カトリック情報 Catholics in Japan

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

教皇「ウクライナは白旗をあげるべき」(日本経済新聞)

2024-03-11 12:25:44 | 時事
 教皇フランシスコは、「ウクライナは敗北を認め、白旗をあげて、講和する勇気を持つように」と仰いました。いつものように、その後、バチカンの報道官が弁解に追われていますが・・・。
 今までの例からしても、報道された教皇様の発言の目立つ部分こそが教皇様の真意であり、報道官の弁解は、それを取り繕う、取ってつけたものだと理解しなければいけません。
 教皇様の発言中には、ウクライナの敗北や白旗という字句が並んでおり、少なくともこれは両国対等の和平提案でないことがわかります。

【ウィーン=田中孝幸】ローマ教皇フランシスコが2月に収録されたスイスのテレビ局のインタビューで、ロシアの侵攻を受けるウクライナに戦闘での敗北を認め、和平交渉を始めるよう促したことが明らかになった。侵略行為に融和的と受け取られかねない発言で、波紋を広げそうだ。
ロイター通信が9日、20日に放映予定のインタビューの一部を報じた。教皇はウクライナ侵攻に関し「最も強いのは、状況を見つめて国民のことを考え、白旗の勇気を持って交渉する人だ」と言明した。
「敗北し物事がうまくいっていないとわかったとき、交渉する勇気を持つべきだ」とも強調。「事態がさらに悪化する前に、交渉することを恥じてはいけない」とも語り、大国に調停を求めるよう促した。自らが和平に向けた仲介役になることへの意欲も示した。
2年にわたる侵攻で拡大し続ける民間人の犠牲に心を痛めた末の発言とみられるが、侵略国に融和的だとの批判が広がっている。ローマ教皇庁(バチカン)の報道官は声明で、インタビュー中の「白旗」という言葉について「敵対行為の停止と勇気ある交渉で達成された停戦」を示すために使われたと説明した。

ローマ教皇 フランシスコ 「事態が悪化する前に交渉することを恥じる必要はない」 ローマ教皇フランシスコはメディアとのインタビューで、ロシアに侵攻を受けているウクライナについて『白旗をあげる勇気』を持ち、交渉による停戦を目指すべきだ」と述べました。 また、「自らが敗北し、物事が上手くいかないと分かった時は、交渉する勇気を持たなければならない」と強調。 ロイター通信は「教皇がウクライナをめぐり『白旗』や『敗北』という表現を使うのは初めてとみられる」と伝えています。

ローマ教皇フランシスコは、ロシアの軍事侵攻を受けるウクライナについて、「白旗を揚げる勇気を持っている者が最も強い」と述べ、交渉による停戦を促した。
9日に公開されたスイスメディアへのインタビューに答えたもので、教皇は「状況を見つめ、国民のことを考え、白旗を揚げる勇気、交渉する勇気を持っている者が最も強い」と発言した。
また、「敗北して、物事がうまくいかないとき、交渉する勇気を持たなければならない」と強調し、「さらに多くの死者が出て、ひどい結末を迎える前に、交渉することを恥じてはならない」と述べた。
ウクライナのゼレンスキー大統領が、これまでに停戦交渉に否定的な立場を示し、欧米諸国が追加の軍事支援を表明する中、教皇の発言は波紋を広げるとみられる。

 



ボローニャの聖カタリナ修道女  St. Catharina de Bologna Virgo

2024-03-11 00:00:05 | 聖人伝
ボローニャの聖カタリナ修道女  St. Catharina de Bologna Virgo     記念日 3月 11日


 聖女コレタ(記念日3月6日)がフランスにその高徳を謳われていた頃、イタリアにも同じく聖徳に秀でていた一女性があった。それは聖クララの跡を踏む修道女、聖カタリナである。

 彼女は1413年9月8日聖マリア御誕生の祝日に呱々の声を挙げた。父母は共に貴族の家柄で、学徳並び備わった人々であった。さればその血を承けたカタリナが早くから才知の鋭い閃きと善徳への強い傾向を示したのも敢えて不思議ではない。9歳の時彼女はフェララ候の懇望に従いその城中におくられ、候の息女エリザベトと共に教育されることになった。この二少女は仲も良く互いにふさわしい相手であったが、わけてもカタリナの信心の深さと知識の進歩の速やかさはあらゆる人々を驚かせずにはいなかった。
 彼女は間もなくラテン語に熟達し、あの難しい言葉を読むにも語るにも書くにも誤ることがなかった。そしてその筆跡も今なお残っているが、それは極めて美しい書体である。彼女が最も愛読した書物は教会博士その他諸聖人の著書であった。なおカタリナは手芸にもすぐれた腕前を示し、美術にも堪能で、殊に絵画の方面に立派な作品を残している。

 カタリナがフェララ城に来てから早くも三年は過ぎた。するとその頃友のエリザベトはリミニの王子と許嫁の縁を結び、カタリナはまた父を失って母の許に帰る事になり、二人は互いに別れねばならなくなった。エリザベトはその時後日友が再び彼女の傍に戻り来る事を望んだが、カタリナはそれを謝絶した。それは天主に身を献げようという聖い志を胸に秘めていたからである。
 それ故彼女はまた申し込まれる縁談をことごとく断った。母は一切を彼女の気ままに任せてくれた。で、彼女は素志の貫徹に些かの顧慮する所もなく邁進する事が出来たのであった。

 ちょうどその頃フェララの町にルチア・マスケロニという婦人があったが、この人は在俗のまま数人の同志と共に修道女の如く敬虔に、祈りと労働との生活を送り、町中の人々に良い感化を及ぼすこと僅少ではなかった。さればカタリナもこの人の徳を慕ってその姉妹の中に加わり、一層天主と友なる生活の喜びに浸る身となった。しかしその幸福も長くは続かなかった。というのは間もなく様々の試みが彼女の上に降りかかって来たからである。
 まず彼女は孤独への憧れを感ずる事が日一日と強くなって、共同生活が苦痛になり、いっそ同志の人々と袂を分かとうかとまで思った。しかし彼女は熱心に聖霊の御光を願った結果、依然そこに留まるのが最良の途である事を悟ったのである。
 第二の試練は悪魔の激しい誘惑であった。彼女は時々それに抵抗する気力すら失いかけた。この悩みが過ぎ去ると、今度は霊肉の他の苦悩が始まって、彼女は聖教を疑う心さえ起こすに至った。けれどもカタリナは天主の聖寵に縋ってすべての試練に打ち勝った。あまつさえ自分一生の罪と欠点とをことごとく許された事を天主から示されて深い慰めを受けた。彼女はこれらの悩みの時に幾多の貴重な経験を体得した。そして他の人々の参考にもと、それを録した一小冊子を著した。

 謙遜な彼女は自分では少しも気づかなかったが、世人はその敬虔に感じて彼女に多大の尊敬を献げていた。中にもヴェルデ候の奥方は彼女及び彼女の同志を讃仰するあまり、聖クララの戒律による一修道院を建てて彼女等に与えた。カタリナは身に余る幸福を感じ、賤しい仕事も天主の為と(彼女はいつもそう言っていた)、深い喜びを以て果たすのであった。
 彼女等の麗しい信仰生活、わけてもカタリナの聖なる模範は、世の若い女性を感動させずにはいなかった。かくてその修道院に入る事を望む者が多くなった時、カタリナはその修練長の職に挙げられた。彼女は従順の誓願に従ってその任務を引き受けた。そして日頃愛読してきた聖書や教会博士達の著書の該博な知識を傾けて修練者達を教え、またおのが立派な日々の行いの鑑をもって彼等を導いた。

 その頃彼女は天主から特別のお恵みを授かる光栄に浴した。その一は救い主の御苦しみを、その御霊魂の御悩みは勿論、御肉体の御苦痛さえ深く理解し、且つある程度まで如実にこれを感じた事であり、その二は1445年のクリスマスの夜に、聖母マリアが御出現になって、聖き御子を彼女の腕に抱かしめ給うた事であった。
 1451年同修道院の院長が死ぬと、姉妹達はいずれもカタリナがその後を継ぐ事を望んだ。しかしあくまで謙譲な彼女は自分がその任にあらざる旨を強調し、一同の賛同を得て、同じクララ会に属するマンツァ修道院から適当な修女を招いてこれを院長に推戴した。が、間もなく姉妹達の増加から、教皇の許可の下に、他にも修道院を設ける事になり、まずボローニャに一修道院が出来ると、今度は聖会長上からの命令で、カタリナも辞退するに言葉なくその院長に就任した。
 当時ボローニャ市民は二三の党派に分かれ、互いに抗争を事としていたが、カタリナはその為に祈って遂に和解せしめた。彼女は自分の修道院を「御聖体の貧しきクララ修道女院」と名づけ、及ぶ限り御聖体の御前で祈り、時には徹夜して祈り明かす事も珍しくなかった。そして姉妹達が戒律をよく守り、又相睦み相愛するように留意し、母親が生みの我が子を慈しむにも優る愛情を以て彼女達に臨んだ。殊に病める者弱き者に対しては、その思いやりと心遣いも一入であった。カタリナは常に修道院内にあって一歩も門外に出なかったが、その聖徳と祈りの力で世人の為、わけても罪人の為、益をもたらした事は決して少なくなかった。
 1463年2月25日、死期の近きを知った彼女は、姉妹一同を集めて最後の訓戒を与えた。その後体力は次第に衰えるばかりで、3月8日至聖御聖体を天使のような敬虔な態度で拝領すると、懐かしさに得耐えぬ如くイエズスの御名を三度繰り返したまま、安らかに永眠した。享年49歳と7ヶ月。

教訓

 聖女カタリナは長い間つらい試練に逢ったが、七つの武器を以て悪戦苦闘し遂に最後の勝利を得た。その武器とは彼女自身ある書の中に記している如く(一)勤勉に労働し(二)己を恃まず(三)天主のみに信頼し(四)しばしばキリストの御生涯を黙想し(五)その御死去を考え(六)天国を思い(七)聖書を熟読する事がそれである。