淀川改修(新淀川建設)から100年の今年、水都大阪2009の催しが行なわれ、その一環として、八軒家浜⇔枚方の舟運が復活しました。
10月は屋形船で運航されましたが、既に満席のため、11月のこの日の上りを予約しました。
旧松坂屋の大川に面した所に「八軒家浜」があります
アクアライナー「なにわ3号」に乗船です 後ろは「天満橋」です
10時過ぎ、いよいよ出発です
座席は指定されていて、窓ガラス越しの撮影で映り込みがあります
そのまま川を下り方向転換です 遠くに見える姿の良い橋は・・・
天神橋:1594(文禄3)年に架橋された浪華三大橋のひとつ。
現在の3連アーチ橋は1934(昭和9)年に完成した。
橋長は219.7m。
方向転換が終り、川を上り始めました 天満橋とOMM
すれ違った日本初の水陸両用観光バス
交通渋滞緩和のため1970(昭和45)年に二階建てに
天満橋:江戸時代からある浪華三大橋のひとつ。
現在のカンチレバー式プレートガーダーは橋長151mで
1935(昭和10)年に完成した。
造幣局横の河岸 通り抜けの少し前には見事な桜並木となります
大阪城が見える地点は限られているし、更に右席のお客様が・・・
自転車・歩行者の専用です
川崎橋:1978(昭和53)年に完成した2径間連続斜張橋で
橋長は129.15m。
次に見えてきたのは通称「桜ノ宮・銀橋」
京阪国道(国道1号線)が通っています
桜宮橋:1930(昭和5)年に完成した3ヒンジ鋼アーチ橋で
橋長は108m。
構造の違いがよく分かります
新桜宮橋:2006(平成18)年に完成した単純ローゼ橋で
橋長は150m。
この橋の完成で京阪国道の上下線が分離されました
OAPレジデンスタワー東館・OAPタワー・帝国ホテル大阪
OAP:大阪アメニティパーク
いろんな船が見受けられます
源八橋:1936(昭和11)年に完成したゲルバー式鋼板桁橋で
橋長は201.2m。それまでは源八渡があった。
大阪環状線の大川橋梁(現在は淀川橋梁と呼んでいるそうです)
1895(明治28)年、城東線として開業しました。
丁度、お気に入りの221系が
阪神高速12号守口線と都島橋
守口線は森小路までが1968(昭和43)年に、守口までは
1971(昭和46)年に開通しました。
都島橋:1956(昭和31)年に完成した四径間ゲルバー式鋼鈑桁。
橋長は145m。
淀川リバーサイドタウンと都島区を結ぶ歩行者専用橋
飛翔橋:1984(昭和59)年に完成した二重アーチ鋼トラス橋。
橋長は103.55m。
守口線の下に架けるため高さ制限が受け、とても珍しい
形状になりました。
淀川リバーサイドタウンと守口線
守口線の下を行きます
この水車、どこで何に使うのでしょう お隣は造船所です
毛馬橋手前の水管橋
毛馬橋:1961(昭和36)年に幅8mで完成した連続合成桁。
1979(昭和54)年に25mに拡幅された。
橋長は150m。
浚渫物運搬船 土日はお休みです
旧閘門 大阪府毛馬排水機場 現閘門
(写真をクリックすると拡大します)
中央が開昇中の下流側水門 左の赤色が上流側水門
門扉の開昇が完了し、信号が青になりました
閘門通航最高限度指定
下流側門扉部を通過、閘門部に進入
停船しました
閘門に注水する前に係留します
大川側の門扉が閉降されました これから注水が始まります
注水しているので、水面が乱れています
水位差
淀川側門扉開昇開始
門扉の開昇が完了しました 船室に戻ります 奥に見えるのは淀川大堰
淀川側の水門を通過し、いよいよ淀川本流へ
淀川大堰の拡大写真は、こちら
大堰から下流は海水が混ざっています
堰の手前は水鳥がいっぱい!
伊丹に最終進入する航空機
JAノLの緑の尾翼の「JALエコジェット」(JA8984 B777-200)でした
実はこの毛馬閘門付近に伊丹の32L(西側の滑走路)に進入するためのOM
(アウターマーカー)があります。大型機はこの上空を飛び、新大阪駅上空を通過して32Lに向います。小型機の場合は、この付近から右側にずれて、新大阪駅の東側を通過して32R(東側の短い滑走路)に向います。
柴島浄水場取水口 難読名:"しばじま"ではありません
水管橋(送水管)の左岸側
水管橋と旧送水施設
右岸側(左)から3径間の水管橋が架けられ、三つ目の橋台(右)からは河底に埋められていたものと思われます。河底部の送水管は残っている思います。
この辺りは、川が大きく左に曲がって流れているため、右岸に近い所を上って行きます。したがって、右岸は近傍しか見えませんが、左岸側は相当遠望できます。そんな状況で目に飛び込んできたのは・・・
赤川橋梁 パノラマ写真は、こちら
城東貨物北線・赤川橋梁 右下はH180811撮影
東淀川区と旭区を結ぶ菅原城北大橋が見えてきました
菅原城北大橋:1989(平成元)年に完成した有料橋で、普通車の
通行料が百円のことから地元では親しみを込めて"百円橋"と
呼んでいる。原付は10円で幅は狭いが専用道がある。
渡河部は3径間連続の斜張橋で、城北公園内は5径間連続の
RC(reinforced concrete 鉄筋コンクリート)上路アーチ橋。
渡河部と公園部を合わせた橋長は1355.757m。
大阪市営豊里住宅
こちらは学法常翔学園大阪工業大かな 阪高守口線も見えています
出発して1時間ほど経ちました
大阪内環状線(国道479号)の豊里大橋が見えてきました
豊里大橋:1970(昭和45)年、大阪万博の年に完成した3径間
連続鋼床版箱桁A型斜張橋で、橋長は561.4m。
A型とは橋塔が写真で見るように"A"型をしているから。
この下を市交今里筋線が通っています
右岸遠くに煙突が 急いで望遠で撮ると・・・
大阪市環境局東淀工場
あしなが鉄塔も気になります
ベリスタ東淀川大桐
阪神水道企業団 大道取水場取水口
左の鉄塔は2回線ですが、右の鉄塔は1回線が撤去されたみたいです
船が作る波に写る景色の変化が随分と楽しめましたよ
鳥飼大橋が見えてきましたが、いろんな橋が架かっていますね
摂津市と守口市を結ぶ鳥飼大橋
中央環状線(北行の新・旧)・近畿自動車道・中央環状線(南行)・大阪モノレール
鳥飼大橋(大阪府道2号大阪中央環状線)
1942(昭和17)年に木造の仮橋が着工され、1948
(昭和23)年に開通した。
北行の旧橋:1952(昭和27)年に永久橋として着工され、
1954(昭和29)年に完成し、全国初の有料橋として開通
したゲルバートラス橋で、橋長は540m、全幅7.5m。
1964(昭和39)年に無料開放された。
老朽化が進んでいるため、新橋の建設が進んでいる。
尚、1975(昭和50)年に府営・鳥飼の渡しが廃止された。
北行の新橋:2009(平成21)年度末に3車線で暫定供用の
予定。その後、旧橋を撤去し、2013(平成25)年度末に
自転車道・歩道が完成し、全面供用の予定。
9径間鋼床版連続箱桁橋で、橋長は554m。
幅員は、暫定時が13.45m、完成時は16.25m。
・鳥飼大橋架替事業
南行:1965(昭和40)年に完成し、2車線の南行専用となり、
旧橋は北行専用となった。
鳥飼大橋(近畿自動車道):
淀川橋梁(大阪モノレール):1997(平成9)年、南茨木~門真市の
開業に伴い建設された、モノレール橋としは世界最長の5連の
ニールセン・ローゼ橋で、橋長632m。
河川中央部は支間長195.1mで、左右の橋よりも大きい。
(上の写真でそれが分かる)
船は中央径間を通っています
航空写真が古く北行新橋がまだ写っていません Googleは工事中の写真です
上の地図の上中央の河川敷にこの2基の鉄塔が写っています
こちらは対岸(左岸)の鉄塔です
遠くにまた斜張橋が見えてきました
望遠で・・・
摂津市と寝屋川市を結ぶ鳥飼仁和寺(にわじ)大橋有料道路
鳥飼仁和寺大橋:1987(昭和62)年に完成し、大阪府道路
公社が一般有料道路として管理していて、菅原城北大
橋と同様、"百円橋"と呼んでいる。
渡河部が斜張橋で、橋長は688m。
高槻市と寝屋川市を結ぶ淀川新橋
淀川新橋:1981(昭和56)年に完成した。橋長は699m。
遠くに赤白鉄塔がちらっと見えました
商売柄、気になって(苦笑)、また望遠で撮りました
木に泊まっているのは何んという鳥なんでしょうね
右岸は高槻市、左岸は枚方市 早いもので、時は11時40分過ぎ
気になるのが見えてきました 何処と何処を結んでいるのでしょう
綺麗に積んであったのが・・・ それとも初めからばらばらに?!
初めて釣りをしている人を見かけました
河川敷は公園として整備されていても、これまでに見てきたように
川べりまでは木々がいっぱいですからね
枚方淀川公園スカイハイツ
南下して淀川に合流する芥川に架かる鷺打橋
間もなく下船 アンケートの依頼やら枚方の名所旧跡の説明などを
水管橋と枚方大橋
枚方大橋:1930(昭和5)年、2車線の道路橋として初代の
枚方大橋が完成したが、これは京阪電鉄の旧宇治川・
木津川鉄橋を転用移設した直弦トラス橋で、中央部は
2連の曲弦トラス橋が新設されたものであった。
現在の橋は、1967(昭和42)年に上流側2車線が
完成し、旧橋を撤去の後、下流側2車線が建設され、
1971(昭和46)年に完成を見た。
橋長は689m、幅員は19m。
【追伸】舟運から一年。ひょんなことで・・・
初代枚方大橋架橋から80年を迎え、枚方市の広報に
当時の姿が紹介されました。
10時3分に八軒家浜を出発して、2時間と2分 もう直ぐ到着です
写真をクリックすると拡大画像がご覧いただけます
枚方・淀川河川公園に到着 2時間3分の舟運でした!
入館券を頂きました "鍵屋"ってどんなところでしょう
「郵便家の渡し」
明治時代、まだ枚方大橋がなかった時代、枚方の郵便物は"枚方の渡し"で高槻まで運ばれていました。1930(昭和5)年に初代枚方大橋ができ、車に替わりました。初代枚方大橋は、京阪電車の宇治川・木津川に架かっていた橋梁の建替によって撤去されたものを移設、転用されたものです。現在の橋は二代目で1967(昭和42)年に上流側2車線分が完成、初代はこの時に撤去されました。1971(昭和46)年に下流側に2車線が造られ、現在の4車線の姿になりました。
なお、この郵便屋の渡しの位置は、枚方大橋の上流側にありましたが、正確な位置は不明だそうです。
今はない"枚方菊人形"ですが、流石に「菊の街」です
「鍵屋」
京街道と渡し
三十石船
外輪蒸気船
明治末期に開設された電話と昔懐かしい"へっついさん"
鶴橋「風月」
お客様は見ているだけ 全てお店の人がやってくれます
美味しかった! ほんと、美味しかった!!
駅に近い広場では大学生がコンサートをやっていました
京阪枚方市駅コンコースでのジャズコンサート
最後の演奏は"イン・ザ・ムード"
京橋で降りて、大阪城公園を散策 桜が咲いていました
舟運で頂いたお弁当 夕食に美味しく頂きました
さて、難読名ですが、 大阪市水道局柴島浄水場:"くにじま"と読みます。
では、この舟運の終着地"枚方"はどうでしょう。"ひらかた"です。
生駒山の西麓には枚岡(ひらおか)が、枚方の近くには私市(きさいち)が。
そうそう、初めの天神橋と天満橋で"浪華三大橋のひとつ"と書きましたが、
後一つは・・・ ご存じの方もいらっしゃると思いますが、どうでしょう。
『ライオン橋』って、聞かれたこと、ありませんか。
もう一つの浪華三大橋は『難波橋』です。
因みに、"なにわ"は、「浪速」「難波」「浪花」「浪華」と書かれます。
「浪速」は"なみはや"とも読まれ、「難波」は"なんば"とも読まれます。
"なみはや"は、大阪府立門真スポーツセンター「なみはやドーム」が知れ渡っていますね。
"なんば"は勿論、『北』の「梅田」に対する『南』の「なんば」です。
難波(なんば)界隈は、浪速区(なにわく)に属しています。
難波橋(なにわばし):最初の橋は、八世紀の初め頃、行基によって
架けられたと云われている。
今の橋は1915(大正4)年に完成した2ヒンジアーチ橋
が元で、橋長は189.7m、幅員は21.8m。
1975(昭和50)年に老朽化のため、大阪市が大改修を
行ない合成桁アーチ橋となったが、旧来の姿を残すように
配慮されている。
橋の南北詰には、1913(大正2)年に第六代大阪市長の
池上四郎が天岡均一(あまおかきんいち 彫刻家)に依頼し
た獅子像(ライオン像)がある。
↑ 南詰の獅子の阿形像(あぎょうぞう:口を開いている)
阿形と吽形、合わせて「阿吽」の呼吸です
南詰の獅子の吽形像(うんぎょうぞう:口を閉じている) ↓
最後までお付き合いくださり、有難う御座居ました。