まー、だから私はガウスだって評価したいですよー、って、それは寺坂の評価法ということになるのでしょうけど、
ま、気持ちがちょっと違って、あまりガウスを良く言いたくない、というか物理学者ガウスの本能的判断があったということは評価できるんですけどね、数学者ガウスというのはちょっと不道徳だと、そういうこと!
実際の物理空間につなげて考えたガウスは測量の旅に出たりしたw
双曲幾何を妄想の恐れがあるというのかプライベートな秘密にしたガウスは、リーマンの講義には感服して楕円幾何を公然と認めた、その流れの延長にアインシュタインの一般相対性理論は建設されたと考えていい・・。
ということから名伯楽にして物理学者ガウスというのはいたと思うんですよね?
ガウスのこころの中には次元を拡張できるだけの楕円幾何でなく
「局所的に曲率の変わる物理空間としてのリーマン幾何学」がすでに思い浮かんでいたのではなかっただろうか?
と、そこまで称えてしまうとトピ本来の趣旨から猛烈に外れてしまいますw
ガウス晩年の僥倖などはそこから生じているわけで、まー、犯意あらわな悪行であったこと疑いない、かと?
くり返しますが、
ガウスがボリアイの論文を「貴君のご子息がこのような素晴らしい形で私に先んじたことは~~」などと書きながら「しかしながら、私は自分を褒めるわけにはいかない」と矛盾して続けたのは、自らの犯意の自白でしかないことは、いまや明白である。
だって「こういう形で読ませたら盗られても仕方ない」ということを仄めかすこともナシに言っておるわけでねーw
そこに「ガウスの親書の中にボリアイ論文よりも先にガウスが非ユークリッド幾何学を得ていた証拠が混じってる」というのが寺坂によるガウス問題研究の白眉である、ああー、ややこし、(;゚Д゚)ノ
非ユークリッド幾何の歴史をどう語るかは研究者の自由という感じになっている・・。
だが、寺坂による「ガウスはああいった性格の臆病な人柄であり大目に見てやってほしい」というのはどうかと思うw
双曲線幾何の非実在性と楕円幾何の実在可能性をもっと強く述べておれば、科学史は大きく変貌を遂げていただろう!
それにガウスほどの大家でも恐ろしかったベルリン保守反動という構図は、いかにも大学紛争のさ中を生き抜いた老学者・寺坂らしかったとしても、ちょっと己が身に照らし合わせて考え過ぎた言論とは言えないだろうか?
科学史・数学史はもっとロマンティックな観点に立たなければ本質が見えてきません・・。
>ガウスはああいった性格の臆病な人柄であり、
かつて数学セミナーにおいて、パトグラフィー(病跡学)の立場から宮城音弥がニュートンについて似たような見解を述べていたが、ガウスだって似たような症例というか、むしろ「そんなこと弱いというかいな」という別の観点から考え直すべきではないかと感じている・・。
>むしろ「そんなこと弱いというかいな」という別の観点から考え直すべき~~
推測するに、むしろガウスの方こそが盗まれたのではないかというありもしない妄想に駆られてのことなので、彼はその時点でパラノイアを発症したとみるべきではないかと疑っている。ボリアイの「人の論文を読んでから自分も元からその考えがあったと主張するなど卑怯千万じゃないか」という憤慨の方がまだしも理解できるわけです。病気になったのはガウスの方であった話だと信じます。
事件性という観点からいえば「肝心なガウスのその証拠となる親書が捏造だった?」というスキャンダラスな結末が考えられるのですよ、皆さんw
(以上、ヤフー掲示板より転載)
ま、気持ちがちょっと違って、あまりガウスを良く言いたくない、というか物理学者ガウスの本能的判断があったということは評価できるんですけどね、数学者ガウスというのはちょっと不道徳だと、そういうこと!
実際の物理空間につなげて考えたガウスは測量の旅に出たりしたw
双曲幾何を妄想の恐れがあるというのかプライベートな秘密にしたガウスは、リーマンの講義には感服して楕円幾何を公然と認めた、その流れの延長にアインシュタインの一般相対性理論は建設されたと考えていい・・。
ということから名伯楽にして物理学者ガウスというのはいたと思うんですよね?
ガウスのこころの中には次元を拡張できるだけの楕円幾何でなく
「局所的に曲率の変わる物理空間としてのリーマン幾何学」がすでに思い浮かんでいたのではなかっただろうか?
と、そこまで称えてしまうとトピ本来の趣旨から猛烈に外れてしまいますw
ガウス晩年の僥倖などはそこから生じているわけで、まー、犯意あらわな悪行であったこと疑いない、かと?
くり返しますが、
ガウスがボリアイの論文を「貴君のご子息がこのような素晴らしい形で私に先んじたことは~~」などと書きながら「しかしながら、私は自分を褒めるわけにはいかない」と矛盾して続けたのは、自らの犯意の自白でしかないことは、いまや明白である。
だって「こういう形で読ませたら盗られても仕方ない」ということを仄めかすこともナシに言っておるわけでねーw
そこに「ガウスの親書の中にボリアイ論文よりも先にガウスが非ユークリッド幾何学を得ていた証拠が混じってる」というのが寺坂によるガウス問題研究の白眉である、ああー、ややこし、(;゚Д゚)ノ
非ユークリッド幾何の歴史をどう語るかは研究者の自由という感じになっている・・。
だが、寺坂による「ガウスはああいった性格の臆病な人柄であり大目に見てやってほしい」というのはどうかと思うw
双曲線幾何の非実在性と楕円幾何の実在可能性をもっと強く述べておれば、科学史は大きく変貌を遂げていただろう!
それにガウスほどの大家でも恐ろしかったベルリン保守反動という構図は、いかにも大学紛争のさ中を生き抜いた老学者・寺坂らしかったとしても、ちょっと己が身に照らし合わせて考え過ぎた言論とは言えないだろうか?
科学史・数学史はもっとロマンティックな観点に立たなければ本質が見えてきません・・。
>ガウスはああいった性格の臆病な人柄であり、
かつて数学セミナーにおいて、パトグラフィー(病跡学)の立場から宮城音弥がニュートンについて似たような見解を述べていたが、ガウスだって似たような症例というか、むしろ「そんなこと弱いというかいな」という別の観点から考え直すべきではないかと感じている・・。
>むしろ「そんなこと弱いというかいな」という別の観点から考え直すべき~~
推測するに、むしろガウスの方こそが盗まれたのではないかというありもしない妄想に駆られてのことなので、彼はその時点でパラノイアを発症したとみるべきではないかと疑っている。ボリアイの「人の論文を読んでから自分も元からその考えがあったと主張するなど卑怯千万じゃないか」という憤慨の方がまだしも理解できるわけです。病気になったのはガウスの方であった話だと信じます。
事件性という観点からいえば「肝心なガウスのその証拠となる親書が捏造だった?」というスキャンダラスな結末が考えられるのですよ、皆さんw
(以上、ヤフー掲示板より転載)