昨夜は夫にモヤモヤした辛い気持ちを聞いてもらって、本当にラクになれました。
「そんなんで落ち込んではいけない」
「気にしてはいけない。わざわざ道を迂回して、横を通らなくてすむように
しようなんて考えなくていい。堂々としてな」
「なに、相手は何も考えていないものだよ。忘れなさい」
「そういう細かいことを気にしてしまう性格なのは知ってるから、わかるよ。
でも、気にしないんだよ。わかった?」
と何度も何度も励ましてくれて、素直でない私は、「うん。うん。」しか言わなかった
ものの大いに気持ちを切り替える後押しをしてもらえました。
やっぱり、子育てをするうえで直面するゴタゴタとかモヤモヤ、こころおきなく
話せるのは夫なんだなぁと彼の存在をありがたく思った夜でした。
ここで文章化して「みんなに聞いてもらった」というワンクッションがあったればこそ、
夫にも順序立てて何がモヤモヤして気持ち悪いのかが話せたというのがまた大きいので
読んでくださってモヤモヤを共有して「いろいろあるなぁ」って思っていたみなさん、
有難うございました。もうスカッとして大丈夫です。
バス停のママ仲間さんたちにも今朝聞いてもらったのですが、近所だからといって
マンション街では同じマンションであっても挨拶が頻繁になりすぎてしんどくなるのを
避けるためにお互い無視して生活してるような空気が強いから、辛いのに無理して
挨拶を返してくれない人々に挨拶しなくていいのじゃ?といわれて価値観の転換が
必要だと思いました。
無縁社会という言語をドキュメンタリーでテーマにしていて、痛々しく、他人事でないような
つらい気持ちでみましたが、まさにそういう社会を形作っていく習慣で残念ですが
そういうもののようです。
これからは、心に負担を感じるならムリに挨拶しない、通りすがるプレッシャーにまけて
迂回までしてはコソコソするみたいでみっともない、悪いことしてないんだから堂々と
していよう!という心境になれました。
大丈夫。
そうだ、この冬のドラマで「冬のサクラ」なる草なぎ剛くんの物語をみていますが、
全体に漂う「韓国ドラマを作ってみました」的なパロディムードを嫌がる方もある
と思うのですが、草なぎ剛さんと佐藤健くんの兄弟愛とか、草なぎさんが醸しだす
物言わぬ優しさ、人の気持ちを受け止める優しさが好きで、見ています。
ちょっと、夫の優しさも種類が同じで、それで好きなのかもしれません。
結婚10年目。ラブラブと呼ばれるような分かりやすいコミュニケーションはなくなって
久しいけれど、もっと深い普段は見えない場所がつながりあっていて、同じことに怒り
を感じてもらえる喜びがじんわりあたたかいです。
結婚して、主婦して、出産して、育児して。
女の人生は続いていきますが、こころが凍らないよう、ときどきハーッと息を吹きかけて
自分で自分をあたためたいようなそんな心持ち。
おたがい、頑張りましょう。
「そんなんで落ち込んではいけない」
「気にしてはいけない。わざわざ道を迂回して、横を通らなくてすむように
しようなんて考えなくていい。堂々としてな」
「なに、相手は何も考えていないものだよ。忘れなさい」
「そういう細かいことを気にしてしまう性格なのは知ってるから、わかるよ。
でも、気にしないんだよ。わかった?」
と何度も何度も励ましてくれて、素直でない私は、「うん。うん。」しか言わなかった
ものの大いに気持ちを切り替える後押しをしてもらえました。
やっぱり、子育てをするうえで直面するゴタゴタとかモヤモヤ、こころおきなく
話せるのは夫なんだなぁと彼の存在をありがたく思った夜でした。
ここで文章化して「みんなに聞いてもらった」というワンクッションがあったればこそ、
夫にも順序立てて何がモヤモヤして気持ち悪いのかが話せたというのがまた大きいので
読んでくださってモヤモヤを共有して「いろいろあるなぁ」って思っていたみなさん、
有難うございました。もうスカッとして大丈夫です。
バス停のママ仲間さんたちにも今朝聞いてもらったのですが、近所だからといって
マンション街では同じマンションであっても挨拶が頻繁になりすぎてしんどくなるのを
避けるためにお互い無視して生活してるような空気が強いから、辛いのに無理して
挨拶を返してくれない人々に挨拶しなくていいのじゃ?といわれて価値観の転換が
必要だと思いました。
無縁社会という言語をドキュメンタリーでテーマにしていて、痛々しく、他人事でないような
つらい気持ちでみましたが、まさにそういう社会を形作っていく習慣で残念ですが
そういうもののようです。
これからは、心に負担を感じるならムリに挨拶しない、通りすがるプレッシャーにまけて
迂回までしてはコソコソするみたいでみっともない、悪いことしてないんだから堂々と
していよう!という心境になれました。
大丈夫。
そうだ、この冬のドラマで「冬のサクラ」なる草なぎ剛くんの物語をみていますが、
全体に漂う「韓国ドラマを作ってみました」的なパロディムードを嫌がる方もある
と思うのですが、草なぎ剛さんと佐藤健くんの兄弟愛とか、草なぎさんが醸しだす
物言わぬ優しさ、人の気持ちを受け止める優しさが好きで、見ています。
ちょっと、夫の優しさも種類が同じで、それで好きなのかもしれません。
結婚10年目。ラブラブと呼ばれるような分かりやすいコミュニケーションはなくなって
久しいけれど、もっと深い普段は見えない場所がつながりあっていて、同じことに怒り
を感じてもらえる喜びがじんわりあたたかいです。
結婚して、主婦して、出産して、育児して。
女の人生は続いていきますが、こころが凍らないよう、ときどきハーッと息を吹きかけて
自分で自分をあたためたいようなそんな心持ち。
おたがい、頑張りましょう。
私は断然、budapestlifeさんと
同じ価値観。
知らない人でも通りすがれば
大きな声で挨拶するし、
私の地域ではまだそんな雰囲気が
残ってるかな。
でも若い人だとやっぱり驚かれたりもする。
いろんな人がいるのだね~
人とつながる体力のない人
またはその方法を知らない不器用な人が
増えているのかな?
旦那様のいうとおり
自分は自分で
自分も大切に
お互いに
毎日楽しんでいけたらいいね。
辛く悲しい思いをしてしまいましたね。
でも、旦那さまの励ましの言葉で、元気になられたようで良かったです。さすがです。
今回の一連の出来事について読ませて頂いて、私もえーっという感じでした。
もちろん、budapestlifeさんと同じ感覚です。
現在、日本で越冬中で、児童館に行ったり、図書館でのお話会などに参加すると、う~ん、私とは違う人種だなあと感じるお母さんが時々いらっしゃいますが、滞在期間が短いため、違和感を感じながらも流してしまっています。
ハンガリーでは、同じマンションの方やマンションに遊びにいらした方にも「こんにちは!」なんて挨拶する習慣がついてしまっていますから、日本でのご近所さんとのお付き合いは少しさびしい感じがしてしまいますね。
でも、やっぱり、いつも顔を合わせる方には挨拶したいし、危ないことは他人であっても注意したいなあと思います。
ご近所の方への挨拶や、危ないことをちゃんと注意されている姿、きっとお子さんがちゃんと見ていますよ。
(うちの近所でもお母さんがちゃんと挨拶ができないおうちのお子さんは挨拶をしません。子は親の鏡ってほんとですね)
子供がだんだんと成長し、親のしていることを分かり始めているので、自分の子供に見られて恥ずかしいことや後ろめたいことはしたくないなあと思う毎日です。
budapestlifeさん、大丈夫ですよ!
自信を持ってくださいね。
危ない事をしてる子供がいれば、私は注意するなぁ~
支援センターとかで何度か注意したことあるよ。もちろん危険な事してるときね。
挨拶もしない親達・・・幼稚園は親が通ったほうがいいね。挨拶は基本中の基本でしょ。
しかも挨拶されたら相手がどんな人でも返さないと。
正しいんだから、自信持ってね!!
その姿、子供がちゃんと見てるから
マンション前に集まる人達は、同じ小学校に上がる可能性もある人達。
幼稚園は、別々であったとしても公立小学校に上がれば学区制だから地域的に
顔を合わせる可能性はあがるわけで。
急に仲良くしようとするのも変だし、朝と昼さがりに見かける近隣の住人同士。
一応、すれ違いざまに同じ子持ちで同志っぽい気持ちもあって、迷わずに挨拶。
ただ、同じマンション内ですれ違う下校時のランドセルをしょった小学生の子たち、
「こんにちは~」といっても返してくれる子のほうが珍しい感じです。
いっしょにいた子供も当然、おにいちゃんおねえちゃんに無視された?という感覚を
味わい、「お兄ちゃん、ちょっと忙しかったのかな」「お姉ちゃん、
聞こえなかったのかもね」と慰めてる。
励ましてくれて、ありがとう。
文字だと何度も読み返せるから手紙みたいで嬉しい。ありがとう。
お料理とか歳時的なしつらえなど、いつも「すごいなーえらいなー」と思いながら
読ませてもらっています。
ともに歩んでる気がします。
毎日、楽しんでいきましょう。。
ほんと、夫、さすがですね。
励まし方が要領を得ていて、なんか、やっぱり長くいると言葉選びが上手いです。
地域に対する考え方にも温度差があるようです。
転勤族で数年のうちに引っ越すから思い入れは特にない、
手狭になったとかいろんな理由で、同じマンション地区で
条件のよい物件がでれば目と鼻の先でも引越しする、という人がいたり
いろいろです。
また、子供たちは公立でなく私立に行かせたいという親御さんの思いを
汲んでか次々と塾がオープン。ほとんどのマンションの1階に幼児向け、
小中高校生向けといった塾がテナントになっていて、大人が生活していても
前を通るたびに、受験時に抱いた様々な不安感や緊張が思い出されて、
なるべくなら見ないで過ごしたいなぁと感じて
しまったりします。
そんな話は置いといて。
そうですね。
同感です。
「こどもに示しがつかない」と思ったら、やっぱり危ないことは注意したいです。
他人の子は知らない、っていうのじゃ「生命の大切さ」を伝えられないって思うから。
励ましてくださって本当にありがとうございました。
情けないママです。^ー^;
自動扉の前で遊ぶ子に注意しても、「危なくないって、ほら見て」と言われて以来、
言ってもきかないからと少しスルーしてしまいますが、「危ないからやめてほしい」
と思っている気持ちは子供に伝わっているようで「ママ、あの子、危ないね」と
心配そうにいってきます。
マンション内では、キックスクーターに乗らないよう貼り紙がされているのに
エレベーターから降りるときにはキックして滑りだしていくお兄ちゃんお姉ちゃんを
見てショッパイ顔をして私をみます。
姿が見えなくなってから、しみじみと「いけないね」というこどもに「
そうね、いけないってわかるのえらいね」と
いって、頭を撫でて
帰ります。
こどもが、「お母さんが危ないと思うこと、してほしくないこと」をちゃんと
分かってくれているのがなによりの救いで、それで励まされてます。
こどもって本当に可愛い。
かけがえのない生命、大切に育んでいきたいです。頑張ります!
コメント欄読んだら、会って声をかけてもらったような胸のすく思いがしました。
いつも見守ってくれてありがとう。