悔い無き最期、迎えるために 求められる「死の予習」(産経新聞) - goo ニュース
核家族化で死が縁遠いものになっているが、
悔いのない一生を全うするため死を迎える「予習」が求められている。
終末医療の専門医が「人生の最期は右肩下がりの緩やかな曲線を描かない」と
指摘するように急に訪れる死。
健康なうちに後悔しない生き方を模索する動きが広がっている。
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「悔い無き最期」・・・
そういえば、ここ数年、私も、
いつもこのことを考えています。
(思うだけで、なにも実行できないのですが)
≪私の病歴≫
1997年4月 乳癌(右乳房)告知→乳房温存療法手術
2000年5月 乳癌再発(右乳房)→乳房温存療法手術
2001年5月 乳癌再々発(右乳房)→右乳房全摘出手術
2001年6月 肺癌告知→胸腔鏡手術
2002年3月 ACTH単独欠損症→治らない病気のため現在も闘病中。
2007年5月 乳癌と肺癌 克服
こうして並べて見ると、
「最期」を心配する気持ち、頷けますね(笑)。
よく生きてきたな・・・と思います。
病院の先生方、看護師さん、
支えてくれた家族に感謝☆です。
「癌」という病気は「終わり」がなく、
いくら「克服」を告げられても、
「再発」や「転移」の不安を拭い去ることはできません。
病気は、突然、やってきます。
私の乳癌、肺癌、突発性難聴も突然でした。
ACTH単独欠損症の時には意識障害も出て、
周りの誰もが死を覚悟しました。
私はほとんど眠った状態でした。
しかし、優れた医療と、周りのたくさんの人たちに守られて、
奇跡的に助かり、今の私がいます。
もう少し、診断が遅ければ・・・と思うとぞっとします。
そんなことを経験をしているので、
元気なうちに、いろいろ準備をしておかねば、
と、誰よりもわかっているはずなのに、
なかなかできないものですね。
入院の準備だけはOKです☆
この記事の中にある、
緩和医療医の大津秀一氏の『死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)、
◇生前の意思を示さなかった
◇他人に優しくしなかった
◇故郷に帰らなかった
◇会いたい人に会っておかなかった
◇愛する人に「ありがとう」と伝えなかった・・・など。
私も癌の闘病生活を送りながら、
「この人とこの人には会っておきたい」などと考えていました。
順天堂大学医学部の樋野興夫教授(癌病理学)の、
多くの癌患者は「なすべきこと」を気にかける。
「心の中で長い間、わだかまりを抱いてきた相手を思いだし、
謝りたいとか仲直りしたいと悩む」・・・とのこと。
私も同じようなことを考えます。
聖路加国際病院の日野原重明理事長は、
『メメント・モリ』(海竜社)の中で、
「今まで生きてきたことへの感謝の言葉を
周囲の人々に残すことができれば最高の人生である」と指摘しておられます。
私も、ほんとうに そう思います。
最近では、心不全などで急死する人も多いですね。
癌患者に限らず、
最期の、その時になって、
後悔しないためにも、
健康なうちに、
「悔い無き最期」を迎える準備はとても大切なことのように思います。