日本経済新聞 (編集委員 中沢克二)
2024年7月3日
中国国内で居住者である日本人や米国人ら外国人が襲撃される事件が相次いでいる。個別事件の真相はなお不明である。とはいえ、その背景に中国のメディア事情の急速な変化が何らかの形で関係しているとの指摘がある。
「中国で急速に広がった反日、反米を叫ぶ民族主義の潮流には、主として短い映像で中国の人々の感情に訴えかけるソーシャルメディアの商業主義が大きく影響している」。メディア事情に詳しい中国の識者の分析だ。
6月24日、中国・江蘇省の蘇州で痛ましい事件が起きた。日本人学校の送迎スクールバス停留所で日本人母子らが切りつけられた事件だ。未就学の男児と30代母親が負傷。犯行を阻もうとして刺されたスクールバス案内役の中国人女性、胡友平さん(54)は、同26日、亡くなった。
胡さんは子供の世話役としてバスに同乗していた。バス停で母子を襲った男を押さえつけたものの、逆に刺され、倒れた後も刺され続けた。在中国日本大使館などは、亡くなった胡さんに敬意と哀悼の意を示す半旗を掲げた。
北京の在中国日本大使館の敷地内に掲げられた半旗(6月28日)=共同
上海に近い蘇州は早い段階から外資導入に踏み切り、経済的に発展した先進地域だ。日本人以外の外国人居住者もかなり多い。運河、水郷が美しい観光地としても有名である。
事件では現地当局が、切りつけた50代の男(無職)の動機として、社会に対する不満があったとの見方を日本側に伝えてきている。現場近くでは、4月にも日本人男性が面識のない人物に切り付けられる事件が起きた。偶発的な事件が重なっただけ、とは考えにくい。
蘇州の事件に先立つ6月10日には中国東北部の吉林省で米国人男性4人が襲われた。米中西部アイオワ州にあるコーネル・カレッジの教員4人が吉林市の公園で刃物で刺されたのだ。吉林市は人口400万人超の同省第2の都市で、大学も多い。米国人らは同市の大学に派遣されていた。中国当局は失業中の50代の男を容疑者として拘束した。
「新流量」の影響力
事件の大きな背景として見逃せないのは、ネット社会が急速に進化した中国のソーシャルメディアの存在だ。
「『網紅』『流量』といわれる人物が、(中国版TikTokの)抖音(ドウイン)などの映像を駆使して幅広く、瞬時に訴える効果は絶大だ。そこに政治的に安全な『反日』『日本たたき』、そして『反米』がある種のビジネス、商業上のツールとして利用される構造ができてしまった」
関係者、識者らの指摘で気になるのは、「ビジネス」「商業」という部分だ。その説明の前に、まず中国ネット用語を紹介しよう。中国で使われてきた「網紅」という言葉は、インターネット上に自作の文章、動画をアップしてフォロー数を一気に増やすことで、それ自体で巨額の収入を得たり、商品販売を促進したりする人物を指す。
似た概念で最近、使われる流行語に「流量」がある。やはり中国の一般人が持つスマートフォンから巨大なアクセス数を稼げる有名人である。「ある分野」で絶大なアクセス数を誇る新人が出てくれば「新流量」と呼ばれる。
奇妙に思うかもしれないが、この「ある分野」のアイコンとして使われがちなのが反日、嫌日を含む「日本たたき」と反米だ。なぜなら中国共産党・政府の宣伝部門が米欧日に対して強硬な態度をとる「戦狼外交」の雰囲気を長く容認してきたからだ。
逆説的だが、中国の現代社会で「日本たたき」「反米」は、政治的に極めて正しい態度を意味する「ポリティカルコレクトネス」そのものである。誰も文句を付けにくい分野なのだ。
共産党一党独裁体制の中国では、様々な政治的な課題の議論に厳しい言論統制が敷かれている。ただし、日本を標的にした言論、対米強硬を主張する言論だけには、強い規制がかかりにくい。中国のネット社会で「流量」を目指すなら、反日、反米を利用するのが手っ取り早い。
浴衣事件、そして靖国……
この雰囲気を助長しかねない典型的な事件が過去にあった。場所は今回、痛ましい殺傷事件が起きたのと同じ蘇州だ。2022年、浴衣を着て写真撮影しようとしていた中国人女性が、警察に一時拘束されたのである。
警察官は「なぜ和服を着ているのか。それでも中国人か」と女性に詰め寄ったという。公共の治安維持が任務の公務員まであからさまに日本を目の敵にしているのなら、言論上の「日本たたき」が問題になるはずはない。
そして先に日本でも話題になった靖国神社の柱への落書きでも似た構造が見てとれる。中国籍とみられる男性が落書きする映像は、堂々と中国の動画投稿アプリ「小紅書」に投稿され、多大なアクセス数を稼いだ。彼は「新流量」になったのだ。
蘇州の事件を受けて、中国内の短文投稿サイトに以下のような自省的な文章も目立ち始めている。「『中国人が日本人に教訓を教えてやる』といった狭い民族主義的な動画は、過去2年間で短編動画『新流量』のキーワードになってしまった」
今、起きている問題はさらに複雑だ。実はこの「新流量」らの多くは、反日、反米という確固とした政治信条、思想的な背景を持ち合わせていない。10年、20年前の「反日活動家」らとは根本的に異なり、反日、反米をファッションとして利用しているにすぎないのだ。それが金銭的な利益につながるからである。
それでも、この「新流量」らによる様々な発信を受け取る一般ネット市民の一部は、その内容に直感的に共感し、再度、拡散する。そして、さらにごく一部の人が、各地で過激な行動に出る危険性が生まれる。
ビジネス、商業上の利益が絡む一部ネット世論の無責任な暴走は、当局が今、突然コントロールしようとしても、簡単に統制できない。そのネット世論に失業、給与大幅削減など社会に鬱積している経済上の不満が結び付く場合もある。
12年前の反日デモでは1人の死亡もなし
2012年秋、日本政府が沖縄県の尖閣諸島の国有化を決めたのをきっかけに中国全土で大規模な反日デモの嵐が吹き荒れた。今回の蘇州の殺傷事件で半旗が掲げられた北京の日本大使館の前の大通りには連日、デモ隊が押し寄せた。
「日本を中国の一つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで登場。一部の地域では日本企業の店舗や工場が襲われ、火を付けられるケースまであった。
「日本を中国の一つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで出た反日デモ(2012年9月、北京で)
一方、中国各地で仕事をしていた日本人やその家族が直接、襲撃され、関係者が死亡するような事件は、ただの1件も報告されなかった。北京では当時の駐中国大使が乗った公用車が走行中に襲われ、車の日本国旗が奪われるといった政治的に危険な事件があったにもかかわらずである。
08年には北京夏季五輪、10年には上海万博が開催され、中国は好景気に沸いていた。当時、米国人、日本人を含む中国在住の外国人の実数は、現在よりはるかに多かった。それでも外国人居住者の安全は十分に確保され、彼らは便利になった中国生活を十分に謳歌していた。中国は極めて安全な国だったのだ。
12年前、反日デモが発生した際は、内部での政治的な解決、コントロールが比較的、容易だったという事情もある。なぜなら、反日デモの根幹部分は、中国当局の主導で組織された「官製」だったためだ。
北京にある在中国日本大使館前に押し寄せたデモ隊の一部は、日当と弁当付きで付近の農村部からマイクロバスで動員された人々だったことが確認されている。当時、中国のネット社会は発展途上で、当局がコントロール不能に陥る心配はなかった。
それから12年を経た中国の現状をつぶさに観察すると心配せずにはいられない。政治的、思想的ではない分だけ対処が難しい。ソーシャルメディアを運営する一部中国企業は言論の内容を規制する方針を表明しているが、ネット社会にまん延する雰囲気の一掃は容易ではない。社会情勢も経済中心に不安定な面がある。
もちろん、この10年余り、多くの中国の人々が、観光や商用で日本を訪れ、日本人と日本社会への理解が進んだのは間違いない。最近は多数の中国人が日本に定住する流れも目立つ。とはいえ広大な地域に多くの人口を抱える中国の隅々にまで、日本の真の姿を伝えるのは容易ではない。
胡友平さん(中国江蘇省蘇州市公安局のウェブサイトから)=共同
今回、日中両国民は、亡くなった胡友平さんのような善意と勇気を持つ人物が、自分の周りに普通にいることを知った。中国・天津市ではランドマークのタワーに胡さんの行動をたたえる映像が投射された。
中国各地で頻発する一連の事件の真相は、一刻も早く解明されるべきだ。そして公表する必要がある。同時に一連の事件から導き出される教訓を中国人、外国人という区別なしの安全確保に生かす方法を真剣に考える時である。
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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