つまり、ゲーデル命題G⇔(G⇔(G⇒¬P))⇔G∧¬P等は定式を工夫することによって「Gは主語」という事実を厳然と存在させることが出来るから、そんな夢のようなことが可能になるんです。今までは結論に¬Gが出現しても(Gの定義が先行して有る、と考えなくてはならなくて)¬G「Gは証明できない、は証明できる」と訳さざるを得ませんでした。
ゲーデルの行った実際の論証において出現するのはG∧¬Gです!
そうして
それが¬Gの定義¬G⇔(G⇔(G⇒P))⇔G∧Pによっては
G∧¬G⇔「¬Gの定義」∧¬Gになるのですから驚きです・・。
まさに南部流の?《自発的対称性の破れ》
物理学に応用できそうな気がしてきました・・。
例えば、
他でもない我々を形成しているアップクォークを題材にしますと、
「クォークであり電荷+2/3のものがアップクォーク」
「クォークであり電荷-2/3のものが反アップクォーク」
と定義するような事じゃありませんか!
どちらが正粒子でどちらが反粒子であるかが後で決まるような感じですけど
ま、
物理学の場合には宇宙の都合で最初に決まっていると考えたらいいでしょう・・。
そうした場合
クォーク凝縮というのはクォーク反クォークから為っていますが、
全体として反粒子性が強いと考えて良いかもしれません!
物質を形成しているクォークはH軌道に存在して、
周りを取り囲むクォーク凝縮はL軌道上の真空物質なのがその証拠です・・。
さて、
反物質の場合だとどうでしょう?
「反クォークであり電荷-2/3のものが反アップクォーク」
「反クォークであり電荷+2/3のものがアップクォーク」
という中間子文だと考えたら良いんではないでしょうか?
こうして考察してみれば
クォーク凝縮
と
反クォーク凝縮
とでは
いくぶん異なるところが
《自発的対称性の破れ》なんでしょう・・。
つまり、
ここへ来て中間子文も
A⇔(A⇒B),¬A⇔(A⇒¬B)
ではなくって、
A⇔(A⇔(A⇒B)),¬A⇔(A⇔(A⇒¬B))
に
変更を被らざるを
得ませんでした・・。
¬Aの全称性になど頼っている場合じゃなくなったのです!
(くそっ、楽しかったのになあ~・・)
ゲーデルの行った実際の論証において出現するのはG∧¬Gです!
そうして
それが¬Gの定義¬G⇔(G⇔(G⇒P))⇔G∧Pによっては
G∧¬G⇔「¬Gの定義」∧¬Gになるのですから驚きです・・。
まさに南部流の?《自発的対称性の破れ》
物理学に応用できそうな気がしてきました・・。
例えば、
他でもない我々を形成しているアップクォークを題材にしますと、
「クォークであり電荷+2/3のものがアップクォーク」
「クォークであり電荷-2/3のものが反アップクォーク」
と定義するような事じゃありませんか!
どちらが正粒子でどちらが反粒子であるかが後で決まるような感じですけど
ま、
物理学の場合には宇宙の都合で最初に決まっていると考えたらいいでしょう・・。
そうした場合
クォーク凝縮というのはクォーク反クォークから為っていますが、
全体として反粒子性が強いと考えて良いかもしれません!
物質を形成しているクォークはH軌道に存在して、
周りを取り囲むクォーク凝縮はL軌道上の真空物質なのがその証拠です・・。
さて、
反物質の場合だとどうでしょう?
「反クォークであり電荷-2/3のものが反アップクォーク」
「反クォークであり電荷+2/3のものがアップクォーク」
という中間子文だと考えたら良いんではないでしょうか?
こうして考察してみれば
クォーク凝縮
と
反クォーク凝縮
とでは
いくぶん異なるところが
《自発的対称性の破れ》なんでしょう・・。
つまり、
ここへ来て中間子文も
A⇔(A⇒B),¬A⇔(A⇒¬B)
ではなくって、
A⇔(A⇔(A⇒B)),¬A⇔(A⇔(A⇒¬B))
に
変更を被らざるを
得ませんでした・・。
¬Aの全称性になど頼っている場合じゃなくなったのです!
(くそっ、楽しかったのになあ~・・)
それらは「L軌道にZボソンやフォトンあるいはWボソンのようなゲージ粒子が照射されて真空から励起して出てくる」と考えられます・・。
真空中には電荷を失った元荷電粒子の残骸なども豊富に有るのだと考えたらいいでしょう!