私が強い語調で以て指摘したいのは対角線論法で扱っていた連続体は果たして実数集合だったかどうかという観点からの見直しである!
カントールは《挟み込み法》によって個々の実数を定義する手段を明らかにしている、それは「実数の個別性」とも言える原則であるので、そう定義される実数という存在が連続体を形成するというのは驚くべきことであり非自明として扱うべきことであろう。そこで私が考案したのは「幾何学的直線に数情報をダウンロードしてインストールするという手法による数直線のつくり方」なのだった。そこで明らかになるのは超越基礎数ともいうべき存在がたったの二つ(πとe)しか知られておらないせいで、人類が知り得ている実数は高々可算濃度でしかないという事実である。
この可算濃度の実数を解析的実数として、残りの非可算の実数?を幾何的実数とする考え方もあるだろう・・。
その区別は超準解析学では標準的な実数と非標準的な実数という風に呼び名が変えられる。私がここへきて少ししまったと思っているのは実数集合をそう分けられるのだったらタルスキーのパラドクスは定理にしておいてもいいなということなのである。少し気が変わってきたことを告白せざるを得ない。そのバナッハ=タルスキーのパラドクスと呼ばれる定理は選択公理を可算選択公理に変えられると消えるというから、むしろ私の直観はまんまと当たっていたわけであるが、当初のプランは宙に浮かさざるを得なくなった。
私は超準解析に詳しいわけではないが、自分流の物を一つ作った!
それは【微分解析学】という物で《流し撮り法》という手法をオリジナルに有している、その中身は解析的実数を幾何的直線にダウンロード&インストールした数直線上で展開され、無限大は必要とはせずに無限小の代わりに微分dfなどを用いてライプニッツ記号のとおりの演算(例えば純然たる割り算による導関数の算出)を可能にする。その為の手段はあっと驚くこと間違いなしの平易な小細工であるから「STAP?超準解析」などと自虐的になりつつ酒を飲んだりしてひとり悦に入っているw)
なぜ、フランス人はああも極限を得られることに拘るのだろうか?
微分解析学では極限計算をイコールで結ばない、lit(x→0)x=dx→0 なのだ・・。
驚くべきことに微分解析学を用いれば任意のnについてn階導関数を一回の割り算で求められる!
このことは沖縄高専の中本(当時)教授に依頼された授業(講演会名目で依頼が来たが授業形式で行った)において公開したことは何度かお話した。彼は参観形式で聴いていたが、講義の最終局面において「その式はライプニッツだと思う」と叫んだ、それは私の著作権を妨害する気持ちがあったのであろうがどうせ授業で公開したモノだという思いがある反面において、数学の歴史などは一回の発言で変えられるものではなく、それに私の微分解析学はまったく独自の超準解析であるので気にしなかったw)
流し撮り法からは「運動量ゼロサムによる加速機構」が出てくる、これは他じゃ得られません!
ゲージ場、ことに電磁場におけるフォトンの役割は正にそうなっていることを私としては期待している・・。
カントールは《挟み込み法》によって個々の実数を定義する手段を明らかにしている、それは「実数の個別性」とも言える原則であるので、そう定義される実数という存在が連続体を形成するというのは驚くべきことであり非自明として扱うべきことであろう。そこで私が考案したのは「幾何学的直線に数情報をダウンロードしてインストールするという手法による数直線のつくり方」なのだった。そこで明らかになるのは超越基礎数ともいうべき存在がたったの二つ(πとe)しか知られておらないせいで、人類が知り得ている実数は高々可算濃度でしかないという事実である。
この可算濃度の実数を解析的実数として、残りの非可算の実数?を幾何的実数とする考え方もあるだろう・・。
その区別は超準解析学では標準的な実数と非標準的な実数という風に呼び名が変えられる。私がここへきて少ししまったと思っているのは実数集合をそう分けられるのだったらタルスキーのパラドクスは定理にしておいてもいいなということなのである。少し気が変わってきたことを告白せざるを得ない。そのバナッハ=タルスキーのパラドクスと呼ばれる定理は選択公理を可算選択公理に変えられると消えるというから、むしろ私の直観はまんまと当たっていたわけであるが、当初のプランは宙に浮かさざるを得なくなった。
私は超準解析に詳しいわけではないが、自分流の物を一つ作った!
それは【微分解析学】という物で《流し撮り法》という手法をオリジナルに有している、その中身は解析的実数を幾何的直線にダウンロード&インストールした数直線上で展開され、無限大は必要とはせずに無限小の代わりに微分dfなどを用いてライプニッツ記号のとおりの演算(例えば純然たる割り算による導関数の算出)を可能にする。その為の手段はあっと驚くこと間違いなしの平易な小細工であるから「STAP?超準解析」などと自虐的になりつつ酒を飲んだりしてひとり悦に入っているw)
なぜ、フランス人はああも極限を得られることに拘るのだろうか?
微分解析学では極限計算をイコールで結ばない、lit(x→0)x=dx→0 なのだ・・。
驚くべきことに微分解析学を用いれば任意のnについてn階導関数を一回の割り算で求められる!
このことは沖縄高専の中本(当時)教授に依頼された授業(講演会名目で依頼が来たが授業形式で行った)において公開したことは何度かお話した。彼は参観形式で聴いていたが、講義の最終局面において「その式はライプニッツだと思う」と叫んだ、それは私の著作権を妨害する気持ちがあったのであろうがどうせ授業で公開したモノだという思いがある反面において、数学の歴史などは一回の発言で変えられるものではなく、それに私の微分解析学はまったく独自の超準解析であるので気にしなかったw)
流し撮り法からは「運動量ゼロサムによる加速機構」が出てくる、これは他じゃ得られません!
ゲージ場、ことに電磁場におけるフォトンの役割は正にそうなっていることを私としては期待している・・。
矢印が非標準的な数から標準的な数を得る演算だというのは他の超準解析と同じです・・。