実社会では相対論的速度は存在しないという意見があるw
そこから相対論的認識が必要な社会は存在しないという見解にまで発展する、まあ、そりゃそうだろう、確かに相対論効果は無視していい量でしかない、そう。だけど、そこは社会科学のアナロジー能力を侮ってはならないという教訓が生きるだろうと思いますがな。
違って見えるという関係というと偏見を持つ間柄があるw
そもそも相対論関係が世に言う相対評価などとドウ違うのかを先に説明しなければならなかったか、そうだな。Aの身長はBよりも5cm高いなどが世に言われる相対評価における関係だが、相対論的関係では互いが互いに縮んで見えるような関係である、そう。
まあ、偏見を持ちあう関係がそうじゃないかと疑われるw
ま、偏見というのとはまた違うんだが、共産党などの思想を指摘してモノを言ったとして、共産党からしたら同じだけの見解の違いを有してモノが見えるワケだから。地方はその件に関して妙に鈍感なトコロが散見されて、ワシなんかの失笑を誘うワケだけど、ワシらの生まれ育った風土もちょっとそう、あ~あ。