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キリストの御養父 聖ヨゼフ St. Joseph, sponsus B. Mariae V

2024-03-19 00:04:32 | 聖人伝
キリストの御養父 聖ヨゼフ St. Joseph, sponsus B. Mariae V.       祭日 3月 19日



 世には、他の草葉の間や木陰などに隠れて人目にはつかぬものの、奥ゆかしい芳香をあたりに漂わせ、日足の高くなるままに益々その匂いを強めて、ついには付近の大気全体を馥郁と薫らしめるような花があるが、聖ヨゼフもそういう花の一つに喩えるべき方であった。

 彼は人も知る如く、救い主の御養父であり天主の御母の保護者であるが、彼について福音書中に記された所は甚だ少ない。そして世人も謙遜な聖人の生前には別に注意を払わなかったが、ただその黙々と積まれた聖徳の光は、いつまでも埋もれてはいず、殊にイエズス・キリストによって福音が伝播せられるにつれ、その御養父の徳も次第に世に知れ渡り、衆人の讃仰を集めるにいたったのである。

 聖ヨゼフはダビデ王家の末でであった。しかし彼の代には昔の栄華も夢と過ぎ、家貧しく、習い覚えた大工の手業をたよりに、その日その日を送らねばならぬ境涯であった。が、彼は貞潔にして謙遜、しかも熱烈な信仰と天主への限りない信頼を持って居られたから、天主は聖母子を託すべきはこの人をおいて他にないと思し召され、賢慮測り難い御摂理を以て彼を聖マリアと許嫁の間柄にし給うたのである。ここに奇とすべきはマリアもまたヨゼフと同じく聖王ダビデの血統を承け、均しく現世の宝に恵まれぬ方であった事である。しかし彼女は聖徳に於いては後にも先にもたぐいないほど恵まれて居られた。されば天主は彼女を聖子の聖母と選ばれ、大天使ガブリエルを遣わしてその旨を彼女に告げしめ給うたが、その事は既に人のよく知る所であるから此処には詳説を避けよう。とにかくそれから間もなく聖霊の不思議御作用により、天主聖子は肉となり、マリアの胎内に宿らせ給うたのであった。
 当時マリアはまだヨゼフと同居されず、唯時々ナザレトの町でお逢いになるばかりであったから、その御懐妊が知れると、事情をわきまえぬヨゼフの驚愕と心痛は一通りではない。彼は殆ど如何なる処置を取るべきか途方に暮れられた。ユダヤ教の律法に従えば不義をした婦人は石殺しその他の極刑に処すべき事になっている。けれども聖書を見ればちょうどこの場合のヨゼフに対し「義人」という言葉が用いてあって、彼はマリアの清浄潔白を信じ、敢えて訴え出ずる事なく、唯ひそかに婚約を解き彼女を再び自由の身にしようと決心されたとある。
 が、かようにヨゼフが思案にくれて居られる時であった。夢に一位の天使が現れ彼に「ダビデの裔ヨゼフよ、マリアとの結婚を避けるには及ばぬ。マリアの懐胎したのは聖霊の御力によるのである。聖子が生まれ給うたらその聖名をイエズスと名付けるがよい。それは世の人をその罪より救い給うからである」と告げた。ここに於いてヨゼフ野疑いは全く解け、言いようのない喜びがその胸にみなぎったのである。
 ああ天主よりその御使いを遣わされて玄妙な御摂理の程を告げられるさえあるに、かしこくも天主聖子、世の救い主を義理の我が子として之に名づけ、父の権利を行う事を許されるとは、何という光栄であろう!実に永劫の昔から永劫の未来に至るまで絶対にその例を見ない特権であり名誉ではないか。・・・
 ヨゼフは御告げに従ってマリアを妻として迎え、相共に童貞を守る聖い生活を始められた。その聖家庭については二、三の出来事しか聖書に記してない。それによれば何人の家庭に於いてもそうであるように、聖家族にも時に喜びがあり、時に悲しみがあった。しかし何れの場合にも家長たる聖ヨゼフの高徳は明らかに現れているのである。
 同居されて間もなく、時の皇帝アウグストゥスの布告により、戸籍調べが行われ、人々は皆自分の本籍地に出頭せねばならぬ事になった。ヨゼフもマリアもその本籍地は共にベトレヘムである。で、彼等はナザレトを後にはるばるとベトレヘムへ旅立たれた。
 時は冬なり、途中の難儀不自由はいうばかりなく、五、六日を費やしてやっと目指す町に着いて見れば今度は宿がない。やむなく厩に一夜を明かしたが、その間に聖子の御誕生があり、聖ヨゼフとしては天主より保護の大任を委ねられたお二人の為に、もっと良い場所を見いだし得なかった事がどれほど心苦しかったか解らない。けれども彼は何事もただじっと耐え忍んだ。その内にその犠牲に対する報酬の如く、喜ばしい事が次々に起こった。即ち天使の讃美歌、羊飼いの参拝、東国三博士の来朝がそれである。これらは勿論彼に対してではなく天主聖子に対しての尊敬であった。しかし常に天主の御光栄を望まれるヨゼフにはそれが自分の事のように嬉しかったのである。
 が、間もなく聖母の御胸が七本の剣で刺し貫かれるような悲しみの時が来た。それはヨゼフにも苦しい試練の時であった。というのはある晩またも天使が天主より遣わされて、彼に「起きて御子と聖母を伴いエジプトに逃れ、再び告げるまでそこに留まれ。ヘロデが御子を殺そうと探し求めているからである」と語った事である。これは言葉少ない命令であるが、意味は極めて重大である。ベトレヘムから幾週間もかかる遠いエジプトへ、しかも何の準備もなく、その夜更けに即刻出発せねばならぬとは何というつらい事であろう。その上途中には危険極まる砂漠があるのである・・・。そしてようやく辿り着いたとしてそのエジプトはどんな所かと言えば、人種も違い言語風俗も全く異なっているのである。自分は一体何処に職を求め、如何にして聖家族を養ったらよいのだろう?こういう多くの心細い考えは恐らくヨゼフの胸中を去来したに相違ない。しかし彼は我が心配の一切をさしおいて天主の御命令に従われたのであった。
 エジプトの於ける滞在がどれほどであったかは知られていないがいずれにしても二、三年位の所であろう。かくて突然また夢枕に立った主の使いの口から「ヘロデは既にこの世を去った。今は早くイスラエルの地に帰るがよい」との言葉を聞き、ヨゼフは再び聖母子を守って故郷に帰られたのである。
 本当を言えば彼の考えではベトレヘムを永住の地としたかった。何となればそこはまず聖子御降誕の聖地である上に、神殿のあるエルサレムからも程遠からず、且つその大都市に近い関係上、一小村に過ぎぬナザレトにいるよりも自分の仕事も多かろうと思われたからである。しかし聖子の御生命を縮めようとしたヘロデの息子が、なおユダヤを治めているのを見れば、躊躇せぬ訳にはいかなかった。それに天からの御啓示もあったので、彼は今度もやはり深い信頼を以てそれに従い、ガレリアに戻り、住み慣れたナザレトで生活を続ける事にされたのであった。

 ヨゼフの信仰はもう一度試みられた。それは聖母と十二歳のイエズスをお連れしてエルサレム神殿に参詣のおり、ふと聖子を見失い、名状し難い不安と焦燥の中に三日間探しまわわれた事である、がそれだけに又、遂に神殿でイエズスが大勢の律法学士の中に立ち、堂々と論を闘わせて居られるのを発見した時の彼等の喜びは大きかった。かくて聖家族は再びナザレトに帰られたがその後のイエズスの青少年時代の私生活に就いては聖書に唯「彼等に従い居給えり」とあるばかりである。思うにイエズスは世の人の子の鑑になるほど御両親に孝行をつくし、よくその手助けをされたに相違ない。イエズスが公生活に入って福音をのべ伝え給う前聖ヨゼフは安らかに永眠された。けれども天主の聖母と天主にして総ての人の審判者なるイエズス御自身に看取られてこの世を去られたその臨終は、他の如何なる聖人にも見る事の出来ない恵まれたものであった。定めし主はその時御養父ヨゼフに「忠実なりし者よ、主の僕の喜びに入れ!」と力強い慰めの言葉を仰せられた事であろう。

 ああ、ヨゼフよ我等の為善終の聖寵を天主に請い求め給え!


教訓

 生涯如何なる事に遭遇しても信仰と天主への信頼を失ってはならぬ。天主の思し召しなくしては何事も起こるものではない。されば我等は聖ヨゼフの徳に倣い、彼に尊敬の誠を致し、臨終の時我等の為助けを与えられるように祈ろう。