松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

信州下諏訪宿の塩羊羹

2014年03月01日 22時37分15秒 | 日記
下諏訪宿は中山道69次の28番目、甲州街道39次の終点。江戸時代の交通の要所だった。さらにここは諏訪大社に接している門前町でもあった。武家、参詣者、商人などで繁忙期にはごったがえすほどであったろう。

中山道の和田峠をこえて岡谷まで行く用事があったので、ひさしぶりに下諏訪宿を通ってみた。切り妻、出し桁造り、格子戸の古い商家があちらこちらにのこっている。ただ密度が低いのが残念だ。うつくしい町並みの条件のひとつは「連続すること」なのだ。

車のフロントガラスのむこうに看板と暖簾がみえた。「新鶴本店」。 「あ、停めて」かみさんが叫んだ。ここの塩羊羹は地元に生まれ育った者の心深くを揺さぶるらしい。


新鶴本店の創業は明治6年。初代が時代をどう読んだのか興味がわく。宿場町は人馬が行き交うことを前提にしているが、明治以降の日本は急速に鉄道網を整備した。そのことが陸の宿場町や海沿いの廻船寄港地、河岸を廃れさせた。もっとも明治6年の時点でそこまで先読みできた人はまずいなかっただろう。 初代は創業間もないころに塩羊羹という商品開発で旅人や地元民から名をとって事業の基礎をかため、鉄道や自動車が発達して宿場町が衰退すようになると二代目三代目がマーケティングに力を注いで堅い経営体質をつくりあげたのだろう。

いまは自宅の机の上に塩羊羹が一切れある。小豆は十勝産、寒天は茅野産。塩が自己主張しない絶妙の味だ。余談ながら、建築史家の藤森照信先生は茅野出身。かみさんの高校の先輩だ。いちどお会いして日本の住宅についてご意見をお聞きしたいと思っている。もちろん手土産は塩羊羹だ。さて、お茶のさめないうちに、いただきます。