DIAMOND online (ふるまいよしこ:フリーランスライター)
2024年7月18日
事件が起こった中国江蘇省蘇州市のバス停=6月25日 Photo:JIJI
6月24日、中国・蘇州にある日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲われ、日本人母子が怪我を負い、犯人を止めようとした中国人女性が亡くなった事件。中国では当初この事件は詳しく報道されなかったが、ネットでは亡くなった女性の名前を明らかにせよという声が高まった。日本の報道では日本人母子の名前は伏せられていたのに、なぜ中国では被害者の名前を知りたいという声が起きたのか。そして、中国で高まる「反日」を超えた「仇日」意識とは……。(フリーランスライター ふるまいよしこ)
蘇州で日本人学校のスクールバスが襲われた 日本のメディアの報じ方に問題はなかったか
6月24日に起きた、江蘇省蘇州市で日本人学校のスクールバスを待っていた日本人親子が襲撃された事件には驚いた。蘇州という、もともと観光地で日本人も含め外国人には慣れているはずの、また日本企業が多く進出している都市で、そんなことが起きるとは思っていなかったからだ。
いや、筆者だけではない。襲われた親子と学校関係者も含めた周囲の人たちも、予想もしていなかっただろう。生命の危険に関わる傷ではなかったとのことだが、関係者の精神的不安は高まったはずで、心よりお見舞いの言葉を申し上げたい。
それにしても、事件の第一報を翌朝のラジオニュースで聞いたわたしはその報道の仕方に疑問を持った。日本人親子2人が襲われたことについて「命に別状はない」としつつ、スクールバスの中国人ガイドが「重体に陥っている」という重大な情報が最後に軽く触れられただけだったからだ。
慌てて文字メディアを検索したところ、どこも内容はほとんど同じ。襲われたとはいえ生命に別状がなかった日本人親子を気遣う内容がニュースのほとんどを占めており、同じ事件でもっと深刻なケガをした中国人スタッフのことは、どこも軽く触れるだけで済ませていた。
これは多分、第一報のソースが、現地の日本領事館が日本メディア向けにブリーフィングしたものだったからだろう。しかし、在外日本人の安全確保に責任を負う領事館が「日本人」を中心に発表したからといって、ニュースメディアがそれをただそのまま伝える形を取ったのはいかがなものか。
日本人と中国人という違いだけで、日本メディアが報じる命の重みがなぜこれほどまで異なるのか。かつて、「大本営発表」を垂れ流しにしたことを反省したはずのマスメディアは相変わらずで、公館とメディアの役割の違いを意識した上で「ことの重大さ」に照らしたニュース報道が今もできないらしい。
同時に中国メディアも検索したのだが、事件の翌朝の時点では中国語の報道はまだなかった。その後、お昼までの時間に、まず、日本での報道を受けた形でそれを直接翻訳して伝えるネット記事が出現したが、大手中国メディアの報道はそれよりも遅かった。そのタイムラグの間に、某日本メディアが運営する中国語配信記事が流れたが、タイトルは相変わらず「日本人親子が襲われケガ」をそのまま中国語化しただけで、重体に陥っている中国人スタッフについては日本語版に則したままの本文1行だけ。その傷の重さに比べて、軽い扱いのままだった。
国籍は違っても、同じ生命である。重体の報道がなぜこんなに軽いのか? もし、それが日本人ならば、必ずタイトルになっていたはずだ。相手が中国人ならそれほど重大ではないという判断だったのだろうか?
容疑者を止めようとして亡くなった彼女の名前は「胡友平」
事件翌日25日の午後過ぎになって、中国メディアの報道が流れ始めた。少なくとも筆者のSNSのタイムラインは、この話題で持ちきりになった。
蘇州という「日本人に優しいはずの都市」で事件が起きたことに驚き、取り押さえられた容疑者が中国人で、さらにバスに乗り込もうとした容疑者を止めようとして中国人女性職員が刺されて重体となっていると伝えられたことに、「中国人職員は容疑者によって辱められた我々のメンツを挽回してくれた」という声が巻き起こった。
その中国人職員の氏名が「胡友平」だと明らかになったのは、その死を伝える記事によってだった。病院で治療を受けていた彼女が「亡くなったらしい」という情報が流れ始めたのは27日ごろで、その頃には中国のネットでは、「彼女についての詳細を公表しろ」の大合唱が流れていた。
日本人には奇妙に思えるかもしれない。日本では襲われた被害者親子の個人情報を「公開しろ」という声は起こっていないからだ。それなのに、なぜこぞって中国のネットユーザーたちが中国人職員の情報公開を求めたのか――それには理由があった。
中国政府にとって「都合が悪い」事件は情報公開も報道も遅れるし、軽く扱われる
事件の発生は間違いなく、中国当局を困惑させた。だからこそ、公衆の面前で起きた事件であるにもかかわらず、中国国内での報道は日本のそれよりも遅れた。それは、間違いなく当局が情報を出し渋っていたからだ。当局にとってこれは大変バツが悪い事件で、「取り扱い」に困ったからであろう。
中国ではとかく、当局にとって都合の悪い事件は軽く扱われる傾向にある。そんなとき、被害者の庶民は単純に「住民」と呼ばれたり、あるいは「1人」「2人」などの人数だけで発表される。そうやって、当局は「事件」は伝えても、それができるだけ社会の記憶に残らないようにする。記憶に残らなければ、それによる影響も少なくて済むからだ。
特に、今回のように外国人がターゲットにされた事件は、当局にとって非常に頭が痛いケースである。外交問題に関わるからだ。今回、外交部は捜査状況の報告もせず、真っ先に「偶発的な事件」と強調したのもそのせいである。
当局は、蘇州での事件の2週間前に吉林省の公園で起きた米国人教師刺傷事件についても、最初から「偶発的事件だ」と主張しており、ならば「なぜこれほど頻繁に外国人を狙った偶発的事件が起きるのか?」といった分析すら許していない。
人々はこれまでの経験から、当局は事件をできる限り人々の記憶から遠ざけ、軽く処理しようとしていると見抜いた。だからこそ、事件の被害者を一人の個人としてその存在をきちんと社会に記憶させるために、「氏名を公表しろ」と声を挙げたのだった。
犠牲者たちはただの数字ではないし 「名無しの権兵衛」でもない
被害者を人数や「住民」などといった曖昧な言葉で形容する――すっかりそんな習慣になじんでいた中国だが、そこに楔を打ち込んだのが2008年の四川大地震だった。地震で「おから工事」と呼ばれた手抜き工事で建設された校舎が崩壊し、その下敷きになってたくさんの子どもたちが亡くなった。その数は一つや二つではなかった。慌てた地元当局は、その被害を人数でのみ語り、詳しい情報を求めて遺族を取材しようとしたメディアをさまざまな形で妨害した。
そんな現地政府の対応に反発し、芸術家のアイ・ウェイウェイ(艾未未)は亡くなった子どもたちの遺品を集め、一人ひとりの氏名と個人情報を集めて展示し、「亡くなったのは数じゃない。一人ひとり名前を持った現実の存在だ」と主張した。また、またTwitter(当時)を使って、亡くなった子どもたちの誕生日がやってくると、その氏名をつぶやく活動を始めた。
一人ひとりの個人情報が明らかになれば、当局が数字をごまかすこともできなくなる。なによりも現実の顔や姿、そしてその氏名で追悼することによって、亡くなった子どもたちの存在を、遺族たちにも、また社会的にも記憶として残すことができるという試みがそこから生まれた。米国で暮らした経験を持つ艾らしい、「個」を潰してしまう中国的な習慣に抵抗する主張だった。
その後、2010年に起きた上海のマンション火災でも、やはり当局は被害者数でのみ被害を語り、ならばと遺族や関係者への取材を始めたメディアを妨害した。そこに、市民から「被害者は数ではない。一人ひとり氏名を持った存在だった」「犠牲者名を公開しろ」という声が広がった。
また、記憶に新しい新型コロナウィルスの感染が始まった時にも、ネットで亡くなった知り合いについて、そしてどのような状況下(遺体で発見された/病院の待合室で亡くなった、など)で亡くなったのかの情報提供を呼びかけ、それをネットで公開する活動が起こった。しかし、当局がサイトを閲覧不能にしたり、さらに大感染が広がったために政府発表の数字やデータは正しいのかどうかを検証することができなくなり、いまだに人々は半信半疑のままだ。
こうした経験を経て、人々はもしかしたら自分もそんな不幸な事件に巻き込まれ、「名無しの権兵衛」で葬られるのかという不安を抱くようになった。そして、次第に多くの人たちが事件被害者を無名のままでやりすごすのは被害者に対する不敬だと考えるようになったのだ。
胡友平さんに「見義勇為模範」の称号が贈られるも 事件の真相は今も闇の中
今回の蘇州でも容疑者は拘束されたものの、当局は事件の動機やその経過など詳細を一切公表していない。そんな中で、人々は「彼女は自分の生命を賭して、他の子どもたちに凶行が及ぶのを防いだ英雄だ」と、当局にその「英雄」の氏名を公表するように要求したのだった。
当局は彼女の死後やっと、その氏名と顔写真を公開した。しかし、その直後には政府系メディアが「胡さんの家族はそっとしておいてくれと求めている」と報道。さらに続けて「彼女の葬儀は親族の間ですでに行われた」と伝えた。
当局は社会が胡さんの遺族と接触し、事件に関する情報が拡散するのを恐れ、情報の流通を遮断する措置を取った。一方で、その英雄的行為に対して彼女とその家族をねぎらうべきだとの声に応えたかのように、蘇州市公安局は胡さんに「見義勇為模範」(正義と勇気の模範)という称号を送った。
ネットでは、いや「模範」では足りない、彼女は生命をかけて子どもたちを、さらには我われのメンツを守ったのだから「英雄」に付されるべきだという声も起きた。いやいや、蘇州市のレベルではなく、江蘇省レベル、さらには国レベルでの称号がふさわしいという意見もでたが、この「見義勇為模範」の授与は同時に、当局による事件への終止符だった。その後、当局による事件に関する発表は止み、メディアの後続報道も、またネット上での討論もほぼ停止してしまった。
そして、いまだに容疑者の動機など、詳細はまったく分からないままとなっている。
事件の背景にあったのは「反日意識」ではなく「仇日意識」ではないのか
容疑者の動機について、日本では事件の背景にあるのは「反日意識」ではないか、といった報道が続いた。
だが、実際にこの事件を受けて中国人たちが懸念していたのは、「反日」ではなく、「仇日」というキーワードだった。
これまでの「反日」が過去の歴史問題や領土問題への視点の違いからくる「反対」や「反感」だったのに対して、「仇日」とは日本に関係するすべてに対する無差別な敵視を意味する。これは日本に限ったことではなく、吉林省の米国人英語教師刺傷事件の際にも「仇美」(「美」とは「アメリカ=美国」を指す)が取り沙汰されていた。日本と米国、どちらも今の中国が最も神経を尖らしている国である。
特に蘇州の事件は、発生が報道されると同時に、胡さんに対して「日本人をかばうからだ」と嘲笑したり、日本人学校の存在を「スパイ養成機関」と呼ぶ書き込みが流れ、それに賛同する動きもあった。
この「スパイ養成機関」説というのは主にこういう内容である。中国国内にあるいくつかの日本人学校には中国人子弟は通えない。それは日本人の子供に中国で教育を受けさせ、卒業後にはそのまま中国社会に「潜入」させたり、ときには中国人のふりをして公的機関に近づいて中国の機密を盗んだりと、中国崩壊を意図した行動を起こすスパイを養成するための機関だからだという。
正直、今どきの日本人が「お国のために我が子を差し出し、その一生を尽くして中国の崩壊のために貢献する」わけがない。この考え方そのものがとても中国的すぎて、三流スパイ小説の読みすぎだろうとしか思えないツッコミどころ満載の想像力で、常識的な日本人としては苦笑いするしかない。
それでも、それを信じてしまう人たちがいるのは、中国にはいまだに生身の日本人に接したことも、日本に旅行したことも、もちろん日本のドラマや映画すら観たことがない人たちがいるということでもある。
日本の侵略よりももっと「心から憎い」ことがあるのではないか
李立峯、ふるまいよしこ、大久保健 他『時代の行動者たち 香港デモ2019』白水社
だが、こうした「仇日」に、はっきりと違和感を表明する人たちもいる。
「日本への憎しみ? 日本の侵略戦争なんて、僕の恨みランキングのトップ100にも入ってないよ。だいたい80年以上も前の話で、僕の両親も生まれていなかった。この80年間、それ以上に心から憎いと思える事件が100件も起こっていないとでもいうのか」
元ジャーナリストの彭遠文さんは、SNSで発表した記事でこう書いていた。彼にとっては日本の侵略よりも、1950年代末に起きた大飢饉で彼をかわいがってくれた親族が飢えに苦しんだという体験のほうがずっと「身近なものだ」という。そして、約40年続いた「一人っ子政策」によって不遇をかこった人たち、貧しさから出稼ぎに出た親と離れ離れで暮らす農村の子どもたちを思いやる。戸籍政策によって彼らは家族と離れ離れに暮らさざるを得ないのだ。
そして、彼自身が心から愛していた報道メディアの仕事が権力の一存で潰され、彭さんやその同僚たちが職を失ったこと。彼の子どもはやはり戸籍政策のせいで、1年間学校に通えない時期があったという。
「僕にとって、こうした出来事の方が、仇日よりもずっとずっと前に並んでいる」
その彼はコロナ政策解禁のあと、海外に出た人たちと同じように祖国を離れ、カナダで暮らすようになった。彭さんはこう続けた。
「胡さんの顔は、普通すぎるくらい普通だ。だからこそ、その写真を見ると涙が出る。『民族のメンツを守ってくれた』などという必要はない。彼女の取った行動こそが本来あるべき姿なのだから。そして、容疑者にも僕は憎しみを感じない。感じるのは悲しさだ。…(中略)…はっきり言おう。もし憎しみ教育とプロパガンダがなければ、もし世論を自由に成長させるならば、5年あるいは10年で、排他的憎しみは9割減るはずだ。これは楽観的な見方ではない。というのも、僕らのほとんどが胡友平さんに近い人間だからだ。胡さんよ、どうぞ安らかに」
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