ教の司祭であったが、長い間妻に子がないのを憂えて熱心に祈っていたが更にその効がなかった。所がある日神殿で香を焚こうとして香台の右を見ると、天使の姿が見えたので、驚き恐れていると天使は声をかけ「懼れるなかれザカリア、汝の祈りは聞き入れられた。妻エリザベトは汝に一子を生むであろう。その名をヨハネと名付けるがよい。その誕生は汝にも多くの人々にも大いなる喜びをもたらすであろう。即ち彼は主の御前に偉大にして、葡萄酒と酔う物とを飲まず、母の胎内より既に聖霊に満たされるであろう。またイスラエルの多くの子を主たるその神に帰らしめ、エリアの精神と能力とを以て主の先駆者となるであろう。これ主の為に完全なる人民を備えんとて、先祖の心を子孫に立ち帰らせ、不信者を義人の智識に立ち帰らせん為である。」と言い、不信の罰としてヨハネの誕生までおしとならしめた。かようにして天使に対する不従順は帰する所天主に対する不従順であるという事を示したのである。

 最後にガブリエルが世に遣わされた使命は、彼にとって最も喜ばしくも又光栄なものであった。それは救世主の聖母と選ばれ給うたナザレトの童貞女聖マリアの許に使いした事である。彼は出現するや、清浄潔白いささかの罪の穢れもないマリアを天使に優る天の元后と仰ぎ尊び、まず深くへりくだって「めでたし、恩寵に満てる者よ、主御身と共に在す。御身は女の中にて祝せられた御方でございます」と言った。そしてマリアが何故かように讃美せられるのであろうと驚いて居られるのを見ると、重ねて「懼れるに及びませぬ、御身は天主の御前に恩寵を得られました。御身は懐胎して一子を生まれるでありましょう。その名をイエズスと名付けられるがよろしい。彼は偉大にして最高き者の子と称えられるでありましょう。また主なる神は之にその父ダビデの玉座を賜うてヤコブの家を限りなく治め、その治世は世々に終わるときがないでありましょう」と語りマリアがイスラエルの民に多年待望されて来た救い主の名誉ある聖母と選ばれた事を告げた。それからなおもマリアにその懐胎が童貞を破らずして天主聖霊の全能により成就される事を説明し、彼女が感ずべき謙遜を示して「私は主の御召使いでございます。何事も思し召しのままに」と答えるのを聞くと、彼の使命は全く終わったのであるが、その時のマリアの従順の徳にはガブリエルも三嘆を禁じ得なかったに相違ない。かくてこの大天使は天主の救世の大事業の準備工作を果たしたのであった。

教訓

 大天使ガブリエルが三度も世に使いしてダニエルには救い主御降誕の時期を、ザカリアには主の先駆者ヨハネの誕生を、而してマリアには救い主の母となる事を告げたのは、天主方も救世の大業に深い関心を持ち、同時に又常に救いの玄義に対し我等人間の理解を深めようとしている事を示すものである。とにかく我等は救世の御計画が、いかに広大な天主の御憐れみから生まれたものであるかという事に思いを潜め、一層深い感謝の念を起こすと共に、その御恵みを無にせぬよう、常に偉大なる天使ガブリエルの権威ある代祷を願うがよい。




聖ルドゲーロ司教   St. Ludgerus E.

2024-03-26 06:31:44 | 聖人伝
聖ルドゲーロ司教   St. Ludgerus E.                      記念日 3月 26日


 さしもに栄華を誇ったローマ大帝国も4世紀民族移動の結果敢えなくも滅び去り、退廃を極めたこの老民族に取って代わって欧州の覇権を握ったのは、新興気鋭のフランク民族であった。かくて三百年間ローマ歴代の皇帝に、至らざるなき迫害を蒙ったカトリック教もフランク族には受け容れられて信教の自由を楽しむ事が出来るようになり、まず同民族によってドイツ、イギリス、フランス、オーストリアなどに伝えられた。しかしドイツの西北地方に棲むフリソン人等やサクソン人等はカトリック宣教師を排撃し、なかなか真理の教えに帰依しようとしなかったが、天主の御摂理は不思議なもので、この頑迷極まるフリソン人の中から一人の篤信な司教が現れ、同胞の使徒として目覚ましい活躍をし、ついにその大部分の改宗に成功したが、今日語らんとする聖ルドゲーロこそ即ちその人なのである。

 彼は744年頃生まれた。父の伯爵チアトグリムも伯父も、聖教を奉じた為にフリソン人の王の忌諱に触れ、追放された経歴を持っている位であるから、その敬虔な性質は彼の一族に共通のものであるかも知れぬ。兎に角ルドゲードは幼時より信心深く、殊にベネディクト会の学校に学んでいた頃、ドイツの大使徒聖ボニファチオの風貌に接した時には生涯消えぬ印象と感激とを受け、自分も他日必ずかような信仰の英雄になろうと心に堅く誓う所があったと言われている。

 それから間もなくルドゲーロはイギリスに渡り、長男の権利、即ち父の爵位を受け継ぐ事を断念してひたすら哲学神学の研究に没頭し、助祭に挙げられて英国を去り、オランダで司祭に叙せられた。そしてまず司教に命せられたのは聖ボニファチオ殉教の地(聖人は彼が見た二、三ヶ月後に殉教したのである)ドックムに行って、未信者のフリソン人を改心せしめる事であった。ルドゲーロはその使命に前後七年間懸命に努力した甲斐空しからず、追々洗礼を受けて聖教に帰依する者も出来たので喜んでいる矢先、サクソン人の王ウィヅキンドと共にフリソン人もフランク王国に対して謀反を起こしたため、せっかく現れかけた布教の効果も悲しきや全く水泡に帰してしまったのである。

 しかしルドゲーロは決して失望しなかった。彼はそれも天主の思し召しと諦め、聖ペトロ聖パウロ両大使徒の英霊眠るローマの地へ巡礼し、彼等が布教の千辛萬苦を追想して新たに勇気を得、後聖ベネディクトの創立にかかるモンテ・カッシーノの修道院に行き、心静かに来るべき活動に備えた。

 やがてドイツに帰ったルドゲーロはカロロ大帝からフリソン地方の五州に布教する命令を受けた。前に彼が地の汗を流して営々種を蒔いた聖教は、今こそ見事な実りを見せ、歓喜の中に刈り入れられる事になったのである。その中に数年経つと偶々トリールの司教が逝去したので、カロロ大帝は彼をその後継者に擬したが、謙遜な彼は切に之を辞退し、代わりにサクソン地方にも布教する許可を願った。で、大帝も彼の心を諒とせられ、未だ異教の暗黒に沈淪している西サクソンに彼を派遣された。望み叶ったルドゲードは勇躍任地に赴き、大いなる忍耐を以て土民の教化に当たった。その結果は。さしも頑迷なサクソン人も彼の誠心と謙遜柔和な態度に打たれ、次第に聖教の真理に耳を傾けるようになり、洗礼を願って信者になる者が続出するに至ったのである。

 804年再び司教に推挙された彼は、最早拒む言葉もなく就任を受諾したが、その後も高齢の身を以て不退転の活動を続けている内に、809年3月26日天主のお招きを受けてその御許に帰り、御手ずから光栄ある永福の月桂冠を賜った。
 彼の布教地であったドイツのウエストファーレンやライン地方は、不思議に1200年後の今日でもなお国内の他の地方に比して堅固な揺るぎない信仰を保っているがこれは全くルドゲーロの熱心と篤信の賜物と言って差し支えあるまい。

教訓

 聖ルドゲーロは一度布教に失敗しても、また勇気を新たにして立ち上がった。その不撓不屈の精神こそ、彼が天主への厚い信頼の念と共に、我等の取って模範とすべき美点である。なお我等は彼の如く、事を行うには全力を挙げて当たり、しかも成敗は一切天主の叡慮に委ねて顧みぬ態度を養わねばならぬ。