東洋経済オンライン (浦上 早苗 : 経済ジャーナリスト)
2024年7月11日
渋谷にあるHelen’s barの店内。東南アジアや中国の少数民族風のインテリアが並ぶ(写真:筆者撮影)
6月中旬、とあるダイニングバーが渋谷にオープンした。薄暗い店内に大音量の音楽が響くこの店は、普通に飲み食いしているとなかなか気づかないが、実は中国で約500店舗を展開する「Helen’s bar(海倫司小酒館)」の日本1号店だ。在日中国人だけでなく若い日本人もターゲットにし、日本で50店舗の出店を目指している。
東南アジアや中国少数民族風のインテリア
JR渋谷駅から歩くこと10分。円山町のホテル街近くに建つビルの2階にさん然と輝くネオンの看板を見つけた。
ネオンにきらめくHelen’s barの看板(写真:筆者撮影)
お店の名前は「Helen’s bar」。東南アジアや中国の少数民族の文化をイメージしたインテリアが特徴的な店内には133席が用意され、外から見た印象よりもかなり広い。
テーブルに貼られたQRコードをスマートフォンで読み込むと表示されるメニューには、サーバーに入った3リットルの「アサヒビール」(4950円)、バドワイザーの瓶ビール(680円)から山崎(ボトル3万1680円)、ドンペリニヨン(同6万6000円)といった高級酒までそろっている(※それぞれ税込み)。フライドポテト、から揚げ、ピザなど定番のおつまみもある。
スマホから3リットルのビールを注文し手酌で飲んでいると、スタッフとやり取りすることはほとんどない。大音量の音楽に遮られ、ほかの客の話し声は聞こえない。
定番のおつまみの数々※店内が暗かったため、明るさ調整をしています(写真:筆者撮影)
ネオンに釣られてふらっと入ったとしても、客やスタッフのほとんどが中国籍であるのはもちろん、中国企業が運営していることはすぐにはわからないだろう。
Helen’s barの店内。連日中国人客でにぎわう(写真:筆者撮影)
6月14日のオープン以来、中国のSNSなどで知った中国人客で連日満席だという。18日に店を訪れた筆者を出迎えた店長は「日本人のお客様も数組いらっしゃるので、どのように当店を知ったのか、帰り際に聞こうと思っています」と話してくれた。
ラオスで日本風カフェバーを出店
中国メディアによるとHelen’s barの創業者は軍の元偵察兵で、退役後に中国の観光地で外国人旅行者相手のバーを始めたのがこの業界に入るきっかけとなった。
2005年にラオスで「Sakura Cafe Bar」という名の日本風カフェバーを出店。北京にも同じ名前のバーを出したが、金融危機で閉店し、2009年に北京でHelen’s barを開業した。
当初は外国人留学生を主な客としていたが、徐々に中国人の若者にターゲットを移し、店舗を増やしながら「夜のスターバックス」というイメージを浸透させ、業界最大手に成長した。
Helen’s barのコンセプトはハッキリとしている。同社の客の73.1%が24歳以下で、若者向けだ。人気の秘密はアルコール飲料の安さで、同社はビールを自社生産するし、他社の半額程度の1本10元(約220円)以下で提供する。
大学生をメインターゲットにしているので、大学周辺への出店を進め、テナント料の高い繁華街や一等地に出店する必要は少ない。503店舗(2024年3月19日時点)のうち北京、上海、深圳、広州の一級都市の店舗が39店(同)にとどまるのも、家賃や人件費を抑えるためだという。
Helen’s barにとってコロナ禍は未曽有の試練だった。2020年末から2021年末までの1年間で店舗を431店舗増やし、2022年には859店を展開するまでになった。日本では感染者が高止まりし、酒類の提供を伴う飲食店の営業が制限された時期だが、中国は「ゼロコロナ政策」によって、感染拡大を封じ込めていた。
ところが2022年に入ると中国でもクラスターが相次ぎ、店舗だけでなく市民生活も麻痺した。Helen’s barはそれまでの急拡大路線が裏目に出て、2022年に2億4100万元(約53億円)の最終赤字を計上した。その後は不採算店の撤退を進め、2023年末の店舗数は479に減った。
2022年末にゼロコロナ政策が解除され、Helen’s barの業績も回復に向かった。とはいえ、コロナ禍の大打撃に加え最近の景気減速で、同社は中国だけで事業を拡大することの危険を痛感したようだ。2023年の業績報告書には「当社の主要な事業資産は中国に所在しており、中国政府の政治・経済政策が当社の事業および財務に影響を及ぼす可能性がある」と記載した。
2023年に入ると国内の新規出店はフランチャイズ中心に切り替え(コロナ禍前は原則直営店だった)、同年前半にはシンガポールに海外初めての店舗を出店した。
高田馬場や池袋ではなく「渋谷」を選んだワケ
2カ国目には在日中国人だけでなく訪日中国人旅行者の訪問を見込める日本を選んだ。ドリンクが中国の店舗ほど低価格ではなく「近隣の相場より少し安い程度」(同社)だが、今後ミルクビールや果実酒など”自社商品を充実させるという。
中国の外食企業は、ガチ中華が集積する池袋か日本語学校や中国人向け予備校が連なる高田馬場を日本進出の皮切りにすることが多いが、Helen’s barは日本人の若者もターゲットにし、渋谷に1号店を出した。
渋谷にあるHelen’s barの店内(写真:筆者撮影)
コロナ禍でスマホ注文が浸透したことで、中国人スタッフだけでも日本人客に対応しやすくなった。今後“ガチ中華”が集積する池袋に2号店を出店し、日本で50店舗の展開を目標にしている。
同社は海外展開を加速するため、6月末にシンガポール取引所に上場を申請した。今後インドネシア、ベトナムでの出店を検討しているという。
ところで中国外食チェーンの日本進出というと、火鍋や麻辣湯など本場の“ガチ中華”を思い浮かべる人が多いだろう。
だがコロナ禍に入った2020年以降だと、2020年の「奈雪的茶」(2021年9月に閉店)、「蜜雪氷城(MIXUE)」「Cotti Coffee」など、一見しただけでは「中国系」と分からないカフェ系業態の進出が目立つ。
中国国内はレッドオーシャン化
Z世代消費者の台頭で急成長した新しい業態に、参入企業が殺到してレッドオーシャン化し、好条件の立地への出店余地がなくなってきたことや、景気後退で値下げ競争が加速し国内では利益を出しにくくなったことが背景にある。
中国メディアによるとHelen’s barが属するバー業態は、中国市場で業界上位5社の合計シェアが2.2%にとどまり、カフェ業態に比べると競争が緩やかだが、コロナ禍で「夜のお店」の中国リスクが身に染みたのだろう。
日本の外食企業は人口減と円安を背景に海外進出を進めるが、14億人の人口を抱える中国で大きくなった外食企業も、その国あるいは企業特有の事情で海外に出ざるをえないということだ。
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