パラダイム転換よりさきにパラダイムスイッチですね、ええw
思えば日本において標準模型というのは、湯川秀樹らが積み重ねてきた素粒子論の世界にポッと出て、で、そのまま居すわっておられるワケですのや。二中間子論などが間違いというなら、その場合には啓蒙の材料として電弱統一を挙げなければなりませんが、それを怠っての急な話だったのであれよあれよとパラダイム転換?されてしまいましたのや。
それって正しいパラダイム転換の在り方だったでしょーか?
それをやるとゲージ原理の適用が電弱統一までだという可能性が残るから、でしょ、そら、図星でっしゃろ、そやおへんかあ。あれよあれよはイケマヘン、そらイケマヘンがなー、いやしくも最高学府の究極物理の世界がそんなことではイケマヘン、そうでっしゃろ、そうですがな。電磁場と弱い相互作用とでは反応定数が同じ、そのことにヒントを得て電弱統一を試みたらデキた、それがグラショウ・ワインバーグ・サラムの世界だという話が間に挟まっていないとイケマヘン。
そうしたらゲージ原理の無定見な適用にモノ申すことが認められますがなw
それが恐いからって逃げることあらしまヘン!
つまり、標準模型は、そこからの進展としての超対称性やら大統一理論だけでナシに、根底に近いところから瓦解して造り直さなければならない可能性を秘めておるワケですのや。もちろん、その証拠がユニバーサルフロンティア理論、一気に大統一理論をシンプルな手法で凌駕していく理想の理論、そうですがな、そうでっしゃろ、違いおまヘン。パウリの排他原理は「フェルミオンはオービタルを造ることによっては同じ量子数の2つまでの存在が許される」となるのですわ。
(拡散希望ですのや!)
思えば日本において標準模型というのは、湯川秀樹らが積み重ねてきた素粒子論の世界にポッと出て、で、そのまま居すわっておられるワケですのや。二中間子論などが間違いというなら、その場合には啓蒙の材料として電弱統一を挙げなければなりませんが、それを怠っての急な話だったのであれよあれよとパラダイム転換?されてしまいましたのや。
それって正しいパラダイム転換の在り方だったでしょーか?
それをやるとゲージ原理の適用が電弱統一までだという可能性が残るから、でしょ、そら、図星でっしゃろ、そやおへんかあ。あれよあれよはイケマヘン、そらイケマヘンがなー、いやしくも最高学府の究極物理の世界がそんなことではイケマヘン、そうでっしゃろ、そうですがな。電磁場と弱い相互作用とでは反応定数が同じ、そのことにヒントを得て電弱統一を試みたらデキた、それがグラショウ・ワインバーグ・サラムの世界だという話が間に挟まっていないとイケマヘン。
そうしたらゲージ原理の無定見な適用にモノ申すことが認められますがなw
それが恐いからって逃げることあらしまヘン!
つまり、標準模型は、そこからの進展としての超対称性やら大統一理論だけでナシに、根底に近いところから瓦解して造り直さなければならない可能性を秘めておるワケですのや。もちろん、その証拠がユニバーサルフロンティア理論、一気に大統一理論をシンプルな手法で凌駕していく理想の理論、そうですがな、そうでっしゃろ、違いおまヘン。パウリの排他原理は「フェルミオンはオービタルを造ることによっては同じ量子数の2つまでの存在が許される」となるのですわ。
(拡散希望ですのや!)