「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No182 ★ 全人代閉幕、垣間見えた権力闘争の「履歴」と新たな「萌芽」ー 東アジア「深層取材ノート」(第227回)

2024年03月14日 | 日記

JBpress (近藤 大介)

2024年3月13日

習近平国家主席(写真:ロイター/アフロ)

シャンシャン全人代

 3月11日午後3時(日本時間午後4時)、中国の国会にあたる全国人民代表大会は、最後の日程である閉幕式を迎えた。壇上中央に無表情で鎮座する習近平主席以下、最高幹部たちをテレビカメラが順に映す中、司会進行役の趙楽際・全国人民代表大会常務委員長(国会議長)が、ひどく訛った中国語で宣言した。

「会議に出席すべき代表(国会議員)は2956人、出席は2900人、欠席は56人。出席人数は法定人数を満たしています。よって閉幕式を始めます……」

全人代の閉幕式を主宰した趙楽際・全国人民代表大会常務委員長(写真:新華社/アフロ)

 閉幕式では、以下の決議を行った。政府活動報告、改正国務院組織法、2023年国民経済・社会発展計画執行状況及び2024年国民経済・社会発展計画、2023年中央・地方予算執行状況及び2024年中央・地方予算、全国人民代表大会常務委員会活動報告、最高人民法院活動報告、最高人民検察院活動報告。

 現在では、決議はすべて机上のボタンで、「賛成」を押すだけだ。壇上中央の習近平主席に傅(かしず)いている代表たちは、まるで「反対」「棄権」のボタンなど存在していないかのように、粛々と「賛成」ボタンを押していった。

そのたびに趙楽際委員長(第14期全国人民代表大会第2回会議主席団常務主席・執行主席)が、「案件は議決されました」と宣言する。そして上記のすべてが議決された後、短いスピーチを行った。

「われわれは習近平同志を核心とする党中央の堅強な指導のもと、習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導を堅持し、同心同徳、凝心聚力、団結奮闘で、中国式現代化を確固として推進していく。(中略)われわれは習近平同志を核心とする党中央の周囲に、さらに緊密に団結し、万衆一心、拼搏奮進で、中国式現代化を全面的に推進して強国建設と民族復興の偉業のため、たゆまず奮闘していく」

 最後は全員が起立して「義勇軍行進曲」(国歌)を斉唱し、趙楽際委員長が「これにて円満に閉幕!」と宣言。午後3時31分(日本時間午後4時31分)に、全国人民代表大会はシャンシャンと終了した。

首相の権限縮小を印象付けた全人代

 CCTV(中国中央広播電視総台)のカメラが、スタジオに移り変わった。そこでは、アナウンサーや解説者たちが、「何と感動的で意義深い全国人民代表大会だったことか」と、滔々(とうとう)と述べ合った。

 最後はアナウンサーが、「『聴党話、跟党走』(ティンダンホア ゲンダンゾウ)を印象づけた全国人民代表大会でした」と総括した。「聴党話、跟党走」は、「党(習近平共産党総書記)の話を聴き、党(同左)とともに歩む」という意味だ。

 本来なら全国人民代表大会は、国務院総理である李強首相が、一年に一度だけ「主役」となるイベントなのだが、初日の「政府活動報告」(李強首相のスピーチ)は、わずか50分に短縮。最終日の年に一度の記者会見に至っては、「廃止」の憂き目に遭った。

 その上、今回の全国人民代表大会で決議した最重要の法案は、国務院組織法の改正だった。これは、中央政府(中央官庁)である国務院(李強首相)を、共産党中央委員会(習近平総書記)の傘下に事実上、落とし込む法律だ。

3月11日、北京の人民大会堂で行われた全国人民代表大会(全人代)閉幕式で拍手する習近平国家主席と李強首相(写真:ロイター/アフロ)

 日本で言うなら、首相官邸や霞が関の官庁をすべて、自民党本部の傘下に置くようなものだ。そうなると名実ともに、国家公務員は主に習近平総書記の顔色だけを見て仕事をすることになる。

もなや国内に諫言する者なし、増えるはイエスマンばかり

 要は、習近平主席・総書記のパワーを強化するための全国人民代表大会だったのだ。思えば、2012年11月に総書記に就任して以降、習近平総書記は、一歩一歩着実に、自らの権力を拡大してきた。おそらく本人としては、命懸けの権力闘争によって、権力拡大を勝ち取ってきたという自負があるに違いない。

 その結果、2022年10月の第20回共産党大会と、2023年3月の全国人民代表大会を経て、強大な権力を掌握するに至った。もはや中国国内には、何人たりとも習近平主席・総書記に逆らったり、異を唱えたりすることはなくなった。もし気に入らなければ、許されるのは「黙する」ことまでだ。

 逆に、まるで灯りの周りに蛾が群がるように、習近平主席・総書記の周囲には、阿諛追従(あゆついしょう)の輩(やから)が蝟集(いしゅう)するようになった。政治も経済も外交も軍事も文化も、すべての分野で、いわゆる「イエスマン」たちが唯々諾々と取り計らうようになった。中国はいまや「金太郎飴」の状態で、どこを噛んでも「習近平の顔」が出てきて、「習近平の味」だけがする。

 そのようにして3期目の習近平政権が発足して一年を経た今回の全国人民代表大会を見ていて、「二つの萌芽」を感じた。

過去の政権に例を見ないほどの「一糸乱れぬ堅固さ」

 一つは、「固くて脆(もろ)い」という特質である。超楽際委員長が述べたように、現在の中国の体制は、「習近平同志を核心とする党中央の周囲に緊密に団結」している。そのため、非常に堅固な体制となっている。その固さたるや、前任の胡錦濤政権や、前々任の江沢民政権の比ではない。まさに、世界に比較するなら北朝鮮に見られるような「一糸乱れぬ堅固さ」を誇っている。

 だが、これは言うまでもないことだが、習近平主席は「神様」でも「スーパーマン」でもない。すでに古希を迎え、日本の会社組織なら10年前に定年退職しているはずの高齢者である。

 そうであれば、世の中がこれだけ複雑化、情報化、スピード化している中で、すべての事象に対して、ただ一人の力で常に迅速かつ的確に対応ができるものではない。生身の人間として、時には指示が遅れるだろうし、ミスも起こして当然だ。

 だが部下たちは、習近平主席・総書記の指示や判断を、「絶対的」なものとして盲従するだけだ。そのため政治システム上、「脆い」一面が出てきてしまうのである。悪化する中国経済への対処法などに、すでにそうした「萌芽」を感じる。

反習近平派」も「非習近平派」もいなくなった

 もう一つの「萌芽」は、「中南海」(北京の最高幹部の職住地)で巻き起こる新たな権力闘争である。

 2012年11月に開かれた第18回共産党大会で習近平総書記が誕生した頃、ざっくり言うと「中南海」には3つの勢力が存在した。習近平総書記に付き従う「親習近平派」、反抗する「反習近平派」、そして様子見する「非習近平派」である。会議の採決で言えば、「賛成票」「反対票」「棄権票」のようなものだ。

 2017年10月に第19回共産党大会が閉幕した時、「反習近平派」は、ほぼほぼ一掃されていた。習近平総書記は、就任から5年の「第1次権力闘争」に勝利したのだ。

 続いて、2022年10月に第20回共産党大会が閉幕した時、「非習近平派」も、ほぼほぼ一掃されていた。習総書記は、「第2次権力闘争」にも勝利して、異例の3期目を決めた。

 こうして、「中南海」は「親習近平派」ばかりになった。だがそれで、権力闘争の火が消えたかと言えば、そんなことはなかった。今度は「お仲間」同士で、激烈な権力闘争が始まったのだ。敗れた秦剛外相や李尚福国防相らは、3期目の習政権発足からわずか数カ月で、表舞台から放逐されてしまった。

 今回の全国人民代表大会でも、そうした「新たな権力闘争の萌芽」を感じた。例えば、ゴリゴリの「親習近平派」であるはずの李強首相は、なぜあれほど冷遇されたのか? 閉幕日の恒例の首相記者会見を、李強首相が自ら拒否したとは、到底思えない。初日に「政府活動報告」を行った時も、李強首相の表情は、いつになく暗かった。

 ともあれ、この「二つの萌芽」により、今後の習近平政権が、百パーセント盤石で順風満帆にいくとは限らないのではないかと、一抹の不安を覚えるのである。かつ、今年11月には、中国が恐れる「トランプ復活」も視野に入ってきている。

 来年3月の全国人民代表大会は、果たしてどんな形になっているだろうか?

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