まちづくり関連のNPOに所属している関連から、将来の必要性を込めて「観光学」といったものにも首を突っ込んで勉強しています。
、、、本来の学問でも手が一杯とか、まだ勉強不足とかそういう事情は否定できませんが。
その観光学の分野では、近年都市観光・産業観光が脚光を浴びています。
どちらも、以前は観光の対象として一切捉えられなかったものです。
都市観光に関しては、「普段の街並みなんて見て、どこが楽しいの?」
と仰る方も多いでしょうが、たとえば、海外旅行で私たち日本人が行くところ(ex.パリの都心部・ポーツマス郊外・バンコクや香港、、、)の殆どは、その土地の人々にとっての普段通りの街です。
いわゆる観光地、というものは過剰な団体旅行者を捌くために作られた都市にとっての避難場所と考えた方がよいのかもしれません。ここ北九州では門司港レトロ地区などはよい例でしょう。
近年はやっている都市観光・街並み散策の魅力は、言うならば従来の観光地然とした定番空間に対する不満から生まれたものです。
門司港レトロ地区にしてみれば、そこに住んでいる人もなく、生活の匂いがしません。建物の多くはそこにあったものの筈なのに、学会関係者に「ミニ明治村」と言われている原因はここにあるでしょう。
この偽物っぽさを嫌がって、観光客はもっと日常に近いものを求めています。そこで最近「裏レトロ」と言われる錦町・清滝などの地域が脚光を浴びているわけです。
しかしここで問題が生じます。これらは普段から住人の多くが日常生活を送っている地域です。ここに団体観光客が訪れても住みづらくはならないか? 当然の悩みだと思います。
「観光化につっぱしってもいいのか?」
多くのまちづくり団体が、この問題に突き当たります。特に歴史的な街並みを売り物にしている地域にとって、生活空間の維持と観光客の導入は相容れないもの、と長らく言われてきました。
近年の都市観光では、「住んで良いまちは、訪れても良いまち」と言われています。滋賀県長浜の黒壁の街並みや、愛媛県内子町の伝建地区、豊後高田昭和の町なども広い意味で当てはまるかもしれません。
「道を歩いていると互いに挨拶を交わしている」、「車が通っても必ず人を見てよけてくれる」、「見知らぬ人でも親切に応対してくれる」、「道端の掃除が行き届いている」、、、これらは、住みやすいまち、安全なまちの必須条件であると同時に、観光客にとっても訪れやすいまちです。
当然、街並みとしての許容量(日常生活に影響が及ぼさない程度)もありますから、団体客の受け入れには慎重な姿勢を持たねばなりませんが、この部分は個人観光客むけのマーケティングに特化することや、観光バスの直接乗り入れを規制する等の手法でカバーできるかもしれませんね。
もっとも、これら地域全体のまとめ役になるべき民間組織が必要となります。小規模都市では商工会議所などがその任に当たっていますが、北九州においては商店街や個人店の連合組織、自治会などが鋭意努力する必要があるでしょう。もっとも、やる気と目標がはっきりしていれば新しく作ることも出来ますよね(だれかれともなく問い掛け)。
実際そんなこと出来るの? と言う方、深く都市観光を知りたい方へはこちらをお薦めしています。
『都市観光でまちづくり』(学芸出版社)
ほかにも全日本都市観光連盟という組織も存在するようです。こちらの実行力に関しては未知数ですが、加盟都市のケーススタディを調べてみると、面白いかもしれませんね。
、、、うすうす気付いた方もごく一部にいらっしゃるかもしれませんが、今回の書き込みは「門司港コミュニティ」の観光に対する姿勢を問われた際の返答として作成いたしました。他の方々にも楽しんでいただければよいのですが、、、。
、、、本来の学問でも手が一杯とか、まだ勉強不足とかそういう事情は否定できませんが。
その観光学の分野では、近年都市観光・産業観光が脚光を浴びています。
どちらも、以前は観光の対象として一切捉えられなかったものです。
都市観光に関しては、「普段の街並みなんて見て、どこが楽しいの?」
と仰る方も多いでしょうが、たとえば、海外旅行で私たち日本人が行くところ(ex.パリの都心部・ポーツマス郊外・バンコクや香港、、、)の殆どは、その土地の人々にとっての普段通りの街です。
いわゆる観光地、というものは過剰な団体旅行者を捌くために作られた都市にとっての避難場所と考えた方がよいのかもしれません。ここ北九州では門司港レトロ地区などはよい例でしょう。
近年はやっている都市観光・街並み散策の魅力は、言うならば従来の観光地然とした定番空間に対する不満から生まれたものです。
門司港レトロ地区にしてみれば、そこに住んでいる人もなく、生活の匂いがしません。建物の多くはそこにあったものの筈なのに、学会関係者に「ミニ明治村」と言われている原因はここにあるでしょう。
この偽物っぽさを嫌がって、観光客はもっと日常に近いものを求めています。そこで最近「裏レトロ」と言われる錦町・清滝などの地域が脚光を浴びているわけです。
しかしここで問題が生じます。これらは普段から住人の多くが日常生活を送っている地域です。ここに団体観光客が訪れても住みづらくはならないか? 当然の悩みだと思います。
「観光化につっぱしってもいいのか?」
多くのまちづくり団体が、この問題に突き当たります。特に歴史的な街並みを売り物にしている地域にとって、生活空間の維持と観光客の導入は相容れないもの、と長らく言われてきました。
近年の都市観光では、「住んで良いまちは、訪れても良いまち」と言われています。滋賀県長浜の黒壁の街並みや、愛媛県内子町の伝建地区、豊後高田昭和の町なども広い意味で当てはまるかもしれません。
「道を歩いていると互いに挨拶を交わしている」、「車が通っても必ず人を見てよけてくれる」、「見知らぬ人でも親切に応対してくれる」、「道端の掃除が行き届いている」、、、これらは、住みやすいまち、安全なまちの必須条件であると同時に、観光客にとっても訪れやすいまちです。
当然、街並みとしての許容量(日常生活に影響が及ぼさない程度)もありますから、団体客の受け入れには慎重な姿勢を持たねばなりませんが、この部分は個人観光客むけのマーケティングに特化することや、観光バスの直接乗り入れを規制する等の手法でカバーできるかもしれませんね。
もっとも、これら地域全体のまとめ役になるべき民間組織が必要となります。小規模都市では商工会議所などがその任に当たっていますが、北九州においては商店街や個人店の連合組織、自治会などが鋭意努力する必要があるでしょう。もっとも、やる気と目標がはっきりしていれば新しく作ることも出来ますよね(だれかれともなく問い掛け)。
実際そんなこと出来るの? と言う方、深く都市観光を知りたい方へはこちらをお薦めしています。
『都市観光でまちづくり』(学芸出版社)
ほかにも全日本都市観光連盟という組織も存在するようです。こちらの実行力に関しては未知数ですが、加盟都市のケーススタディを調べてみると、面白いかもしれませんね。
、、、うすうす気付いた方もごく一部にいらっしゃるかもしれませんが、今回の書き込みは「門司港コミュニティ」の観光に対する姿勢を問われた際の返答として作成いたしました。他の方々にも楽しんでいただければよいのですが、、、。