つまり、当方としても願望だという話なんだけど、アメリカではスピン研究はファインマンに始まってファインマンに終わって悔いがないとされているのであるが、かなり以前にブログ上で口から出任せに「こうなったらスピン研究でノーベル賞を取ってやる」などと口走った、という。結果は、おかげでブログの読者は増えてくださいましたという、ただそれだけに終わっていたことの蒸し返しが今回の一件です。
やはり自分の考え方だけ合って当方の見解はあまり変わらなかったのです・・。
繰り返しになるがお復習いしておくと、体育館でバレーボールでもバスケットボールでも何でも良いからクルッと回転させて床に落としたらどうなるのか、という思考実験をします。軸性スピンと同じに水平に向けて回転を与えて手を離すとします。進行方向に向かって右巻きにしましょうか、それを自由落下させるわけですよ、そうしたら確かにフェルミ粒子のP変換のように進行方向だけ変わって戻ってきますが、ヘリシティーという物理量からみたら逆回転に変化しました。つまり右巻きで下へ落ちていったボールは左巻きになって上昇してくるのです。
この場合に体育館の床はスピン0で大きな質量の素粒子に喩えたらいいでしょう・・。
ここでローレンツ変換を行うことにすると、ボールの進行方向とは水平に体育館の床が速い速度で動いている系に変わり、ボールは角度を持って床に当たるように変わります。ここで床が静止している座標からみたらボールは鋭い鋭角で床に当たってすれすれで斜めに進行方向を変えて飛んでいくという、そうです、よく見かけるヒグス機構のような環境を再現できました。この体育館のヒグス機構の思考実験では、速度0から亜光速まで、ヘリシティー関係がずーっと同じままですから、よく言われる「ヒグス粒子と反応するたびにフェルミ粒子はヘリシティーを変化させる」という定理を得ることができました。
問題は、この僕としては「この結論は気にくわない」ということでした・・。
一つには、この描写は明らかにアインシュタインの自然認識を嫌忌していて、真空中に無数に存在する静止したヒグス粒子という邪魔者が障害となってフェルミ粒子の進行を妨げるから光速度よりも遅くなる、という相対性原理に背いたような世界観をしていると言うことです。やはりアインシュタインに逆らうにはアインシュタインを超えなければなりませんから、僕としたら光速度慣性系を仮定したいわけです。ま、電子としましょうか、光速度でまっすぐ飛んでいる電子を静止させる慣性系に止まる観測者になってみましょう。
そこではヒグス粒子は真横から飛んできて電子の赤道面を直撃するでしょう・・。
そうしたらヒグス粒子は電子の進行方向を捻るように変化させて跳ね返してしまうので電子のヘリシティーを変化させるわけにはいかないでしょう。体育館の思考実験を続ければ、落下方向に垂直に回転を与えてようすを見たとしたら床はボールを斜めに弾くでしょうが回転は変えません。特に自転軸とした電子の進行方向にとっては変わってくれないでしょう。すなわち妥協を廃して静止系を拒否してヴァーチャルにしたヒグス粒子はフェルミ粒子のヘリシティーを変えません。アインシュタインならば「電子だって月のようにいつでもそこにいるよ」と指摘するに違いありません。
ボーア財団が言いたかったのは議論で不完全だったのはアインシュタインの方だということではなかったでしょうかね?
UFTではこれを《横のヒグス機構》と呼んで理論に採用しております・・。
やはり自分の考え方だけ合って当方の見解はあまり変わらなかったのです・・。
繰り返しになるがお復習いしておくと、体育館でバレーボールでもバスケットボールでも何でも良いからクルッと回転させて床に落としたらどうなるのか、という思考実験をします。軸性スピンと同じに水平に向けて回転を与えて手を離すとします。進行方向に向かって右巻きにしましょうか、それを自由落下させるわけですよ、そうしたら確かにフェルミ粒子のP変換のように進行方向だけ変わって戻ってきますが、ヘリシティーという物理量からみたら逆回転に変化しました。つまり右巻きで下へ落ちていったボールは左巻きになって上昇してくるのです。
この場合に体育館の床はスピン0で大きな質量の素粒子に喩えたらいいでしょう・・。
ここでローレンツ変換を行うことにすると、ボールの進行方向とは水平に体育館の床が速い速度で動いている系に変わり、ボールは角度を持って床に当たるように変わります。ここで床が静止している座標からみたらボールは鋭い鋭角で床に当たってすれすれで斜めに進行方向を変えて飛んでいくという、そうです、よく見かけるヒグス機構のような環境を再現できました。この体育館のヒグス機構の思考実験では、速度0から亜光速まで、ヘリシティー関係がずーっと同じままですから、よく言われる「ヒグス粒子と反応するたびにフェルミ粒子はヘリシティーを変化させる」という定理を得ることができました。
問題は、この僕としては「この結論は気にくわない」ということでした・・。
一つには、この描写は明らかにアインシュタインの自然認識を嫌忌していて、真空中に無数に存在する静止したヒグス粒子という邪魔者が障害となってフェルミ粒子の進行を妨げるから光速度よりも遅くなる、という相対性原理に背いたような世界観をしていると言うことです。やはりアインシュタインに逆らうにはアインシュタインを超えなければなりませんから、僕としたら光速度慣性系を仮定したいわけです。ま、電子としましょうか、光速度でまっすぐ飛んでいる電子を静止させる慣性系に止まる観測者になってみましょう。
そこではヒグス粒子は真横から飛んできて電子の赤道面を直撃するでしょう・・。
そうしたらヒグス粒子は電子の進行方向を捻るように変化させて跳ね返してしまうので電子のヘリシティーを変化させるわけにはいかないでしょう。体育館の思考実験を続ければ、落下方向に垂直に回転を与えてようすを見たとしたら床はボールを斜めに弾くでしょうが回転は変えません。特に自転軸とした電子の進行方向にとっては変わってくれないでしょう。すなわち妥協を廃して静止系を拒否してヴァーチャルにしたヒグス粒子はフェルミ粒子のヘリシティーを変えません。アインシュタインならば「電子だって月のようにいつでもそこにいるよ」と指摘するに違いありません。
ボーア財団が言いたかったのは議論で不完全だったのはアインシュタインの方だということではなかったでしょうかね?
UFTではこれを《横のヒグス機構》と呼んで理論に採用しております・・。