義母から「犬心」という本を送っていただいた。
わたしが、思春期の頃から、敬愛する女流詩人が、愛する三人の娘とともにシェパードと暮らし、特にそのシェパードの最期の二年間を描いた本だ。
ブワナが、わたしの元から旅立って3ヶ月と少々。
時折、うねりのように襲ってくる、喪失感や寂しさに翻弄されながらも、表面上は、日々の雑事に没頭してきた。
メソメソすることなく、感謝の気持ちを柱に、前をむいてきたつもりだ。
義母は、そんな気持ちを察してくれたのか? 今のわたしにとって、これ以上ぴったりな本はないだろう、という本を、絶妙なタイミングで差し出してくれた。
読めば読むほど、言葉が、文章が、染み込んでいく。
奇しくも、わたしと、その女流詩人には、共通の友人であり、お互いが泊めていただくような親密な間柄の、料理研究家がいる。
その料理研究家を介して、うかがっていた、女流詩人と娘さんたち、犬との関係は、いつもドタバタながら、温かく、濃い愛情が充満していた。
昨今、頻繁に使われるようなった「絆」が、ずっーっと、前から、女流詩人や料理研究家の周りには、張り巡らされているたように思う。
涙が思わず沸いてきたり、こぼれてしまうせいか、老眼のせいなのか、読み進むのに時間がかかるが、スルメのように味わいながら、ゆるりゆるりページをめくっている。
孫娘を産んだくらいしか、親孝行ができていない愚嫁のわたしに、もったいないくらいの義母心だ。