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もしトランプが当選したら・・・

2024-03-06 15:56:28 | 時事


 今の状況では、トランプが再選する可能性が高そうですが、もし彼が大統領に返り咲いたら、どうなるのでしょうか。

 決してバイデンを支持するわけではないですが、もしトランプが勝った場合には、彼の政治姿勢によって、各所で戦争が起きそうですね。

 トランプは、親イスラエルにして、新モンロー主義者です。軍事・外交政策では、イスラエルの防衛以外にあまり関心を持っていません。ウクライナ支援は打ち切ると言っていますし、台湾支援にも消極的でしょう。NATOも脱退すると言ってますし、同盟国の防衛に概して無関心です。

 よって、彼が米大統領になれば、ウクライナは敗戦するか、不利な条件で講和を強いられるでしょうし、高い確率で台湾侵攻も招くでしょう。また、イスラエルを過剰に支援するために、アラブ諸国の結束と、彼らの中国ロシアへの接近を招くでしょう。

 要するに、ファチマの聖母が予言したような世界が実現するでしょう。そうした世界の実現が、一層近づくことでしょう。

 だからといって、バイデンを支持するわけではありませんが。バイデンが続投しても、別の順序で、別のシナリオで、同じような結果になるのかもしれませんが。

 人間、最も大切なことは、霊魂の準備です。死後は、1億年、10億年、100億年、いえ、永遠に続くのです。いつ死んでも、決して地獄に落ちることがないような生き方をしましょう。殆どの場合、改心は一日ではできません。幸運に臨終告解に与れたとしても、悪いと心から思っていなければ、その告解は無効でしょう。人生の最後の一日で、生き方を大きく変えることは、極めて困難です。聖書の「私は盗人のように・・・」というイエズス様の言葉を思い出しましょう。






8-15-6 ムガルの没落

2024-03-06 09:51:27 | 世界史

挿絵はアウラングゼーブ帝

『アジア専制帝国 世界の歴史8』社会思想社、1974年
15 イスラムとインド
6 ムガルの没落

 ムガル史上最大の領域を実現した六代皇帝は、なかなか気むずかしいイスラム教徒だったらしい。
 いまでも石部金吉(いしべきんきち)流のかたぶつの男を、ときに「オーラングゼーブ」とあだ名するほどである。
 この皇帝の墓は、かれが崇拝していたイスラムの聖者の廟の境内の一隅を仕切って、大理石の墓石を置くにすぎない。しかも、雨ざらしのままである。

 一説によると、この皇帝は、生前から、自分の葬式には十ルピーしか使うな、と部下に命じていたという。
 この、いわば締まり屋の皇帝の治世の後半は、領域の拡大のゆえもあったにせよ、乱れにみだれるという結果をみちびいた。
 各地には反乱がつづいておこり、さしものムガル体制も内部からぐらついてしまったのである。ジャハーンギールやシャージャハーンの治世の、豪華で放漫な政策のひずみが、もはや限界にきてしまった感がある。
 オーラングゼーブの妃の一人の墓が、デカンの都市オーランガーバードの町はずれにある。
 タージ・マハルを模したといわれていて、なるほど似てはいる。
 しかし、その中身は煉瓦づくりで、いまでは外部の装飾もはげ落ち、老醜のわびしさを露呈している。
 帝国の分裂と衰退をおおいかくそうとして及ばなかった、ムガル支配層のみせかけの努力を象徴しているといったら、酷にすぎるであろうか。
 ムガル歴代の皇帝の治世の歴史をみてゆくと、たえず帝位の継承をめぐって、兄弟や子孫の反乱がつづいている。
 アクバルでさえ、王子の反乱のにがい経験を味わわされたのであった。
 ジャハーンギールが、まだサリーム王子と称していたとき、父帝アクバルに対しておこした反乱は、インドでは有名な物語にまでなっている。
 オーラングゼーブが、父帝シャージャハーンをアーグラの王城の一室に幽閉し、そのためこの老帝は、はるか川むこうの愛妃の廟タージを見ながら、七年におよぶ悶悶(もんもん)の月日をおくったということは、これまたインド史上の著名なエピソードの一つである。
 父子や兄弟のあいだに生じた不信感と殺し合い、そういう中世の王権をめぐるエピソードは、世界史に数かぎりなく伝えられている。
 デリーの諸王朝、ムガル帝国、そしてインド各地の諸王国の玄配層や貴族たちの権力争奪の歴史も、そうした挿話(そうわ)には、同じく、こと欠かないといえるのである。


聖コレタ修道院長    St. Coletta V.  

2024-03-06 09:04:24 | 聖人伝
聖コレタ修道院長    St. Coletta V.                        記念日 3月 6日


 老年まで子供を恵まれなかった夫婦が、熱心に祈った結果、首尾よく子宝を得たという話は、聖書にも幾つか記されているが、聖女コレタの両親もその通りで、長い間の念願が遂に叶って一人の女の子を産んだのは、母が60歳の時の事であった。そのコレタという名は、ニコレッタ、即ち「小さいニコレア」の略称で、常々聖ニコラオを一方ならず尊敬していた親達が、同聖人にあやかれとわざわざ愛児につけたものである。

 彼女の父は大工で、家はフランスのコルビーにあった。コレタは祈りの結果出来た子である為か、幼い時から祈りが大好きであった。そして祈りを好んでよくこれをなす霊魂には、必ず従順、貞潔、謙遜、隣人愛などの諸徳が現れて来るもので彼女の場合もそうであった。その上コレタは花のような艶麗な器量を備えていた。しかしそれがしばしば罪の便りになる事もあると知っていた彼女は、心配して天主に御保護を願い、間もなくまるで別人のように青白い沈んだ容貌の子になった。それからの彼女は、一見尊敬の念は呼び起こしても、慣れ親しむ事は許さぬような印象を他人に与えたのである。

 彼女はまだ小さい内に両親を失った。その後は後見人もいたが、彼女はその許可を得て財産を貧民に分かち与え、静かな隠遁生活に入り、なお間もなくフランシスコ第三会にも入会した。18歳の時の事である、ある日彼女が祈りにふけっているとイエズスが現れ給うた。主は人間が罪を犯すことをいたく悲しんでおいでのようであった。すると又聖フランシスコが現れて、主に向かいコレタに罪人の為の償いと聖クララの修道会の革新とをさせてはどうでしょうかと申し上げた。すると主はそれに快く同意された・・・・。
 しかしコレタは之を自分の妄想ではないかと疑い、一層熱心に祈りと苦行に努めた。所がまたもクララ会を革新せよと命ぜられた。それでもまだ躊躇していると、今度は目が見えず、口も利けなくなり、もしこの命令に従わなければ決して救霊は得られぬであろうという御啓示を蒙った。ここに於いて彼女もクララ会の革新が天主の思し召しであることを悟ったが、さて自分にその大任を果たす力があるかと思うと危惧せずにはいられない。けれども天主は御自分の御業を成就する為、しばしば弱い人間を用い、親しくこれを導き給う事がある。今のコレタの場合もそうであった。その上幸いにも極めて信心深い、経験にも富んでいる一司祭が援助してくれる事になった。
 そこでコレタは隠棲の場所を去ってローマに行き、教皇に謁見して、クララ会の戒律を、聖フランシスコが書かれたままの厳格さで守る誓願を立て、又それに依って同会を革新する許可を願った。教皇は精細な調査の後、その願いを容れ、彼女をその革新、或いは設立せんとする総ての修道院長に任命された。
 教皇の援助を受けたコレタは、フランスに帰ってその各地を旅行し、そこここに修道院を建てた。間もなく敬虔な少女達はこの甚だ厳格な修道院に入るため四方から集まってくるようになった。
 聖コレタの生涯には時々奇跡が起こった。しかしその中でも最も不思議なのは、何の財産もない彼女が幾多の修道院を建て、かつ又その修道女になった多数の少女達が、皆聖コレタの精神に活きて、厳しい苦行の生活を送り、しかもどうにか生計が立って行ったという事実である。もちろん彼女とその事業に反対した人々もない訳ではなかったが、かような妨害は如何なる善き事業にもつきものである。天主はそれを試練として許し給うので、為にかえってその事業は益々強固になり、いよいよ光輝を放つに至るのである。

 コレタはあらゆる徳において修道女達の鑑であった。彼女は院長ではあったが自分では他人の目下の如く考え、最も賤しい仕事も喜んで為し、人の用はいくらでもしてやるが、自分の用は決して人にさせようとはしなかった。また謙遜なその心は、人に善い物を譲って自分は悪い物をとる所にも現れている。彼女は一番小さい部屋に住み、一番粗末な道具を用い、一番みすぼらしい服を着けた。長年同じ服ばかり着ていて、破れると繕い、破れると繕いしたため、最後には最初の服地が全くなくなったという逸話さえある。更に彼女が病人をいたわる情の細やかさは、生みの母親が子供の為につくす愛にも優るばかりであったという。

 修道院に生活すること四十年、彼女にも最後の日が近づいて来た。彼女はその日をあらかじめ知っていたので、暫く前にベルギーのゲントにある自分の建てた修道院に行き、1447年2月、院内の修道女達をことごとく集めて最後のいましめを与え、3月6日を一期として帰天した。

 聖コレタの設立した修道院は17カ所で、彼女の精神を遵奉して祈りの生活を行う。今はその他の国にも多く出来ているが、大抵は同じクララ会の中でも最も貧しい修道院で、その祈りは救霊の為に貢献する所すこぶる多い。


教訓

 コレタの如くいつも天主の聖旨を果たすように心がけねばならぬ。天主は決して不可能な事は望ませ給わぬ。時には一見難しいように思われる事もあろうが、その場合にはそれ相応の豊かな聖寵を必ず与え給うのである。